親密な者からの命令やアドバイスの強要に対処する

とくにステージⅣのガンであることがわかったときから(またそれを開示したときから)、さまざまな人からさまざまな情報やアドバイスが寄せられた。
またそれは現在進行形でもある(いまもたくさん個人メッセージをいただく)。

ガンでなくても、普通に生活していれば、人は家族や友人からさまざまなアドバイスをもらったり、ときには命令されたり、なにかを強要されることはある。

私の場合、
「すぐに○○という医者に行け」
「○○という治療法を受けろ」
「これを食べろ、あれは食べるな」
など、いろいろな指示を個別に受けた。
オープンなメッセージやコメントでいってくる者もいるが、たいていはメールやダイレクトメッセージなど、個人的に直接いってくる場合がほとんどだ。

そんなとき、こちらの気持ちはとても揺れる。
不安をあおられるような気になることもある。
そのことで相手に怒りを覚えることもある。
「ほうっといてくれ」
というわけだ。

私は自分の自主性を大事にしている。
自分自身の選択を大事にしている。
自由や平和を望んでいる。
情報や手助けが必要なときは、こちらからそうお願いするよ。
それを土足で踏みにじられるような気がして、気持ちが激しく揺れ動くのだ。

命令という強い語形でなくても、こちらの気持ちをおもんぱかった、気遣いに満ちたやんわりとしたメッセージが送られてくることもある。
しかしそこには結局、
「こうしたほうがいいよ」
という、強要の感じがひそんでいることが多い。

しかしそういう人たちにもなんらかのニーズがある。
まずは私のことを心配してくれている。
なんとか役に立ちたいと思ってくれている。

関係が私と近ければ近いほど、親しければ親しいほど、私に向けられるメッセージは強いものになりがちだ。
たとえば家族、たとえば親友、たとえば同僚、たとえば同級生。
そこに上下関係がふくまれていたりすると、さらに強要感はつよくなりがちだ。
家族でも親や曾祖父など年上・目上の人。
職場だったら上司や雇用主、客先など。

こちらの役に立ちたいと思う気持ちが、さらに走って、たんなる自己表現や自分の意見の押しつけになってしまう人もいる。

そんなとき、こちらはどうすればいいだろう。

まずは自分と相手を切りはなすこと。
自分には自分の大切にしていることがあり、また相手にも相手の大切にしていることがある、ということを再確認し、自分自身にまず立ちもどる。
自分が大切にしていることをあらためて把握しなおす。
上に書いたような自主性、選択、自由、平和といったようなニーズ(価値観)だ。

相手もなにかを大切にしている。
なにを大切にしているのだろうか。
こちらに命令したり、強い調子でアドバイスしたり、気遣いたっぷりに有用だと思っている情報をお腹いっぱいになるくらいたくさんくれたりする、そのニーズはなんだろうか。
それを想像してみる。
相手にも相手のニーズがあるのだ。

ありがたいことではないか。
こんなにも心配してくれる人がいる。
こんなにも私の役に立ちたいと思っている人たちがいる。
それに感謝しつつ、自分は自分の揺るぎない立ち位置を確認し、落ち着く必要がある。

必要ならば助けを求めることもできるし、情報を受け取ることもできる。
しかしそれは、こちらが落ち着きを取りもどし、ゆとりをもって自分の選択ができるようになってからだ。
まずは、
「心配してくれてありがとう」
と伝えよう。
そして自分の揺るぎない選択肢を確認しよう。
選択に迷うときは信頼できる相手にそれを伝え、自分自身の選択にたどりつくための手助けをお願いすればいい。

結局のところ、私もあなたも自分の人生を生きているのだ。
いまこの瞬間という自分の時間を、自分で選びとって生きているのだ。

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