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中込遊里の日記ナントカ第89回「時分の花」

(2016.12.24)人には誰しも覚悟を決めねばならぬ時がある。結婚や就職などの人生のターニングポイントでは、振り返ってみると甘い決断としても、ある方向には進んでしまう。もう戻れない。決断が日々重なり重なり、人は老成する。

誤解を恐れずに言えば、覚悟を決めなくてもよいということが若さである。もちろん、取り返しのつかぬことで編まれるのが人生ではあるが、若い時のそれはすべて成長のための栄養となるはずなので失敗もめでたい。となると、「とにかくなんでもやってみよう」とは、失敗した時の復活を頼れる体力のあるうちの特権だろう。

しかし、復活も早ければ手放すのも早いのがその年頃。体内時計が速いので、あれもこれもを短期間でやり込む。そもそも学校がそういう仕組みである。浅く広くの数年間で、自分が追求したいと思えるものを探すのだから、よくも悪くもふわふわと漂うのは当然のこと。

その“ふわふわ”に、大人が救われることがある。就職して、結婚して、家族を持って、もうある程度はこの道で進むしかないという大人の重たさは、重石として役立つときと辛く引きずるときがある。

一年がかりで中・高校生と演劇を創ると決めて、その第一弾を、11月に創作、地域のお祭りで上演した。高校生17名が集まってくれた。演劇部の顧問の先生のご協力もあり、劇団で初めての企画に関わらず、思った以上に充実した。
10代とともに創作しようという動機は色々とあって、それらが達成されるのが今後においてももちろんの目標なのだけど、ひとまずは無事に第一弾の幕が開いて感じたことは、「救われた」というじんわりした思いだった。

演劇では、人生の重たさも、かろみも、まるごと想像力の中に一時は閉じ込めることができるのが病みつきになる理由のひとつなのだけれど、創作過程においては厳しいことも多い。

たとえば、長い年月を生きてきた俳優が、その人生の重たさを取り払おうとしてもどうしても難しく、それと付き合いながらの稽古は苦しいこともある。
劇団自体も、10年続けたことでダイヤモンドのカケラみたいなものがようやく手に入るかもしれない、という難関の道の一方で、吹き抜けの良くない淀んだ重たさに溺れることもある。

私自身も、子どもを持ち、劇団の拠点を持ち、どっしりと腰を据えてかからねば、と意気込む一方、ふらふらとさまようことを禁じられた閉塞感とも付き合っている。20代は欲望、30代は我慢と決めた納得尽くではあるが、高校生とともに演劇の場にあると、胸が空くのに気が付く。

彼らを俳優として見る時、寂しさとすがすがしさが同時に押し寄せて、それがうれしい。寂しさとは、彼らの中で演劇を10年先も続ける者は本当にいないのだろうということ。すがすがしさとは、だからこそ、何にも縛られずに精一杯舞台で遊べるということ。

中には、本人も気が付いていない才能に溢れた若者もある。演劇を続けてほしいなあ、とこっそり思いながらも、時分の花として一時の方が素敵、とも思う。矛盾している。

塾講師をしていた時に、同じような心持があった気がする。毎週会っていて、結構な心の綱として講師を慕っているだろう彼/彼女も、約束された〇月〇日にはもう塾には来なくなる。そして、十中八九、一生会うことはない。その儚さが爽快だった。

ほんの一撫で程度の触れ合いは、だからこそ愛おしく、今しかなく、未来が保証されないことの気安さが温かい。保証されないことは不安だと思いきや、かえって安堵することがあるとは。

“時分の花”とは、世阿弥が残した有名な能楽についての言葉。若い時には誰しも輝くもので、しかしそれは一時の輝きなので、生涯輝くためにはしっかりと稽古しなければならない、という教え。
世阿弥は厳しさを持ってこの言葉を残したのだろうと思うが、10代には10代、50代には50代の、その時々の輝きがあろうと思えば明るい。そもそも、演劇という瞬間芸術は、大きな時代に包まれながら、観客・役者・劇場といった出逢いにぴたりと恵まれれば最高のものとなる。

時分の花が重なり重なれば、“まことの花”とも同じことかもしれない。花を継続して咲かせるためには、良い土を耕すための相当な努力は欠かせないのはもちろんのこと。

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