国立共感ランチ転じて共感閑話

共感カフェならぬ共感ランチに、近所にお住まいの治療師の藤田さんが来てくれました。
藤田さんとは不思議なご縁があって、最初は羽根木の家に共感カフェと現代朗読の勉強会においでいただいたのです。

そのきっかけとなったのは朗読家の野々宮卯妙で、彼女が国立でやっていたNVCの集まりの春野会に参加したとき、藤田さんとお会いしたのです。

私はそのときそこにはいなくて、藤田さんが野々宮のやっている朗読に興味を持ってくれて、羽根木の家に来てくれることになりました。

以来、藤田さんとは朗読でも共感的コミュニケーションでも治療会でも、音楽瞑想ワークショップでもマインドフル練習会でも、何度もご一緒し、そして偶然にも藤田さんの治療室がある国立に私も越すことになりました。

藤田さんがおこなっている治療だけでなく、そこにいたるさまざまな経験や世界観、興味の向かっておられる方向は、私にとっても示唆の多いことばかりで、いっしょにいるだけで刺激的な方です。
共感ランチでも、これからの共感的コミュニケーションの方向性やありかた、変容の可能性などについて話ができて、刺激的でした。

マーシャル・ローゼンバーグが提唱し体系化したNVC(=Nonviolent Communication/非暴力コミュニケーション)は非常にすぐれたもので、人種や年齢、性別などすべてを超えて人と人が思いやりをもってつながり、お互いに尊重しあうことができるようになる、まさにいま、この現代に必要で大変有効な方法です。
日本はもとより、世界中で学ばれています。

普遍的な方法ではありますが、コミュニケーションである以上、やはりまずは言語をもちいます。
日本で学ぶには、日本語を用いることになります。
外国からトレーナーを招聘してワークショップを開催するにしても、通訳が必要です。
英語がわかる人にしか学べない、というものであってはなりません。

私も微力ながら、自分なりに消化したり、経験した事例をもとに、日本語で『共感きコミュニケーション』という解説本を書きましたが、最近はそれだけでは物足りなく感じています。
NVCの考え方や方法は言語を超えてすべての人に役に立つもので、もちろん日本人にとっても有効なものです。
が、英語で書かれたり、英語で教えられたものを「翻訳する」という作業をとおして日本語化されたものを、私たちは学んでいます。

そうではなく、日本人としてNVCを身体化し、おもいやりのつながりを体現できたとき、そこには日本語オリジナルとしてどのような言語化がありうるだろうか、日本語として再体系化されたNVCはいったいどんなことばで語られることになるのだろうか、といいう興味が、私にはあります。

そのことを藤田さんとお昼ご飯を食べながら話をしていました。
藤田さんも「英語から翻訳された体系としてのNVC」にはどうしても違和感をぬぐえないとおっしゃいます。
私のなかにもそれはずっとあります。
最近は慣れてしまって、違和感を感じることは少なくなりましたが、そのこと自体が問題です。

私はもちろん、自分がNVCを身体化できているなどとおこがましいことは思っていませんが、自分がNVCを完全に身体化していることをイメージしたとき、それを説明する言葉としてどのようなものが紡ぎ出されてくるのか、大変興味があります。
とても難しいことかもしれませんが、それに挑戦してみたい気持ちがむくむくと湧き出てきているのです。

9月開催:水城ゆうのオンライン共感カフェ(9.15/22/30)
自宅や好きな場所にいながらにして気軽に参加できる、ネットミーティングシステム(zoom)を利用した共感的コミュニケーションの60分勉強会、9月の開催は9月15(木)16時・20時/22(木)20時/30(金)20時です。

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