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平家物語で読み解く天気の子 Preview版

C97で頒布した、「平家物語で読み解く天気の子 Preview版」です。一部公開しています。全文読みたい方は購入お願いします。

0.はじめに

0.1 本文の前に

 今年、「天気の子(2019)」が公開されてから2回見に行った。新海誠監督に前回作品である「君の名は。(2016)」は一度見ただけで、当時ほぼ同じ時期に公開されていた「シン・ゴジラ(2016)」のほうを繰り返しみていた。

 久しぶりにあった旧知の知り合いと「天気の子」について話をしたら「俺達の知っている気持ち悪い新海誠が帰ってきた」という話で盛り上がった。たしかに年齢が上の層になると新海誠監督といえば当時の東京都知事に絶賛された「ほしのこえ(2002)」であり、その後に出てきた「秒速5センチメートル(2007)」であろう。とはいえ、実のことをいえばあまり自分にとっては刺さらない作品であった。

 ところが、今回の「天気の子」については「刺さる刺さらない」の次元を超えた、いわば「喉に小骨がずっとささった状態」になっている作品である。1回目を見に行った友達(といっても陽菜さんと同じ世代である)は、「家出の話を自分と重ねた」という話をしていて、2回目に小学校低学年の家族とみにいったときは「面白かった!」という話をした。

 その後仕事であった人にいろいろ話しを聞いてみると、受け取る相手によって一義に受け取れないという不思議な作品であることがとてもわかった。

 かくいう私もどのようにこの話を受け止めればいいのかまったくもって分からない。仕事のことを考えていても、研究のことを考えていてもまったくもってわからないモヤモヤだけがずっと残っている。このモヤモヤの一つである「成熟した大人」というテーマについて話をしたnoteについては公開をしているので是非そちらを読んで欲しいとおもう。ただ言えることはいかなるコンテキストを本作品から読み取ることができる不思議な作品であるということは間違いがない。そのため、自分もっている知識をつかって、「天気の子」という作品を2019年の現在の日本の文脈におくという作業(これを「批評」と呼ぶならばらそのようなことかもしれない)をするということに決めた。正確にえば、「そのまま無視をしない決意を捨てた」というべきなのだろうか。

 これから本文を残り限られた時間で書く中で、今回はともかく書いて出すと言うことを最優先にしてみた。そのためロジックが粗かったりすることもあるが、それはそれで一つの形であるかもしれない。特に古典についてはほぼ素人である私が「古典」を引っ張り出したことについては、大きな間違いをしているかもしれない。しかし、ここは「素人」であること、つまり自分の知らないことを書くことで「知らない人」にとって有益なことを書けるのではないかと確信がある。

この本は「私が知っていること」よりむしろ「私が知らないこと」を中心に書かれています。(内田樹「寝ながらわかる構造主義 P12)

というわけでよく分からない「平家物語で読み解く『天気の子』」を書き進めてみるとします。

0.2 そもそも何故平家物語を使うのか

 このタイトルにあるように本書は「平家物語」を使って「天気の子」を読み解こうとは意味がわからないと言われそうなので最初はここから初めて見ます。

 私が好きな本にマルセイ・モース「贈与論」という本があります。これは現代の文化人類学であるレヴィ・ストロースの源流になります。ここでモースは①贈り物を与える義務②贈り物を受け取る義務③お返しの義務が社会全体で経済的行為も含んだ「社会の互酬性の上に築かれている」ということを主張しています。(なお、この本から影響を受けた小倉ヒラクさんの「発酵文化人類学 微生物から見た社会のカタチ」もとても面白いので時間がある方は是非一読を。小倉さんの書いた「てまえみそのうた」を我が家では実践して今年は自家製味噌が大量に生産された模様です。)

 モースのこの話自体が今回の話に直接繋がるのではなくて、重要なことは文化人類学の考え方であります。

 文化人類学では、フィールドワークをとおして、対象にできるだけ近づく。(略)同時に、文化人類学では「遠さ」の中で思考をする。(松村ら「文化人類学の思考法」2019, P1)

 ということで、「天気の子」という問いに対して、できるだけ通し物語を道具として思考をしようと考えたということです。そのために使おうとしたのが千年以上も語り継がれている「平家物語」でした。ちょうど同じ時期にNHKの「100分で名著」で取り上げられたのと、そこで解説を担当していた安田登さんの勉強会に参加することがあり、その空気に直に触れられたということがあります。適切な道具であるかは最後までいかないと分からないけど、少なくとも道具として「平家物語」を使ってみましょう。

1. 冒頭のセリフを読み解く

 とかく僕らは「分かること」を中心に世界を理解しようとするクセがありますが、これは無数にある世界の理解の仕方の一つにすぎず、「分からない」という理解の仕方もあるということは大事なのです(内田樹・安田登「変調『日本の古典』講義」)

 天気の子は実は冒頭でよく見ると、3年後の世界の穂高の語りから始まります。つまり未来から過去を振り返ったという「語り」の話であります。冒頭の穂高のセリフを引用してみる。

これは、僕と彼女だけが知っている 世界の秘密についての物語だ(映画「天気の子」より)

 秘密について語っている。これは一体受けては誰なのだろうか?一義的な意味でいえば、観客である我々である。しかし穂高達の世界から観客である我々はいないことになっている。俗に言う「第四の壁」の話である。

 まずこの受け手について考えてみたい。対して平家物語の冒頭を引用してみると

祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。(平家物語 冒頭より)

 実際に琵琶法師の方の語りをCDできいたら7分ぐらいここのセリフだけでかかっています。正直なところここで寝てしまいます。それはさておきとしてもここでは「驕り」という言葉でているように、平家一族が権力を手にして、それが当たり前になる「驕り」から没落していく過程が描かれています。

