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黒名ユウの反省会5 空白雑記
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黒名ユウの反省会5 空白雑記
はてなに「空白雑記」というブログがある。
これは、暇空茜が暇空茜になる前――「暇な空白」と名乗っていた頃のブログだ。
2016年から2020年にかけて書き綴られた記事は当初、創作物に対する感想が中心だったが、2019年を境に「ツイフェミの起こす炎上」に関するものが増えていく。
正確には「ツイフェミの起こす炎上」ではなく「弱者がルサンチマンによって起こす炎上」と言うべきか。
弱者がただ弱者として生きるしかなかった時代はインターネットによって終わりを告げ、そのルサンチマン(恨み)は結束力と匿名性を得て暴力と化した。
弱者はもはや「弱者2.0」と呼べるものに進化しており、ルサンチマンもまた「ネオ・ルサンチマン」というべきものになっている。
それは「僻み」や「嫉み」といったレベルを逸脱し、明確に「社会に対する害悪」としての脅威にまで成長しており、民主主義はいずれこの暴力によって滅ぶだろう。
この頃の「暇な空白」氏はそんな予測を持っていたようだ。
今はどう考えているかは知らないが(多分、そんなに変わっていないだろう)、この危機感と諦念が暇空茜の活動の根っこにあるのだと思う。
「ツイフェミ」は反差別思想の信奉者でもなんでもなく、ただルサンチマンによる八つ当たりをしているだけの存在である。
彼ら「弱者2,0」的存在は、やがて、その本質を知り、コントロールする者に利用されるようになっていくだろう。
実際「宇崎ちゃんポスター騒動」での「献血ボイコット」や「草津町長冤罪事件」「ジャニーズ乗っ取り」など、民主主義のルールを無視し「キャンセルカルチャーの暴力」によって相手を自分の意に従わせんとするやり方は、目立つばかりか、ときとして、それがまかり通ってしまうようになってきた。
これは日本ばかりでなく、民主主義国家すべてが直面している危機ではないか。アメリカなどはもう滅茶苦茶になっている印象すらある。
「暇な空白」氏はそのような未来を憂慮しつつも「空白雑記」時代は、だからといって、それをどうこうしようという考えは持っていなかったようだ。
別にそれで国が滅んでもいいじゃないか、栄枯盛衰は世の常だろう。いちいちツイフェミを相手にするとか面倒だから自分はしない。
そんなスタンスだったように見える。
ところが、どんな心境の変化があったのか、2020年を最後に「空白雑記」での活動を止め、noteとYouTubeへと活動の場所を移し――「暇空茜」が誕生する。
「創作物を燃やす奴は許さない」をキャッチフレーズに、炎上を扇動しているように見える胡散臭い相手を調べ、嘘を暴くという過激な活動を始めるのだ。
シュナムル氏を皮切りに、次のターゲットとなったのは一般社団法人colaboの仁藤夢乃氏で、それはNPO法人などの不正会計疑惑の追及となっていくのだが――本来的・本質的には「弱者2.0」「ネオ・ルサンチズム」との戦い。それが暇空茜の活動なのである。
これについては「空白雑記」に「ツイフェミとの戦い方間違ってない?」という記事がある。
「暇空茜」の活動を理解する上で最も重要なコンテンツだと僕は考えているが、この記事の中で「暇な空白」氏はこう述べている。
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これで成果が出ているならそれでいい。ツイフェミが「彼らの理論の問題点の指摘」や「その結果起こる問題の指摘」等に屈して、自分の意見を変え、結果としてツイフェミが矛を収めたり、意見を撤回したりしているならそれを続ければいいと思う。
全くこれっぽっちもそんなことないよね?大衆の反応とかいう曖昧なものではなく、「ツイフェミへの効果」だけでいうとゼロと言っていいはず。
聞く耳を持たない、理屈のわからない相手に、いくら批判を浴びせても効果がないだろうという意見だ。
それどころか、むしろ相手の影響力を高めていることにしかならない、とすら思える。
事実、2019年の当時、あまりにも創作物炎上騒動が頻繁に起こり、論争が行われたせいで、本来、不買行動に発展するような難癖は「異常な行為」なのだということが忘れられていたように思う。
いつしか、暴力的なキャンセルカルチャーが風物詩のようになっていき、それが当然というような風潮(感覚の麻痺)が生まれた結果、続々と被害者が出ることにつながったのではないだろうか。
話の通じない相手と話し合いや議論をしようとするのは愚かなことで、それよりは被害に遭っている企業や団体に応援の声を届けた方が良い、と「暇な空白」氏は提案している。
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そして「もはやキャンセルカルチャーは暴力」であるとし「暴力を抑止できるのはそれ以上の暴力だけである」はずだと述べている。
ツイフェミの人達は「まともな判断ができず」「お気持ち」で動いてるとよく揶揄される。なら、そんなのを説得するのはどだい無理だと何故思わないのか。相手は棍棒をもって、集団で企業・団体をボコボコにして言うことを聞かせようとしてる。もはや暴力的な活動だと言っていい。暴力に抗えるのは、それを超える暴力だけだ。
ツイフェミを説得しようとするのは、侵略しにきた軍隊に憲法9条を掲げるような滑稽な活動だ。
つまり、この問題は「軍事的なアプローチでしか解決できない」フェーズに入っていると結論しているわけだ。
具体的にどうすればいいのかというと、なんのことはない、それが「暇空茜」が今やっていることである。
炎上を扇動しているように見える胡散臭い相手を調べ、嘘を暴く。
目には目を、歯には歯を。暴力には暴力を。
それによって「ネオ・ルサンチズム」による民主主義の崩壊を、いくらかでも先延ばしにする。
暇空茜の活動とは、そういう戦いであり、銃や爆弾を使わないだけで、どっからどー見ても、やってることは「戦争」以外のなにものでもないのだ^^;
ついていけないと思うのは当然の感覚だ。
戦争の支持には危機感の共有が必要なのだから。
いきなり「ネオ・ルサンチズム」がうんにゃらかんにゃらとか言われても、それが誇大妄想にしか聞こえないなら、ただの危険思想でしかない。
暇空茜を応援するということは、その姿勢を明らかにするだけであったとしても、この戦場に足を踏み入れることに他ならず、生なかな覚悟でやるべきではない。
僕はそう考えている。
それは、暇空茜氏の著書「ネトゲ戦記」に対する書店への「無差別放火殺人脅迫」が起きた時から変わっていない。