発見から3か月、放射線治療が決まる(末期ガンをサーフする(19))

昨日は調子よかったけれど、今日は若干、低調。
たまらん坂を歩いてのぼると、かなり正確に体調がわかる。
体調が乱高下するのも当然だよな、と思う。
通常のX線撮影の100倍以上もの線量を毎日被爆しているわけだから。
照射部位は焼けただれているに近いようなものかもしれない。
人によっては嘔吐感で食事も取れなくなるらしいが、私の場合はそこまで副作用は出ていない。

10月1日、火曜日。午前10時。
19回めの放射線治療のために東京都立多摩総合医療センターに行く。

  *

抗ガン剤治療とちがって放射線治療の場合は通院ですむ。
副作用の問題もそうだが、入院しなくてすむというのは大きな利点だった。

放射線で治療するという方針が決まったら、話は明快だった。
お盆休みをはさんで、放射線治療のための検査を受け、治療プログラムを作る。
治療のためのプログラムや装置の準備があるらしく、スタートするまでにある程度の日数が必要だということだったが、方針が決まったからには一刻を争うという日程でもなくなった。

お盆休みにちょうど福井県立病院でピアノコンサートをおこなう予定がはいっていた。
これは年に4回、ここ6、7年ずっとつづいているコンサートで、毎回かならず聴きに来てくれる人がいたり、病院側も暖かく歓迎してくれていたり、また私自身にとってもとても大切な演奏機会なのだった。

もし抗ガン剤治療がはじまるとしたら、この日程がつぶれるかもしれないということが、私には気がかりだった。
人にいわせれば、
「命にかかわるガンの治療のほうがピアノコンサートなどより大事に決まってる」
ということかもしれないが、私にはそうではない。
たとえ命をながらえたとしても、自分の命を表現する力や機会がそこなわれてしまったとしたら、その意味は変わってきてしまうのだ。

私は予定どおり、福井の実家に帰省し、予定どおりピアノコンサートをおこなうことができた。
演奏は完全に満足できるものではなかったが、私なりにベストをつくすことができた。
また、聴きに来てくれた人たちや病院の関係者、取材に来た地元の新聞社の若い記者らと、またとない交流の機会を得ることができた。
かけがえのない時間をすごすことができて、自分の命が喜んでいるのを感じていた。

お盆明けの8月19日にふたたびがん研有明病院に行き、放射線治療科の医師の診察を受けた。
相談の結果、有明病院まで毎日通院するのは大変だろうということで、同内容の治療を受けることができる多摩総合医療センターに再紹介してもらって、転院することになった。
こちらだと歩いていける距離で、毎日の通院もさほど負担ではない。

その週のうちに多摩センターに行き、最初の担当医だった消化器外科のI先生と会い、放射線治療科への引き継ぎをしてもらった。
I先生は私にセカンドオピニオンをすすめてくれた人だが、結局またこちらにもどってきた、結局のところ、最初から私が希望していた「抗ガン剤治療ではなく放射線治療を」という内容に帰ってくることになったわけだ。

さらに翌週、8月28日に、放射線治療計画を作るためのCT検査を受けた。
最初に食道ガンが見つかってから、ちょうど3か月が経過していた。

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