朗読でマインドフルネスからフロー状態へ(末期ガンをサーフする(23))
10月8日、火曜日。午前10時。
23回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。
たまらん坂の体調計測器によれば、今日の体調は10のうち5くらい。
あまり快調とはいえない。
*
ティク・ナット・ハンの本に出会い、その後彼のさまざまな活動やことばを知るにつれ、ますますマインドフルにいまこの瞬間を生きることの大切さを感じるようになった。
呼吸を観察することからはじまって、自分の身体を観察する——刻一刻と変化する身体のようすを見届ける——練習やワークをつづけると同時に、朗読表現においてもマインドフルネスを取りいれるようになっていった。
朗読という行為は、目の前に書かれている文字列を声に出して読みあげる、ただそれだけのことだが、そこには思考がはいりこむ余地がたくさんある。
ことばやストーリーの意味、作者の意図、作品の書かれた背景、イントネーションや発声などテクニカルなこと、聴き手によく思われるための企て、自分を誇示するための演出効果など、かんがえだしたらキリがない。
現代朗読ではその「かんがえたらキリがない」朗読行為に、マインドフルネスを持ちこむ。
さまざまな思考を捨て、ただただ自分の声と身体を観察し、その変化とともにいつづける練習をする。
目の前にあるテキストは、ただ文字列として読みあげるためだけにある。
歩くときに歩道がただ歩くための道すじとして自分の前にあるのとおなじだ。
やってみるとわかるのだが、「テキストを読みあげる」という単純行為のなかで自分自身の身体に注目し、その変化を見逃さず、「いまここ」にいつづけるのは、かなり忙しく大変だ。
最初はまったく自分の身体に注意が向かず、そもそもそういう感受性すらなく、余計な思考ばかりがつぎつぎと生まれてまったく集中できない。
それでも練習をつづけ、身体観察する感受性がすこしずつ育っていくと、しだいに思考が頭のなかから追いだされていき、脳と神経系は自分の変化をとらえるために観察に忙しくなる。
それはまさに「いまここ」の生きた自分を感じつづけている瞬間だ。
マインドフルの練習が進んでくると、観察は自分の身体状況だけでなく、自分がまわりの環境から受け取っているさまざまな情報にも気づくようになってくる。
音、空気、建物、いっしょにいる人たちのようすや動き……
うまく集中できると、自分のなかを膨大な情報が流れ、変化していくようすを、客観的に観察できるようになる。
これはまさに「フロー」と呼ばれる状態である。
自分とまわりのことに気づきつづけていると同時に、自分がおこなっていることにも完全に集中し、能力を最大限に発揮できる状態。
このフロー状態にはいるための練習として、朗読という行為が非常に有効であることに私も、現代朗読のメンバーも気づくことになった。
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