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【日本×フィリピンのハーフMomoさん②】自分の人生を生きたくて、、、

この記事は、【日本×フィリピンのハーフMomoさん①】の続編(完結編)です。

前記事では、日本×フィリピンのハーフMomoさんの幼少期~中学生の頃のライフストーリーをつづってきました♪

この記事はその続編(完結編)で、Momoさんの主に社会人になってからのライフストーリーを書き手Yumiとの対話形式でつづっていきます。

【Momoさん社会人期①】ハーフには何を聞いてOK?

ひそひそ

Momo:つい1年くらい前に結婚したんですけど、旦那さんにも結婚するまで、自分がフィリピンとのハーフであるということを言わなかったんです。

彼とは、学生の時から10年間、付き合ったんですけど、ハーフであることを話したら嫌われるじゃないかとおもって言えなかったんですよね。

Yumi:ということは、中学生の時からつい最近までハーフであるということを自分から言えなかったんですね?

Momo:わたしの家族自体は仲良しなので、家族の話は、彼にもしてきたけど、母がフィリピン人ということだけは言ってきませんでした。母のことを彼に打ち明けるときも泣きながら、「打ち明けたいことがある」と話したくらいです。

Yumi:中学生の時から本当に長い間、自分のハーフという部分を押し込めて生きてきたんですね。。。

自己開示できなくなった原因は、先に話してくれた中学生の時の実体験も大きいことだと思いますが、他にも原因になったことはあるんでしょうか?他の実体験とか、Momoさんが感じる世の中の視線とか。

Momo:ハーフって分かった途端、人って土足でプライベートな事情まで聞いてきませんか?たとえば、両親ってどうやって出会ったの?とか。

わたしが今まで実際に言われたことでいうと、出稼ぎにきたフィリピン女性が日本人男性を捕まえて結婚したんでしょ?とか、パブで出会ったんでしょ?とか。

家族のことって普段なかなか他人には開示しないことじゃないですか?ましてや両親の出会いのことなんて話さない。

でも、母が外国籍と分かった時点で、急に踏み込んでそういうことを聞いてくる。なんて失礼なんだろうと思います。

そんな失礼な態度をとられ、嫌な思いをするくらいならハーフっていうこと自分からは言わないようにしようとなる訳ですよ。

Yumi:日本人って他人のプライベートをそこまで聞きそうにないイメージはあるけど、、、実は、意外と失礼な人もいるもんですね。。。

まだまだ日本も、少し違うと好奇の目で見る、イジるみたいなところありますよね。。。

わたしも肌で感じる場面は多々あります。これはハーフに限ったことではないでしょうけど。

どんな人に対しても、好奇の目でみる、イジるではなく、まずは、リスペクトをもって接する環境があれば、不用意に傷つく人は減るんじゃないかなあ。

Momo:環境が自分に与える影響ってすごくあるなって実感しています。

小学校の頃のわたしはハーフである自分を周りに開示していたし、ハーフであることを誇らしく思っていた。でも、中学生の時は真逆になったわけですよ。。。

Momoというわたし自身はそのままだったのに、環境がかわっただけでこんなにも自己表現の在り方が変ってしまったわけです。

Yumi:でも、そうした環境を超えたから、今のMomoさんは、自分で自分をハーフだと開示するようになったんですよね?そこに至るには、どんな経験や契機があったんですか?

【Momoさん社会人期②】自分の人生を生きたくて、、、

看護師

Momo:何か大きなきっかけがあった訳ではないのですが、看護師として社会人経験を積む中で、だんだんと”みんなと違っていていいんだ”と思えるようになってきたんですよね。

社会に出て、色んな個性をもった人との出会いが重なる中で、”自分って誰の目をそんなに気にして生きてきたんだろう?”と思うようになりました。

このまま本当の自分を隠して生きていくのも、フィリピン人の母にも失礼だし、自分自身を自分で否定してしまっていることだとおもうようになりました。

Yumi:学生時代にみえている世界って、大人になった今からすると狭い世界ですよね。だからこそ、個性を尊重する雰囲気が学校教育の中にも必要におもいますね。

Momo:あと、自己啓発本を読む中で、世の中っていろんなことをやって生きている人もいるんだというのを知るようになったのも、自分らしさを出して生きていこうとおもったきっかけの一つかもしれないです。

それからは、自分の働き方さえも変えていこうとおもって、ナースの資格や業界に縛られず、今は、フリーランスとして自分の個性を活かした仕事をしたいとおもって奮闘している最中なんですよ。

自分の人生を生きていきたいです!

