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タテとヨコと今

どうも。ゆうくんです。

今回は以下の3つのテーマでお話をしていきます。

1.腹を切る覚悟はあるのか?

唐突ですが、明治22年(1889年)に大隈重信が爆弾を投げられ、右足を失いましたが、何故、大隈重信は爆弾を投げられたのかご存知でしょうか。

当時、日本はアメリカやイギリスといった国々と不平等条約を結んでおり、その不平等条約を改正するため、外務大臣である大隈重信が中心となって動いていました。
その内容が、「日本において外国人が犯罪を起こした場合、その裁判の裁判官と検察官は外国人とする」と言う内容でした。

それに対して、僅か29歳の来島恒喜という男が爆弾を投げ阻止したというわけです。

来島恒喜が凄いところは、彼が死んだかも知らず、目的を果たした途端に自分の首に刀を入れたことです。それも、首の皮1枚しか残らないところまでやったというわけですから、もし、それを僕がするとなった時にできるのか?と背筋が凍る思いです。

その結果、当時の黒田内閣は総辞職となり、法案は破棄されました。

そして、爆弾を投げられた大隈重信は、彼のおかげで、自分の政治生命が守られたと評価し、毎年彼の命日には代理を立てて墓参りに行っていたそうです。

太平洋戦争は、軍部出身の総理大臣を立てて、石油を購入できるよう、ギリギリの線まで譲歩して、アメリカと協議しようとしましたが、アメリカが拒否した結果、やむ負えず戦わなければならなくなりました。その結果、破滅まで行きましたが、その時も、陸軍大臣である阿南陸軍大臣は、8月15日の夜、介添人なしで切腹し、戦争で犠牲になった軍人、民間人の責任を取りました。

今、この空気感が1年以上続いていますが、どのように落とし前を付けるのでしょうか。破滅まで行ってしまうのでしょうか。

どうにか、破滅は避けたいと願いたいところです。。。

2.次の世代に作りたい社会ってどんな社会?

5/15(土)・16(日)と2日連続で講演会を聞く機会を得ました。

まず、15日はお金に関するお話
日本は世界一の金持ち国家である。それは、とある条件が今あるから黒字でるのであって、アベノミクス以降、世界一の安全資産である円建てで日本の資産が買われているので、その条件が崩壊すると日本はヤバいという話とか。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA24BP20U1A520C2000000/

お金は、借金することによって生まれる。
高度経済成長期は、戦後の焼け野原から復興するためにお金を借りる人が増えた。そして、人口も増加していた。だからGDPが増大したのであって、今、モノが溢れて、人口が減少する時代にGDPを拡大させることが難しいのは当たり前であるとか。

今まで知らなかったこと新たに知り、目から鱗が落ちる話を知りました。

この講演会を通じて、MMTを主張する藤井聡・京都大学大学院教授の意見の正しさも理解できるようになりました。

また、そのような理屈から国立大学は民営化し、奨学金も学生ローン化したのかと腑に落ちる整理が自分なりについたところです。

その翌日、16日(日)には「5G(第5世代通信)」に関するイベントに参加しました。
その登壇者の方から、オンライン上で「会いたい」と言われていたことと、この社会情勢下でも去年の9月にオランダへ赴き、お土産で磁石を頂いていたことから、僕もこの人と一度会ってお礼を伝えたかったので、元々入っていた自分の予定を調整して参加しました。

その日、信号トラブルで列車が遅れてしまったため、お話を最初から聞くことはできず、5Gに関する技術の話を聞くことができませんでした。

しかしながら、遅れて行ったながらも、限られた時間の中でとても有意義な時間を過ごすことができました。その中でも、印象に残った言葉が、「足るを知る」と「思考停止をやめる」という言葉でした。

技術は進歩していくし、人の欲望は限りない。でも、「本当にその技術は必要なんだろうか?」とか、「今を生きる僕たちは、将来の子供、孫の世界にどんな世界を作りたいのか?」ということを忘れたらまずいんじゃないかなって思っています。

僕は、交通インフラを整備していく仕事をしているので、「将来、本当に自動運転車が行き来する未来って必要?」、はたまた「人口減少社会の中でその道路を建設する必要はあるのだろうか?現状のインフラのポテンシャルを引き上げれば解決できないだろうか?」と考えたりします。

