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中込遊里の日記ナントカ第69回「ベロベロ星人あらわる」

(2013年12月執筆:28歳)

利賀村で出会った、俳優の松永明子さんに「子どものために演劇をやってみないか」と声をかけられた。彼女は「劇団フレフレ号」という、子どもたちに演劇を届けるために集まった劇団で企画をしているという。劇団フレフレ号は、毎月、児童館で子どもたちとワークショップを行い、その成果で年一度の公演をしている、まだ新しい劇団である。最近活動の幅が広がってきたということで、演出家を外から呼んで公演をする機会も得たそうだ。というわけで、私はフレフレ号の力を借りて、観客に子どもを想定した演劇を作ることになったのだった。

フレフレ号はいつも小学生~高校生までが通っている児童館でお芝居をやっているそうだが、今回の企画は0才児~6才児くらいの乳幼児が対象であった。初の試みで、すべてをゼロから作り上げていった。

松永さんが声をかけてくれた、男優3人。私が声をかけた女優3人に、松永さんも出演して、7人の俳優。そして、鮭スペアレでいつも力を貸してくれているパーカッショニストの松岡祐子と、ピアニストの五十部裕明を加え、9人の出演者で、創っていった。

作品名は、『ベロベロ星人あらわる』である。

ベロベロ星人が地球を侵略しにくる。人類たちをベロベロに変えるベロベロ星人たち。と、ベロベロ星人たちはゾワゾワ星人に侵略されてゾワゾワに変えられてしまう。と思ったらムキムキ星人に・・・。「ベロベロ」「ゾワゾワ」「タプンタプン」「スイスイ」「ムキムキ」などのオノマトペだけで構成された、演劇パフォーマンスだ。

この作品は、何もかも初めて尽くしだった。まずは、10分間の公演からスタート。それは、「子どもにとって一番近いおとなの友だちになろう」というキャッチコピーをもとに立ち上げた「ミマモリPROJECT」と「劇団フレフレ号」の共同企画での、八王子市子ども家庭支援センター主催のイベントの出演だった。なんと、このイベント自体も初めてという大挑戦。八王子の駅ビル「セレオ」にて、通りすがりの親子連れを観客に行ったゲリラ公演となる。

劇場ではない場所での公演に、役者も私も戸惑いつつも、なんらかの手応えは感じた。そして、11日後。更に稽古を重ね、10分から30分超の作品にふくらませて、保育園に持っていった。

このふたつの公演のお話を頂いた時に、私が立てた作戦は、「非日常の世界で想像力を働かせて一緒に遊ぶ」ということだった。

保育園全体が舞台。子どもたちは360度身体を回転させながら演者を見る。身体を動かしたくなったら一緒に動かしていい。一緒に声をあげてもいい。決して受け身の観劇ではなく、非日常の世界で一緒に遊んで欲しい。観客である子どもたちをそう導くように作・演出することを心がけた。

100人の乳幼児の前でどんな反応があるか・・・役者たちは稽古場とどう変わるのか。期待と不安で胸がいっぱいだった。

通常の劇場での公演のようには、場当たりもゲネもできないバタバタの中、上演が始まる。それまでの、楽団たちの即興演奏に聴き惚れていた園児たちは、役者陣が出てきたとたん、大騒ぎを始めた。「こわい!」「何、どうしたの?」その数十秒後には、保育園は笑いに包まれた。次々と色々なものに変わる役者たちに、園児たちは夢中になってくれた。追いかけっこのシーンでは大声をあげて応援。リズムに合わせて手拍子。あまりの反応の良さに、俳優の声が園児たちの声に負けて聞こえなくなったくらいだ。

そして、強い反応の中、役者たちは、園児たち一人ひとりと出会おうとし始めた。稽古場では絶対にできない演技だった。劇場では、観客はいないものとして演じるのがふつうである。でも、ここでは、明らかに、観客一人ひとりの目を見ながら、表情で会話しながら、演じるのが正解だった。

コレだ!と思った。役者たちは、子どもたちにとってヒーローになった。遊園地のヒーローショーのように、人気キャラクターのきぐるみを着ているわけでもコスチュームに身を包んでいるわけでもない、シンプルな黒い服を着ているスッピンの若者たちが、声と身体で演じるということを介して、たったの30分間で、子どもたちのスターになったのである。その証拠に、子どもたちは、上演が終わってベロベロ星人ではなくなった役者たちの姿を探しては、「またね!」「ありがとう」と何度も言ってくれたのだった。

俳優、かくあるべき。

私が今回の経験で学んだことは、演技者というのはいつもスターでなくてはならないということである。スターというのは必ずしも前向きな意味ばかりではないにしても。

子どもがお客。しかも、自分がいつも通っている保育園で、知っている友達の中での安心な観劇。だからこそ、最大限の良い反応が得られる環境の中、あっという間にスターになれた役者たち。まったく同じことを大人の観客の前でやったとしたら、反応の強弱や種類はまったく違うことは容易に想像がつく。

しかし、たとえ条件が変わろうとも、お客が役者を見るという演劇の仕組みは変わらず、人の心は変わらない。そこに人(あるいは人を模したもの)がいるから、お客は演劇を見るのである。その仕組みがシンプルに現れるのが、子どもが観客の演劇なのではないだろうか。

大人が観客の場合は、たとえば、舞台上に木が一本あるだけでも、そこに何らかの意味を見出すことができるかもしれない。しかし、多分、子どもはそれでは飽きて観劇しなくなるだろう。そして、大人だって、あまりにその状態が続けば、飽きて観劇を放棄する人が増えるのである。子どもだって大人だって、面白いものは面白い。見たいものは見たい。そこになんの違いもない。ただ、そこまでの過程と反応が違うのだと思う。

だから、外に出るお客の反応が違えども、観客の心に湧き上がる感情が違えども、役者は、観客の全集中力を引き受ける強い存在でなくてはならない。それが私の思うスターという意味だ。そして、演出は、役者たちが120%その存在を生かしきるための状況を作る仕事であるべきだ。

と、長くなったので、そろそろまとめなければならないから最後にこっそり本音を言うと、初挑戦の「ベロベロ星人あらわる」は、大成功だった!!・・・のかというとそうでもなくて、つくづく私の演出力の甘さを認識したものでもあった。

実際の舞台を使っての稽古が一度もできず、尺すらわからないというハンデはあったにしても、本番を見ながら、「なぜここでこうした方がいいって稽古場で気がつけなかったんだ!」「もっとここで子どもを惹きつけられたはずだ!」「ぎゃあ、役者のみんな、みんなは頑張ってくれてるのに、ごめんよおお!!」と、懸命に活き活きと演ずる役者たちの顔や背中を見ながら、反省しきりだったのである。

この私個人の反省を力に変えて、ベロベロ星人リターンズをまた上演する機会に恵まれた折には、パワーアップした作品にするべしと心に決めて、子どもたちの笑顔の見送りに力を込めて手を振ったのであった。

こんな未熟者の私と一緒に作品作りをしてくれた役者のみなさん。フレフレ号のみなさん。本当にお世話になりました。ありがとうございました。今後も、精進します!!


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