Yumi:みんなと同化しなきゃとおもっていた中学生時代から、今や自分らしさを磨いて”個で立つ生き方”をしたいと努力されているんですね。

でも、Momoさんのように、自分で自分自身を解放(自己開示)することのできる人がいる一方、それができない人もいると思うんですね。

実際にわたしの友人の中にも、20数年生きてきて、はじめてわたしに、「実は、●●とのハーフなんだ」と打ち明けてくれた人もいます。その人はまだまだ自分のハーフの部分を公には開示できなくて、もどかしくて苦しんでいる部分があるようなんですよね。。。

Momoさんならその人にどんなことを言ってあげられそうですか?

Momo:そうですね、”他人軸ではなく、自分軸で考える”ですかね。

わたしも過去は”自分がフィリピンのハーフって知られたら、どんな目でみられて、どんな仕打ちをうけるんだろう”と自分の中で勝手にストーリーをつくりあげて自分で自分を押し込めてばかりいたんですね。

でも、そんな考えをしてしまうのもわたしだし、そんな自分も含めて自分なんだと自分がつくりあげた他人軸からある意味吹っ切れるようにいつの間にかなっていました。

Yumiさんのお友達の告白は、すごい勇気ですよ。きっとその方も自然に自己開示できる日がくるとおもいます。

わたしも今のように自己開示できるようになるまで10年かかりましたから。。。

Yumi:Momoさんは自分でつくりあげてしまったストーリーに縛られていたといいましたが、そうなってしまうような世の中の雰囲気も少なからずありますよね。決してMomoさん自身のせいだけではない。

Momo:多国籍の国であれば、ハーフだから特別扱いということは少ないでしょうね。そういう国の雰囲気が日本にもあればなあとおもいます。

【Momoさんからお母様へ】母が母でよかった。

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Yumi:ここまでMomoさんのお話を聞きながら、MomoさんがMomoさんのお母さんを本当に好きなんだなっておもいました。

Momoさんは、フィリピンのハーフということを開示して受けた過去の傷が深かったにもかかわらず、ハーフの自分を開示しないことは、母を否定してしまうことだから申し訳ないと言っていましたね。

折角の機会なので、MomoさんからMomoさんのお母様に伝えたいことがあったら聞きたいです。

(書き手Yumiは相当なママっ子&一児のママなのでこの質問しながら泣いてます笑。)

Momo:中学生の時、母のことは好きだけど、まわりは母のことを認められないんだと思っていたんですよね。

わたしの母が好きだという気持ちと母を守るためには、自分がハーフだということを言わないのが最善の方法だと当時は、思っていたんです。それはもちろんすごく苦しいことだったんですけどね。

(Momoさんもここで涙。少しの間。。。)

でも、今、社会人経験を経て思うことは、”母が母でよかった”

フィリピン人の母の元に生まれたから感じられる気持ちや価値観が分かることができて、母の元に生まれて良かったってすごく感じています。

母は日本語がとても流ちょうなんですが、やっぱり日本語だけでは伝えられないニュアンスがあると思うので、わたしも母の気持ちがもっと分かるようにフィリピンの言語を学びたいとおもいます。

もっと母と心からのコミュニケーションがとれるようになりたいです。

Yumi:こんなMomoさんの気持ちをMomoさんのお母様が知ったらとても喜ばれるとおもいます。

Momo:いままで母にはこうした話はしてきたことはないんですね。母に「ママが外国人っていうことちゃんと言ってる?」って聞かれたことはあるんですけどね。母もきっと色々と気にしていてくれたんだなとは思います。

【おわりに】美談で終わらせたくないハーフの痛み

今回、Momoさんには日本×フィリピンのハーフという背景を切り口にライフストーリーのインタビューをさせて頂きました。

Momoさんのハーフの自分を開示できないという過去の葛藤は、今やMomoさんのタフでポジティブな性格+社会人経験によって、開示できるもの、むしろ、自分らしさの一つとして磨いて発信していきたいものになりました。

Momoさんはたしかに素晴らしいですが、Momoさんの話をただの美談として終わらせたくありません。

過去の葛藤があったからこそ、今のタフなMomoさんがあることは事実でしょうが、その葛藤は彼女が、経験すべきものだったのでしょうか?

"痛み無しに得るものは無い"といいますが、Momoさんの過去の痛みは、Momoさんが受けるべき痛みだったのでしょうか?

それは当然ノーだとおもいます。

もしも、Momoさんがハーフだからという理不尽な理由で傷つくような環境が過去に全くなかったらどうでしょう?

10年もかからない間に、Momoさんはハーフという部分も含めた”自分らしさ”を活かしてもっと幅広く活躍されていたかもしれません。

”もしも”ということは当然ありえないのですが、そんなことを思うとわたしは胸が痛いし、残念でならないのです。。。

どうかこの記事を通じて、Momoさんのハーフとしての痛みを真剣に考えて、周りの人の気持ち、立場、個性を考えられる人が少しでも増えることを願うばかりです。

今一度、考えさせられるお話をたくさんしてくれたMomoさん本当にありがとう。





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