おならを嘆く

小さな子どもならまだしも、いい大人がおならをすると、なぜか無性に腹が立ったり、恥ずかしいという反応が起こる。

同居人がなにげなくおならをする、介護している親がおならをする。
相手には悪気はないとわかっているし、たんなる生理現象だと頭では理解しているのに、身体には反応が生まれる。
むかっ腹が立つ。
ときには暴力的な言動に出そうな自分すらいる。
そのことにたいして連鎖反応的に、自分自身にたいして責める反応が生まれる。

反応の連続で身動きとれなくなってしまう。
そんなとき、どうすればいいのだろうか。

おならがたんなる生理現象であって、だれもが、ときには自分も、つい油断しておならをしてしまうことがある。
しかし、ひと前でおならをすることはとても失礼なこと、恥ずかしいことだということを、残念ながら子どものころから繰り返し教えこまれてきた私たちが、ここにいる。
私たちの身体には、おならにたいする嫌悪や羞恥がどうしようもなく染みついてしまっている。

だれかがおならをしたとき、あるいはうっかりと自分がしてしまったとき、嫌悪反応・羞恥反応がどうしようもなく生まれてしまう。
その反応が相手に向けられたり、自分自身に向けられるとき、暴力的な言動となってしまう。

もしそれが嫌で、どうにかしたいのなら、別の選択肢を身につけるしかない。
自分のなかにどうしようもなく生まれる反応は、積年の教育や経験によって植えつけられた「痛み」から来るものだ。
自分のなかにそのような痛みがあることに気づき、そして満たされないニーズを嘆く。

満たされないのは配慮や気遣い、生理的安全、平和といったところだろうか(人によって違うだろう)。

だれかがおならをする。
「やられたー! 自分の前でおならをされるのがほんとに嫌で、腹が立つんだ。ほんとにほんとにこれが嫌いで、居心地が悪いんだよ」
満たされないニーズを嘆く。
嘆ききる。
ひとりで。

自分がおならをしてしまったときもおなじ。
嘆ききることができれば、反応もすこしずつ変わってくるかもしれない。
おならのことだけではないよ。

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