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中込遊里の日記ナントカ第74回「世界は人で出来ている」

(2014年5月8日執筆)さあ、今年のゴールデンウィークに体験した、SPACとふじのくに・せかい演劇祭とnedocoプロジェクトについて書きたいのだが、うまくまとまるかどうか。私の中に未だに情熱が渦巻いてかき回している。

というのも、やはり、人の身体と心が一番揺れ動くのは人によってだと思うからだ。

静岡県舞台芸術センター(SPAC)で毎年開催されるふじのくに・せかい演劇祭。毎年、世界中から、「これぞ!」という舞台作品を招聘して、静岡を中心に日本中・世界中から人々が集う。アーティストも観客も同様に、非常に盛り上がる演劇祭のひとつだ。

そのふじのくに演劇祭をゴールデンウィークに行うのは今年が初めてだそうだ。だからこそ、今年は、様々な企画があがり、普段にも増してスタッフの方は奔走なさったそうだ。そのひとつが、「nedoco(ネドコ)プロジェクト」である。

nedocoプロジェクトとは、地元の人が、演劇祭のために遠くの地域から静岡に来た人の泊まる処を提供してくれるというもの。泊まる処は、普段は宿泊などはできない、地元のお寺や公民館などである。ただ事務的に宿を提供してくれるのみならず、地域に住む人々が、静岡の町を案内してくれたり、おもてなしをしてくれたりする。また、演劇祭に訪れたお客で5人とか10人とかで一斉に泊まるので、とにかく、賑やかに静岡の町を体験できるというイベントだ。

普通にホテルなどを予約するよりも安い値段で、さらには、人との交流もあるというのだから、これはスゴイ。一人でホテルに泊まるのでは絶対にない出会いがあるに違いない。私のような、とにかく芝居の勉強をしたい、という若い同志に出会えるかもしれない。と思って申込してみたのだが、その出会いたるや、予想をはるかに越えたものだった。

どんなことがあったかというと。

一流の世界の演劇を見て、その技術を学ぼうと、勢い込んで静岡に行った私。「静岡に行った」と今言ったが、正直、地域のことなどほとんど考えていない。そこに良い作品があるなら、北海道でも沖縄でも構わない。静岡なら割と近くてよかったな、と思う程度である。

渋谷から高速バスに乗り、GWの渋滞で2時間半は予定よりも長旅になり既に疲労感漂い、東静岡駅からチャーターバスにギリギリ間に合って(3分遅かったら!)あたふたと山に上り、静岡の山の中の野外劇場「有度」や、磯崎新の作った、前監督の鈴木忠志のニオイのプンプンする「楕円堂」で、SPAC芸術監督・宮城聰演出の「マハーバーラタ~ナラ王の冒険~」と、静岡の青少年たちが踊る「タカセの夢」を目の当たりにして、憧れたり興奮したり、すっかり芸術脳・勉強脳になっているシリアスな私は、2時間後、なぜか、地元の居酒屋で30人近くの知らないおじさんや若者たちに囲まれているのであった。どうやらこの方達は、静岡外から来た若者の私たちを、歓迎してくれている、地元の人達らしい。これが、nedocoプロジェクトというやつの一環らしい。

聞けば、役所の文化課の人や、自治会の人や、なんだかよくわからないけど近所の人が集まってる、ということだ。私たち5人の静岡外の若者も自己紹介するけど、何を喋ったらいいかよくわからないのでテンパリながらとにかくなんだか喋る。果てには座敷で地元の大学生がジャグリングとかし出して、もうわけわからん。あまりに多くの知らない人がいて、賑やかな声がどんどんと飛び交ってくるので、脳が混乱しちゃう。この場の軸が掴めない!

バタバタの中、翌日午前中から、なぜか始まるバーベキュー。宿泊させて頂いた公民館みたいな処の庭にテントまで張って、文字通り飲めや歌えやのお祭り騒ぎ。自治会長と名乗るひょうひょうとしたオジサンが朝9時半から焼酎飲んでる。どこぞの子どもらも集まってきたし、ナゾに上手なアコーディオン演奏とかも始まっちゃったけど、一体なんなんだ。私は演劇を勉強しに静岡に来たのではないのか?脳がやはり追いつかない。そして、元来の人見知りも手伝って、ずっと混乱中。

その混乱が収まってきたのは、劇場に向かうため、この地元の人達と別れるのだ、と、認識した時だった。ああそうか、この人達と、別れる時が来るのだった。そんな当たり前のことも頭から追い出されていた。「ようこそ静岡へ」の乾杯からたったの12時間強。私は、この後この町を出て、演劇を1本見て、夕方には東京に帰る。この町から遠く離れて。

そう認識した時、初めて私は、「静岡に来たのだ」ということが解った。そして、同時に、「演劇は人でできているのだ」という、素朴なことにやっと辿り着いたのだった。静岡でしか、SPACの生み出す作品はありえない。もちろん、芸術監督の宮城聰氏は東京出身だし、ある程度は東京で勉強した演出を静岡でも作っている部分はあるのだろうけれど、そういう表面上のことではない。演劇は持ち運びのできない芸術である。劇場によって、観客によって、その根は一緒だとしても、まったく違う作品になる。

だから、演劇を作るのは、その土地だということが言える。その土地を作るのは、何よりも、そこに住む人だ。そこにいて、その地域で呼吸をする人達の熱で、その町は形作られる。演劇を勉強するということは、人を勉強すること。「ただそこに人がいる」ということの美しさがあればいい、それが私の演劇だ、と勢い込んで鮭スペアレを旗揚げした私は、この数年、技術や手法にとらわれ、根本を忘れていたかもしれない。

宮城聰氏は、「人間はただ生きているだけで十分に面白い」という。そのことを、自身の演劇の根本に常に置いているのだという。26年遅れて生まれた私も、同じことを思って演劇を始めた。今、私は、「ただ生きている」ことを表すことがいかに難しいかに直面しながら、勉強を重ねる。きっと、若い頃、宮城聰氏も通ってきた道だ。

世界の技術を勉強するために行ったふじのくに演劇祭。だけど、根本では、目標である宮城聰氏がそこにいるから、私はSPACに行ったのだ。そして、SPACに行ったから、静岡の人達に新しく出会うことができた。これは、私の大きな財産のひとつになるだろう。

世界で活躍する人。演劇の仕事をしている人。勉強している人。良い観客でありたいと思う人。静岡の文化政策を考える人。静岡の町をもっと良い町にしようと思う人。静岡の町が好きな人。人間が好きな人。私が、静岡の町の一晩だけで逢った人たちは、このような人たち。私は今、東京にいるけれど、静岡で出会ったこの人たちと未だに繋がっているような気がする。そういう目眩を起こして、わくわくしている。

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