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2024年6月11日|きょうのひとこと

6/8に山形で開催されたLIVE DESIGN School吉野さんレクチャーやその後の街歩き、そして山形市探索のなかで、吉野さんや他参加者さんの言葉が刺さりまくっていた私ですが(たいていなんでも刺さりまくっているのは置いておいて)、そのなかでもとくに印象的だった言葉をご紹介します。


吉野さん「ぼくの経験上、住んでいるまちが嫌い、と言っている人は周囲との関係性をうまく築けていないことが多いし、住んでいるまちが好き、と言っている人は周囲との人間関係が良好なことが多い。好き嫌いにまちの性質や特徴はあんまり関係なくて、結局はそのひと個人が辛いか、もしくは幸せかの問題だったりするように思う」

私はいわき市小名浜の生まれで郡山の生まれではないけれど、郡山で青春時代の大半を過ごして、郡山に帰ってきた人間です。

郡山ってとくにこれといった目立った特徴もないし、まあ便利っちゃ便利だけどそれだけといえばそれだけだし、都会でもない、かといってド田舎でもない。

あらゆる意味で中途半端なまちーーーといわれたらそれは本当にそうなのですが、けれども私は郡山というまちが好きです。


郡山には学生時代の思い出があるし、同級生や友人も多く住んでいるし、なんだったら東京から移住してきてからできた新たな友人や同僚にも恵まれて、毎日たのしい時間を過ごせている。

その印象が、私の「郡山ってすきだなぁ」「いいまちだなぁ」という印象に繋がっていると、吉野さんのお言葉を踏まえてひときわ思うようになりました。


 そして私のなかでの完全な印象ですが、郡山のとおくとおくとお〜〜〜く離れた親戚のようなまちが、私のなかでは、あの大都会『新宿』で。

繁華街との距離の近さや雑多で猥雑な雰囲気が似通っているからだと思うのですが、だからこそ私は、東京のどんなおしゃれでキレイなまちより、新宿の方がけっこう上位ですきだったりします。

つまり、郡山がすきだから、そのとお〜〜〜〜〜い親戚のように感じる雰囲気の新宿も必然的に好きになってしまっている、という…。



 友人や信頼できるひととの関係を大事にしていくだけで、いま住んでいる何てことないまちを好きに思える。



 そういうひとが増えたら、ハード面はなんにも変わっていないのに(そして外側からはまったくよくわからない理屈で)“なんだかいいまち”、ができあがっていきそうな気もしてます。


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