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憂国雑記 ~脱マスク活動に100万円かけた男の随筆~

    新型コロナによる社会の混乱は私にとって様々なことを考えるきっかけになった。あの河合隼雄は大東亜戦争の経験を踏まえて、「子ども時代に戦争中に体験したように、自分の周囲の人とまったくちがうことを感じたとしても、それを大切に保持している。そうすると結局は、自分の判断にも価値があったことが明らかになる、という体験を多くしてきました。」と言った。コロナ騒動を通して私もそれと似たような経験をした。

    令和二年にマスメディアが新型コロナの報道を始めて以降、数年に渡って日本の社会と人々は大いに混乱、迷走した。そこでは社会の様々な営みが自粛を求められた。病院や高齢者施設は患者や入居者と家族が面会するのを禁止・制限し、学校は登校や行事、部活等を中止にし、行政は飲食店に経営の自粛を求めた。学校では登校が再開しても給食を黙って食べるいわゆる「黙食」を生徒児童に強要した。ユーチューバーたちは動画で人々に「今は家にいよう!」、「ステイホーム!」などと叫んで自粛を呼びかけた。自粛だけではなかった。誰かが決めたわけでもないのに国民は自らマスクに手を伸ばし、あっという間に一億総マスク姿になった。それを追うように、それまでマスクには感染症を予防する効果はあまりないという見解を示していた国や医者たちも手のひらを返してマスク着用を推奨し始めた。様々な現場では屋外だろうが周りに人がいなかろうが何だろうが機械的にマスク着用を強要した。国の「推奨」は現場に下りるにつれて解釈がどんどん極端になって「強制」に変容していったのである。挙句の果てには国がマスクを国民に配布するという状況にまでなった。マスクに加えて、即席ラーメンのようにできあがったワクチンの接種も進み、自治体等によって「思いやりワクチン」などというフレーズまで考え出され、ワクチンを打たない者はまるで思いやりのない非国民であるかのような空気が作られていった。特に医療機関や高齢者施設等ではワクチン接種のあからさまな強制があった。そしてコロナワクチン接種後の副作用はなぜか「副反応」というマイルドな新語に取って代わられた。接種が進む中で副作用に苦しむ人や亡くなる人が出てきたが、国や医者たちはそれを見て見ぬふりして接種の推奨を続けた。テレビやネット等のマスメディアもこういった問題を積極的に取り上げようとせず、ただ新型コロナ陽性者のカウントに一所懸命になり、陽性反応が出た者を国や都道府県が「陽性者」と公表しているところをなぜか「感染者」という表現に変え、「今日の感染者は〇〇人」だの「昨日より感染者が〇〇人増えた」だのと、何も考えない機械のように毎日欠かさず報道した。致死率や重症化率の低さは行政が出している情報を見れば明らかだったが、日頃テレビやネットの情報を通して世の中を捉えている国民は恐怖を煽られ、未知のウイルスに慢性的に怯え続けた。