 平家物語は鎌倉時代の初期に成立したといわれています。これはいったい誰のための物語だったのでしょうか?平家物語は多く分けて2系統のバージョンがあり「語り本系」と「読み本系」に分けられます。ここのうち、現在我々が読んでいるのは盲目の琵琶法師の人が語った「語り本系」になります。

この物語の主な聞き手は中世から近世にかけては「武士」でした。武士はこの物語を単に娯楽のためではなく、「鎮魂」のために読んだと考えています。

中世以降に「平家物語」を聴いていた武将たちは、 自らも人を殺してきた。そして平家の物語を聴きな がら、平家の死者が、自分が殺した敵に重なり、さらには切って捨てた自分の過去とも重なり、こころ の中でその霊を鎮魂したのではないか。(100分de名著「平家物語」P7)

 同じように平家物語も実在の登場人物は出ていますが、フィクションです。フィクションなので分かり易い象徴化もされています。

 穂高は「もしかしたらあり得た世界」から「一つの可能性の世界の我々」に向かって語り続けてたのかも知れません。新海誠監督作品の特徴である徹底的なリアリティーとは、裏を返せば「ほんの少しの世界線のずれ」であるともいえます。(個人的には映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」みたいに未来と過去の因果関係が一意であったという解釈よりも、ここ20年ぐらいで急激に多世界解釈にかわったのが不思議なのです。)

 さてそのずれた次元の我々は、同じように魂の鎮魂をしていたと感じています。それは「我々が見て見ぬ振りをした人達」についての魂です。穂高や陽菜のように、高校生家出少年や、両親が死んだ子供だけの家庭は社会問題になっています。しかし、そのような問題について私も含めて、とても身近な問題として考えていません。少なくとも誰かが責任を取るという大人がいなかったということが問題の一つの理由であることは確かです。

 ところが、少し社会と同じ視線で混じってみると家出や貧困はものすごく身近にあることに気がつきました。一見して普通(むしろ美人ぐらい)の子が、家出をするぐらい悩んでいたり、家庭が貧困で本人の体調も悪くて大学進学を諦めたりという話を聴いたりしています。

 でも、そのような人に手を差し伸べたとしても、それは氷山の一角でしかないことも分かっています。だからといって手を差し伸べない理由にはらないのですが、我々は責任を感じない決意をしているので手を差し伸べていません。とはいえ、ボランティアをしようといってるわけでもないのです。

 我々は社会の貧困というテーマについてどのようなことができるのか、という一つの答えが「魂を鎮魂する」ということではないでしょうか。本書の冒頭では「貧困を亡くすことはできないが、貧困でなくなった人、苦しんでいる人に対しての魂の鎮魂ならできる」ということが穂高のセリフから読み解くことができると感じています。

 最近の日本人はお葬式といった儀式などを行わなくなって、魂とふれあう機会が減りました。私が子供の頃はお通夜やお葬式は結構大がかりに行われておりました。子供ながら正直なところ結構楽しかった記憶があります。(余談ですが、コッソリかった車を持ち帰ったら祖父のお通夜でめちゃくちゃ怒られた記憶があります。)

 古来の日本人は死というのは実は「死」ではなかったと考えられます。古事記にでてくる「黄泉平良坂」の話は、いま我々のイメージでは「黄泉の国」は地下にあって、地上のどこかに境目があったみたいなイメージがあります。諸星大二郎先生の「妖怪ハンター」にあった「黒い探求者」の話であったような「どこか地底と繋がっていて、そことの境目が黄泉平良坂」というイメージがあります。

 ところが「黄泉平良坂」という名前の通り「たいらなさか」であったのです。さらにいえばさかは「さかいめ」であったので「たいらなさかいめ」であったということです。そもそも黄泉という漢字を当てた中国の「春秋左氏伝」から取られており、「地中の泉」という意味です。古事記を口述した、稗田阿礼の「よみ」を太安万侶が「黄泉」に当てはめただけです。つまり古代の日本人にとって死とは生とたいらの地続きのイメージだったわけです。

 古代エジプトにおいては死後の再生といった明確な死があったけど、日本人においては死と生はもの凄く地続きであったわけです。得にお盆においては死者が戻ってくるといった実は生者と死者は近くな存在だったわけです。

 確かに「天気の子」の劇中でもお盆の話が出てきています。劇中の見所としては「君の名は。」の瀧君が出てくるところですが、実は魂の鎮魂について、語っていたともの考えることができます。そのような見方をすることをすることで「天気の子」は魂の鎮魂の物語ではないかという話が出てきます。

 そういえば、確かに陽菜の家に向かうラストシーンもすべて坂で出てるし、須賀の事務所も神楽坂の坂の中腹にあってよく「坂」が出てきます。ここにも先ほど話しをした「坂」と「境目」のメタファーが隠されています。つまり、境目の向こう側にある「陽菜の家」と境目の途中にある「須賀の事務所」。境目を主人公はいったり来たりしていることになります。坂をテーマにした話で思い出すのが日本版のツインピークスと呼ばれた「熱海の捜査官」でもラストシーンは坂というラインを越えていく話でした。

 主人公の穂高は、世界の秘密を観客と共有することで、実は自分達を含めた魂の鎮魂をしようとした、そのような意図が冒頭の数秒に込められた思いではないかと思います。また、「坂」と「境目」を意識することで古代日本から続く日本人の死生観とも繋がっていることを感じています。

2.  誰のための戦いか読み解く

ふだんの生活にはまったく役に立たない古典は、大 人になり人生の深い問題にぶちあたったときに突然、 その真価を発揮します。(安田登「役に立つ古典」)

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