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【50代友活】橘玲さんの「幸福の資本論」をベースに考察

村上優(むらかみゆう)です。

50代からの人生やり直しをテーマにNoteを書いています。

今回も、50代からの友活についてです。この歳になって今さら友だちとか…と思っている人に読んでほしいです。


友情の核は平等体験

なぜ中高年の友活が難しいか。
その答えらしいものを
橘玲(たちばなあきら)さんの
「幸福の資本論」という本の中に見つけました。
まずはその話を書きます。


中学高校の同級生
会社の同期
ママ友

「同じクラスで学んだ」「同じ会社に同時期に入った」「◯◯君のママ、◯◯ちゃんのママ」
橘玲さんは、このような「平等体験」が友情が生まれる温床だというのですね。


わたしはまともに就職も出来なかった。
外国で子どもを育てた。
「会社の同期」「ママ友(パパ友?)」は皆無です。
中学高校の同級生がわずかながら「友だち」として残っているような状況です。

50代ともなると、
学校に通うわけでもない。
小さい子どもがいるでもない。
まともな会社組織とも縁が切れた。

その結果、孤独になるのだと思います。もし、あなたに友だちがいないとしても、「構造的に孤独」なのであって、あなたの性格や人間性の悪さが問題ではないんだよ、とわたしは言いたいです。
50代で友だちがいないあなたは、自分を責めないでほしいですね。

愛情空間、友情空間、貨幣空間

「幸福の資本論」では、
家族や恋人を「愛情空間」
親しい友だちや知り合いを「友情空間」
その先の広大な他人たちの群れを「貨幣空間」
と呼びます。

主観的重みは、愛情空間が80%、友情空間が19%、貨幣空間が1%くらいだろうとしています。

たしかに、自分は曲がりなりにもタイ人女性と結婚して子ども(大学生の娘がひとりです)を持ち、愛情空間を家族で埋めました。
その結果、19%の主観的重みを占める「友だち」のことなど、さして考えずに生きてきたのです。

家族以外の人間関係としては、非常勤講師をしている仕事場の同僚です。その場では楽しく接してます。でも、彼らとプライベートで遊びに行ったりするか、というと、そんなこともない。そんな関係で、そのくらいの距離感が負担がなくて楽だな、という感じです。彼らは言語もタイ語だったり英語だったりで、ランゲージバリアもありますしね…。


そこで、わたしは自分は結婚して幸せなのだ、問題はないのであーる、と思い込むことにしました。そうしないと自分を支えられないと感じていたので、ある種の自己防衛ですね…

主観的重みの80%を占める「愛情空間」が満たされてる(はずな)ので、「ま、いっか」という気分になる。

そもそも忙しいしね、体力もなくなって疲れやすいよ、と時間やエネルギーの無さを言い訳にもする。

よく「結婚すると友だちがいなくなる」というけど、その仕組みが橘玲さんの理論を使うと、上手く説明出来るではないですか。
愛情空間(主観的重みの80%)が満たされると、友だちはいらなくなるのです…。

「幸福の資本論」は、幸せについて、理論的に考えたい人はぜひ読んでほしいです。
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そして、なぜ今、友活なのか

このブログの過去記事を読むとわかるのですが、わたしは2026年、妻の会社退職のために、日本に帰国しなければならない。

そこで、家族と離れ離れになるのです。

それは「愛情空間」の喪失です。
妻とはLINEで話もするし、2026年11月以降、会社を退職した彼女は晴れて自由の身です。

わたしの狭いアパート(千葉県に住む予定です)を訪ねて来るでしょう。
しかし、日本滞在に必要なビザの問題、そもそも彼女にはタイの生活があるし、来たとしても年間1ヶ月から長くても2ヶ月くらいかなあ、と思います。

さて、わたしの行き場を失った「愛情」(53歳のおっさんが、愛情、と書いてるのは、やや気持ち悪いけど汗)

それ(行き場を失った「愛情」)が、「家族や恋人」ほどではなくとも、愛情を示し合える「友だち」を求めている。

それが、今の自分の状況なのかな、と思うのです。
それでNoteにこんな謎の文章を書き綴っています。

ちょっと長くなってしまったので、次回の記事に続きます。
イマイチ読者さまの反応が薄いですが、まだ続きます。

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最後まで読んでくれてありがとう。


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