 私も社会で孤立してネット漬けになっている典型的現代人の一人としてメディアの影響からは免れられず、当初は未知のウイルスに不気味さを感じ、混んでいそうな場所を避け、店にも行かなくなった。マスクも当初その効果の限界や弊害について全く知識が無かったため漫然と世間に合わせて着用した。しかし、流行が騒がれ始めた時から抱いていた「ウイルスの感染を防ぐためにむやみに行動を自粛させたら人々の生活や社会自体が破壊されるのではないか」、「目に見えない何万何億のウイルスをゼロにすることなんてできないのではないか」、「ウイルスと共存しながら規則正しい生活をして不摂生をせず免疫力を高めていくしかないのではないか」という思いは日を追うごとに増し、ウイルスに騒ぎ続けて過剰な感染対策を際限なく続ける日本社会の異常さに徐々に危機感を強めていった。そして丸2年過ぎたあたりから、見渡す限りマスクまみれの社会の中でマスクを外して過ごすようになった。案の定施設や友人等から着用を強く求められてやむを得ずすることもあった。後述するがそんな中でおかしなことに遭遇して、それを機に色々なことをSNSで知り、このままではいけないと思い、マスクや黙食の強制を問題視する保護者団体に参加し、自分でも脱マスクを世間に呼びかける活動を始めた。活動には合計100万円以上かけた。その後街中に落ちているマスクを拾う活動も始め、1,000枚以上のマスクのゴミを拾った。治験も充分にせずに世に放たれたコロナワクチンは突貫工事のように見えて信用できず一度も接種しなかった。それを聞いた友人は「周りがコロナになっても良いのか」と私を責めた。当時は色々迷ったり分からないこともあったりして、また、世間があまりに感染対策を是とするスタンスで一致していたので、自分の考えや判断が間違っているのではないかと悩んだこともあったが、あれから五年以上経った今、当時を振り返ると改めて様々な感染対策が無意味で、むしろ多くの弊害を生んだように感じる。今まで漠然と信用していた国や医者、マスメディアといった権威的存在に対しては今更ながらに不信感を抱くようになった。メディア上でマスクやワクチン、黙食、面会制限、自粛等の過剰な感染対策を推奨してきた医者たちやその団体の過去の整合性の取れない言動や、到底真剣に感染対策を考えているとは思えないふざけた言動がSNS上で整理されて出回っているが、それらを見ると一層彼らの怪しさを感じる。

   大東亜戦争中のあの有名な「欲しがりません、勝つまでは」のスローガンに見られる挙国一致体制の空気感がどういったものだったのか今までピンと来なかったが、コロナ騒動を経験して少しイメージできるようになった。異常な全体主義という点で両者は似ている。しかし大東亜戦争の時はまだ分かりやすかった。是非はともかく戦後は教科書を墨で黒く塗りつぶして明確に今までのことを否定したのだから。しかし今回のコロナ騒動はそれと違って厄介な状況である。未だに過剰な感染対策の異常さや的外れ具合について総括はされていない。コロナワクチンによって大勢の人が亡くなった。たくさんの人が面会禁止によって病院で臥せっている家族に面会できずにそのまま永遠の別れとなった。そして未だにその面会制限という人権侵害を続けている病院もあるらしい。自殺者や不登校児も急増した。店もたくさん倒産した。感染対策としては非常に怪しいマスクという布切れの着用の強制によって、大人の世界の縮図である子どもの世界でも体質的にマスクができない子どもが学校でいじめられた。3月13日のあの「個人の判断」で社会的圧力がなくなった後も来院者にマスクの着用を強いている病院や、マスクが習慣化して外せなくなった児童・生徒、自ら着用を漫然と続けて顔を隠しているサラリーマンや主婦、警察官、宅配業者、役所や銀行等の窓口の担当者、様々な店の店員等が未だに大勢いる。顔を隠すことが普通になった社会は犯罪者にはさぞかし過ごしやすかろう。しかし世間や権威的存在たちは感染対策が生んだこういった被害や弊害に触れようとしない。それを語ることがタブー視されてしまっているのだ。それは日本で毎日生活していると非常に強く肌で感じる。そして私もそのタブーに切り込むのにためらいを感じる程それは不気味なほど強力である。しかしそれではやはりいけないのだろう。実際、この現状に対して、特にコロナワクチンの薬害のことでは怒りを抱いている人が大勢いて、法的手段に出たり講演会や会合を開いたり、あるいは街頭で演説やチラシの配布をしたりと、様々な形で世に訴えている。今までのことを無かったことにしてはいけないという思いで皆頑張っている。

    コロナ騒動前からこの国の風潮について心の中でおかしいなと首をかしげてきたことは多くあったが、文章にして世に出そうと思ったことはなかった。しかし今回の騒動で国への憂いはいよいよ増し、既存の権威や現在の日本の主軸の人間たちや団体にこの国を任せていられないという気持ちも強まっており、そして冒頭のとおり河合隼雄と同様に自分の判断にも価値があると思うようにもなったので、少しは自分の考えていることを世に打ち出してみようという気になった。そんなわけでこの機会にコロナ騒動下での生活や活動の際に経験したことや考えたこと、また、騒動前から気になっていたこの国のことについて思いつくままに雑多に記してみることにする。

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