学級目標の効果
みなさんの小学生時代
学級目標はありましたか?
あるとしたら、どんな学級目標だったか覚えていますか??
残念ながら、覚えていないという人は少なくないのではないでしょうか
学校には多くの目標やめあてがあります。
学校教育目標
生活目標
児童会目標
学年目標
学級目標、、、、、etc
こうした中で
「学級目標はいらないんじゃない?」
という声も聞かれてきます。
私は、学級目標は
絶対に必要なもの
だと思っています。
今日はその理由と、どのような学級目標がいいのかという話をしたいなと思います
1 学級目標の必要性
そもそも、公立小学校に集まる子どもたちは多種多様です。共通点は、
・同じ年齢であること
・同じ学区に住んでいること
ぐらいですよね
そういった中、集められた子どもたち、、、
少々乱暴な言い方をすれば
たまたまそこに集められただけ
なんです
ただ、そのメンバーで集団を学びながら仲間と共に成長していかなけらばならない。(教師側から見れば成長させなけばならない)
考えも違う、家庭も違う
全てが違う人が集まって、ただみんなで高め合いなさいなんて言われたって、難しいですよね
少なくとも、大人になってからの集団は、同じ目的、同じ思想など、共通のものがあって集団になっています
ファンクラブとかもそうですよね
そう考えると、『ただ集められただけ』の集団を集団たらしめるには、共通のゴールが必要です
そう、それが学級目標です
学級目標は、保護者・教師・子どものそれぞれの願いが集まって形成されるものです。まあ、一番は子どもだと思いますけどね
そこで、共通のゴールをもち、前進して行くからこそ、バラバラな個がつながり合い、高めあうより良い集団へと近づいていくのだと僕は思うんですよ
2 よい学級目標とは何か
では、どのような学級目標がよいと言えるのでしょうか。どんな授業もそうですが、学級目標は一度決めてしまえばやり直しをすることができません。
よくない学級目標を立ててしまえば、よくないゴールに対して1年間をかけて前進するというとんでもない不幸を招くことになります
そして、悲しいことに教師側から見ても学級目標を決めるチャンスは年に1回しかないのです。10年目でも10回、、、だからこそ、よくよく学んでいかないと一向に学級目標の立て方が上達しないんですよね。私もそうでした、、(まあ、子どもたちからしたら、その学年は1度きりだから、なおのことかけがえがないですよね、、、)
話を戻します。どんな学級目標がいいのか
それは
振り返りができる学級目標です
え?じゃあ、具体的な行動目標がいいの?
低学年はそういうわかりやすいのがいいと思います
例えば、
明るく元気いっぱいの1ー1
みたいなのとかがよくありますよね
めちゃ適当に考えたものですが、この学級目標に関して言えば「明るく元気いっぱい」であればそれで学級目標は達成なのです。
では、高学年はどうか
高学年になると一気に抽象的なものが増えますよね
例えば
「銀河」みたいな感じのもの
これだけだとどのような目標なのかわかりにくいですよね
ただ、ここで大事なのはそこに子どもなりのイメージが明確にあるかどうかです
そのクラスの子どもに学級目標の意味を尋ねたときに、
「一人一人の個性が星のように集まって1つの銀河を作るイメージなんですよ。みんな活躍して学級を作り上げるみたいな」
などと答えられるならOK。
抽象的な目標の良さは、行動目標に比べて目指すところが複雑で高次元のものをねらえるということですね。
こうしたイメージ意味があれば子どもたちは明確にゴールに向けて進むことができ、「目標に対して今の自分達はどうか」と、振り返ることができるのです。
3 学級目標を形骸化させないために
じゃあ、学級目標を頑張って作ろう!!
そう思って4月を迎え、1年を終えた3月。イメージしてください。
何人の子が学級目標を言えますか??
言えるのならまだいい方。
あの素敵な銀河の意味まで言える子は果たして何人いるのでしょうか
目標はただ立てているだけでは形骸化します。
きちんと学級目標に対して現在地を確認する作業をしているからこそ、学級目標を意識して行動できるのです
私の場合は学級目標を立てた後、もう一工夫しています。
それは、「学級目標が達成された具体的な姿」をたくさん出させ、学級目標と共に掲示しておくことです。
抽象的な目標ほど、その意味は見失いやすくなります。
「時間を守る」「助け合う」「自分も発言をする」などなど、具体的な姿を無数に列挙しておくことで、どの程度学級目標を達成できているのか子ども自身で確認をすることができるのです。
もちろん、教師の声がけはもちろんのことですが。
4 最後に
無作為に学区と年齢だけで集めることで、不登校やいじめの問題が起こるのでは?といった声も最近耳にします。
しかし、逆いえば、その時期にしかそういった多種多様な仲間と共に過ごすという機会は得られることはありません。
だからこそ、多様な他者と共同する力を養うことができる場ともいえるのではないでしょういか。
一つのねらいに向けて協働していく中でそういった力は付いていくのだと私は考えます。
今日はこれでおしまい。