悔しいときこそ韓信匍匐。
韓信という幼い子供は、大将軍を夢見た。
大将軍になるために、どんな屈辱にも耐えた。
周りはそんな幼い韓信を馬鹿にし、とある者は生意気な韓信に、股の間をくぐれと命じた。
韓信は耐えた。
大将軍になるために、どんな屈辱にも耐えた。
これは中国史でも有名な大将軍韓信の美談である。
私は年間50名を超える採用を通して、ベンチャーに必要な人材要件の高さをひしひしと感じている。生半可な人材では『創り上げる』ことはできず、経営に近い人材ほど、圧倒的なスキルと思考力・行動力に加え、胆力が必要になってくる。
私は常々、自分の胆力を試される。
大企業時代では早出世で、年上の部下だらけの組織をもち、会社で私を知らない人はいない、会社の誰もが注目する私であったが、今は自分より若いメンバー(経営幹部)に罵倒され、呼び捨てされる、仕事の出来なさぶり。
あー、まさに今これが韓信匍匐。
ぐっと悔しさを堪えて、何もかもで負けてしまうこの状況で今できることは、そんな彼らに劣る部分を彼らから学ぶことで最低限引き上げることと、自分というキャラクター/アイデンティティ/らしさ/強み/信念/哲学、いわゆる自分を見失わないこと。
自社で最も強い自分の能力も明確になったこのタイミングで、それをどこで発動しどう突き抜けるか。
まさにここが勝負どころ。
物語では、ここから大将軍になっていくストーリーが始まるのだが、残念ながら、現実→未来がどう転ぶかは自分次第。
歴史を変えてきた逸材たちはつくづく凄い。