韓氏意拳に出会いあらたな身体観・自然観を得る(末期ガンをサーフする(25))
10月10日、木曜日。午前10時。
25回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。
今日は放射線治療科と外科のそれぞれの担当医の診察があると言うので早めに行って、採血を済ませておく。
採血後、いつもの放射線治療を受けて、その後診療放射線科の担当医の診察を受ける。
おおむね順調であること、ただし食欲が落ち気味であること、食事がちゃんと取れないと体重がジリ貧になっていくこと、時々軽い嘔吐感があって食事が取りにくくなること、全体的に倦怠感が強まる日があること、などを伝える。
放射線治療の副作用としてはよくあることで、特に大きな問題はなさそう、まずまず順調に行っているのではないかという見立てだった。
明日は治療計画を見直すためにX線の写真を取り直してプログラムを組みなおすとの事、それで少し時間がかかるかもしれないと言われた。
*
ステージⅣの食道ガンを告知されて、取りみだすことなくこれからのことや、日々のすごしかたを落ち着いてかんがえられているのは、ここ20年来取りくんできているさまざまことが役に立っているからだ。
マインドフルネス、音楽瞑想、現代朗読や沈黙の朗読、非暴力コミュニケーション。
そしてとりわけ、これらのなかでももっともパワフルなものが、韓氏意拳という武術に出会ったことだと断言できる。
現代朗読の研究と実践から、朗読をふくむすべての表現は身体性と深く関わりがあると確信するようになった。
私は朗読はしないが(演出のみ)、ピアノを弾くし、小説も書く。
表現行為と身体性の関わりについて興味を持つにつれて、ヨガやアレクサンダーテクニーク、いくつかのスポーツなど、さまざまなボディワークにもチャレンジしてみた。
その過程で、身体にたいしてかなり特殊なアプローチをする武術があることを知った。
音声表現仲間でボイスパフォーマンスの徳久ウイリアムくんと、現代朗読とのコラボワークをおこなったとき、たまたま彼が、
「この本、おもしろいですよ」
といって、持っていた本を見せてくれた。
尹雄大著『FLOW―韓氏意拳の哲学』という書物で、すこし読ませてもらったが、いったいなにが書かれているのか、そのときはさっぱり理解できなかった。
仮にも文筆を仕事にしてきた人間だ、かなり難解な内容であっても、なにかの本を読んでよく理解できないということはまずない。
しかし、その本はちがった。
そのせいで、韓氏意拳という武術について、頭のすみに引っかかっていたのだろう。
ある日、こちらも気になってフォローしていた古武術研究家の甲野善紀氏のツイッターに、韓氏意拳についての言及があり、またその体験講習会があることも紹介されていた。
中野の区民センターでおこなわれていた体験講習会に出かけてみることにした。
2013年の初夏のことだ。
初めての体験講習は、書物と同様、なにがなんだかさっぱりわからないうちに終わってしまった印象がある。
が、そのあまりのわからなさに、ここにはなにかあると直感した私は、つづけて参加することにして、日本韓氏意拳学会にも入会を申しこんだ(なぜか韓氏意拳は学会になっている)。
それから足かけ7年、このやや特殊な武術が私にもたらしてくれた身体観や自然観は、観念的なものではなく、自分の身体を使った稽古を通して深く得られたもので、末期ガンという病についての自分の姿勢にも大きく影響している。
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