これが、「足るを知る」という行動であり、「思考停止をやめる」ということの一つの例だと考えます。

例としてあげた自動運転に関する議論や、新規路線に関する議論は次回の宇都宮ライトレール現地視察に関する記事で議論します。

3.会いたい人に会いに行く

出口治明さん(立命館アジア太平洋大学学長)が著書の中でよく主張されていることですが、僕も「本を読み、身体を動かし、旅に出ること」だと思います。 

本を読むことは孤独で頭を使いますが、作者と対話し、本当にそれが正しいことなのか。冷静に考えることができます。
例えば、テレビは音声と動画であたかもヤバいように煽れるし、今回のように対立意見があったとしても、無視してしまえば対立意見を手に入れることは困難になります。
本を読み、考える習慣があれば、それが本当なのか。噓なのかということも考えることができると思います。
今を俯瞰して考えたら、一番言論の自由があるのは、テレビや新聞、インターネットではなく、多様な意見を入手できるまちの本屋さんではないかと考えています。

以前の更新で書いたように、頭でっかちになってしまうと、精神的にバランスが取れなくなる。
だから、無理にでも身体を動かすことが大切。
肉体的に衰えが出てくると言われる25歳になろうとも、身体を鍛えれば、肉体は変わります。
僕も、自転車に乗り始めて4カ月弱経ちましたが、体重は大学時代からそのままで、ただの骨と皮のガリから、細マッチョに変化ししつつあります。友人にも2月と今(6月)の写真を見比べてもらったところ明らかに身体が引き締まってきているという声を耳にするようになりました。
そして、身体を動かすることで副次的な効果で勉強に対する取り組みが向上したり、物事の吸収がよくなるなど大きなメリットもあります。

また、3回目のなんとか事態宣言が出ても、精神的に滅入らず安定して生活することができています。

最後に旅に出ること。

実は、5/21(金)~23(日)にかけて、なんとか事態宣言が出ている福岡ですが、またまたなんとか事態宣言の出ている東京に行ってきました。

東京に行きたかった理由は、シンプル。

友達と会うため、そして、東京の今を知りたかったから。

確かになんとか事態宣言が出ていて、LIVEや飛行機ではマスク付けなきゃダメみたいな感じだったけど、どこか、お上に従ってられねーよっていう空気が蔓延していて、新宿・歌舞伎町では普通に21~23時でお酒提供の飲食店に行くことができました。

歌舞伎町のお店には、大学生くらいの人たちが集まって飲みゲームしていたり、仕事終わりのサラリーマンが仕事の愚痴を言ったりして過ごしたりして、これがやっぱり日常だよね。って再認識しました。

その日、大学時代の友人と約1年半ぶりに東京で会ったのですが、それがきっかけで2年半ぶりに福岡にいる大学の友人と再会する(6/5に再会)きっかけを得ることができました😃

また、歌舞伎町に行った翌日も栃木に行って宇都宮ライトレールの新線建設現場を見て、夜に高校時代の友人と23時前まで飲んで過ごしました。

友人に会いに行った目的は、「結婚おめでとう!」と伝えたかった。
だから、東京に行く予定ができたので足を延ばして栃木まで行ってきました。

宇都宮ライトレールの沿線だって今見なければ、開業した後の空気と比較できないし、去年訪問した時は消化不良だったので、やはり行って良かったって思ってます。

社会人になって飛行機に乗ることが増えたのですが、こんな景色眺めていたら、自分の悩み事ってちっぽけだし、県境とか国境なんて見えないよね??って思えるようになりました。

むしろ、上空から甲府盆地(どうしてもレミオロメン・藤巻亮太を意識してしまう笑笑)や宮崎平野を見てる感覚で、自分の意識を持っていきたいと思います。



次回の投稿で紹介する宇都宮ライトレールに関するお話ですが、これも、現地に行くことで宇都宮市・栃木県がどのようなまちづくりを目指しているのかも現地に行くことで分かったわけで、次の世代に向けてどのようなまちを目指していくべきかということも自分の中で少し整理できたと思っています。

そのような、点を踏まえて旅に出て現地を見ることが大切であることを実感しました。

それでは、次回の更新をお楽しみに!


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