アビスパ福岡:失敗の歴史1995-2014:第2章:アビスパ福岡改名と末安剛明社長の失敗

第2章目次
1:失敗の始まりは「アビスパ福岡」への改名
2:解体されたJFL最強クラブ:福岡ブルックス
3:1996年のアビスパ福岡:西鉄ライオンズの幻影を押しつける経営陣
4::1997年&1998年:「チームが勝てば、観客も増えて経営が安定する」ギャンブル経営の失敗
5:二つの幸運、「横浜F合併劇」と「コンサドーレ札幌迷走」でJに生き残ったアビスパ
6:残留はしたけれど経営規模縮小、そして末安は退任
7:末安の失敗:簡単なまとめ

1失敗の始まりは「アビスパ福岡」への改名

 「失敗の始まり」は、何といってもチーム名が「福岡ブルックス」から「アビスパ福岡」に変わったことである。変更を余儀なくされたのは「ブルックス」という名前が、米国アパレルメーカー「ブルックス・ブラザーズ」など他の商標登録に抵触する恐れがあったためだ。当時の記事では商標登録問題などから市民公募を断念、球団役員会で検討して名前を決めたとある。
だが、福岡昇格以前のJクラブの多くは公募で名前を決めていた。また96年以後も多くのチームが公募で名前を決めている。公募という方法は多くの地元市民に参加してもらい「おらが街のクラブ」という意識を持たせることに非常に有効な方法である。福岡のプロスポーツの歴史でも「西鉄ライオンズという名前」は公募で選ばれていた。時間がなかったという言い訳も非常に苦しいだろう。間違いなく早い時期から、商標権の問題で「ブルックスという名前が使えない」ということは分かっていたはずだし、95シーズン前半の独走で、かなり早い時期から「昇格は間違いないだろう」という雰囲気があった。その気になれば、「公募」する時間は十分にあったのだ。
だが「市民クラブを目指すクラブ」にしては、多くの福岡県民にとって非常に不透明で釈然としないまま、唐突にブルックスは「アビスパ」という名前に変わり「愛称はクマンバチ」となってしまった。後に商標権の問題で大分が「トリニティ」から「トリニータ」、熊本が「ロッソ」から「ロアッソ」と名前を変えたが、大分や熊本のように「元のブルックスという名前を生かそう」という発想も全く感じられなかった。

どこから唐突に「アビスパ」という名前が出てきたのか?

 末安はアビスパという名前の由来に関して、Jリーグ昇格決定当時のラジオ番組では次のように説明している。
末安:「アビス」というのがラテン語で「鳥が飛び立つ」とか、あるいは「空高く飛翔する」とか、そういう言葉があるんですね。それとまた「アビスパ」というのはスペイン語で「クマンバチ」という訳があるわけですが、私が目指すサッカーが、蜂の集団として俊敏で統率がとれて、しかも、ある時は攻撃的に、そしてグッと一刺しやって、そういうサッカースタイルを目指したいということで、クラブの関係者といろいろ打ち合わせしまして、「アビス」もいいし「アビスパ」もまたいいということで決めた次第です。(中略)「アビスパ」はスペイン語で「クマンバチ」という意味があるんで、これをモチーフにしまして、クマンバチをより身近に、強く、そして右手に持った槍は、福岡にちなんで黒田節の槍をイメージしまして、それの組み合わせでやったわけです。

 末安の説明には、いくつかの辻褄が合わない点があるので、それを解明していきたい。
まず「クマンバチ」とは正式な名称ではなく日本全国で使われる方言で、主にハナバチ系のクマバチのことをさすが、場所によってはスズメバチのことをクマンバチと呼ぶところもある。筆者が福岡在住の時の記憶でも、クマバチとスズメバチのことを、かなり混同してクマンバチと呼んでいた人がいる記憶があるのだ。
またスペイン語でAvispaは「クマバチ」ではなく「スズメバチ」を意味している。スペイン語でクマバチはAbeja carpinteraであり日本語訳すれば「大工蜂」と呼ぶのだ。当時の球団幹部は「スズメよりクマの方が迫力がある」という理由で日本語の愛称としては「クマンバチ」を使うと説明している。だが行動特性を見ると「クマバチは単独行動」で、「スズメバチは集団行動をする」特性なのだ。「蜂の集団として俊敏で統率がとれて」ということならば「クマバチ」より「スズメバチ」の方が合致している。さらにマスコットのアビーのカラーリングも黄色と黒のストライプ模様(クマバチの方は胸が黄色で胴体は黒、ストライプ模様ではない)ということで、明らかにスズメバチのことを想定していたように思われるのだ。
 また鹿島アントラーズの名前の由来となった「鹿島神宮の鹿」やプロ野球:広島カープの鯉(広島城の別名である鯉城が由来)のように、福岡県民、福岡市民に「スズメバチ」に対する特別なイメージがあるわけではなかったし、福岡県に、特にスズメバチが多くいるということもない。当時の福岡県民にとってスズメバチが特に「思い入れ」があるものでは全くといいほどなかったのだ。。
 当時の先輩地方Jクラブとしては、鹿島の他に広島や名古屋があった。サンフレッチェは広島にゆかりの深い戦国武将、毛利元就の「三本の矢」の故事に由来し、グランパスエイトという名前は名古屋城のシンボルであったシャチホコに由来があった。
アビスパより後発の地方クラブとしては札幌のコンサドーレは北海道民を意味する「どさん子」に由来してるし、仙台の「ブランメル」は地元ゆかりの戦国武将・伊達正宗に、改名した後の「ベガルタ」は仙台七夕祭りを由来に持つ。いずれも、それぞれの地方に由来があり、地元市民に「親しみやすさ」、「シビックプライド(我が街の誇り。市民の誇り)」を感じさせるものだった。
 福岡の名前変更の失敗は2つある。運営会社名には「ブルックス」という名前を残したものの「元々の名前」を尊重しなかったこと。市民クラブを目指すといいながら、公募という手段を取らずに市民参加の機会を奪ってしまったこと。さらに強引に改名した名前も地元の歴史や特色などに全く由来しない名前、シビックプライドを全く感じさせない名前に変えてしまったことだ。筆者も改名のニュースを聞いた時に、「何、その変な名前」としか思わなかった記憶しかない。この改名がアビスパが「早期に地元に根付くことを阻害した」のは間違いないと思うのだ。
「地元の由来が弱い」ということは当時の末安社長も意識していたようで、「クマンバチの持つ槍は福岡にちなんだ黒田節の槍をイメージしている」という発言もしているが、2024年現在、その槍が「黒田節の槍」であることは、アビスパサポーターの間でも、残念ながら「全く浸透していない」のである。
 
さて「クマンバチという愛称がどこから来たのか?」についてだが、ここに非常に興味深い記事を紹介したい。

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