気持ちのいいお産
私はいつか出産できるのなら助産院でと胸に決めていました。
助産院とは、助産師のみで運営されている場所で、医師が行う医療行為の一切をできません。例えば陣痛促進剤の使用や会陰切開、麻酔分娩などがそれにあたります。なので"自力で産むこと"をそばでサポートし見守ってもらう出産と言えるでしょう。出産の形としてまだまだ全体の1%ほどの助産院での出産。そうした出産を通してしか知れないこと、受け取れないことがあるのではないかと考えながら、半ば自分への挑戦でもありました。
そこで見つけた素晴らしい助産師さんが、今回お世話になったバースハーモニーの純子先生でした。一目でここで、この人の元で、産みたいと思いました。
そして妊娠期に私が大切にしたいと考えていた2つのこと。
・自分にもお腹の子にも嘘をつかない。
(その為にも本音と建前をどんなときも一致させること)
・自分の心地よさに従う。
それらを叶えられると直感で感じたのがこの助産院でした。
産前は、毎回の妊婦検診にて80分という時間その時々の心と身体に寄り添ってくださいました。毎回足湯から始まり、足のオイルマッサージと頭蓋仙骨療法をしてもらえるのだから至福です。そして毎回その時々抱える課題に対して、自分が本当はどう思っているのかどうしたいのかに気付かされました。あるときは自分の将来への迷い、あるときは家族のこと。妊婦検診を重ねる度に自分が少しずつ素直にそして良い意味でわがままになってゆくのを感じました。
そしていざ!
陣痛中、最初は「恥骨が痛い!」など解剖学的にそりゃそうだ!な痛みを感じていました。そして私の「はい!来るよ!」の掛け声の度、何百回背中を旦那さんに刺激してもらったか。その際「ここら辺!もうちょい下!もっと強く!」「途中寝たら許しません」としっかりわがままさせてもらいました。
そして陣痛の間隔が狭くなるにつれて陣痛と陣痛の合間に意識がすっと飛ぶことが出てきてそれがまた心地よすぎたのです。それは寝てるでも起きてるでもなく、ちょうど深く瞑想してるときと似ていました。
そして今度は、だんだんと強くなる陣痛自体にも、気持ち良さが混ざり始めたのをはっきりと感じたのです。陣痛が気持ちが良いだなんて少し変なのかもしれないのですが、その表現が近いのです。
最後の方では、赤ちゃんの髪の毛が見えてるのに力めども力めども頭が出てこず一瞬、「どなたか、もうどうにでもして出してくださいな」と弱気にもなりました。
そしてその瞬間、あぁ。これ私に昔っからある癖だなぁと気付きました。
何かを成し遂げると心に決めたのに辛かったり予想通りじゃないと途端に1番大切だったはずの全てをさっぱり投げ出せてしまう癖。
それは何度環境やコミュニティを変えようとも、自分の癖を見直さない限り幾度となく目の前に現れる似たような問題たち。
ありがたくも陣痛中にそれに気付いた途端、助産師さんの「一回休んで次頑張ろう」に対して断固拒否。火事場の馬鹿力とはこれでしょうか。
しっかり産まれました。
途端に私のその悪い癖も消えたように感じたのだから不思議です。それも込みで、やはり出産は気持ちいい!と最終的に感じた瞬間でした。
そして出産を終えて私は旦那さんに言いました、「また産もう」と。
決して短くもない15時間。途中赤ちゃんに酸素が足りなくなったり、産後も出血がなかなか止まらず、母子手帳にも出血多量と記されていました。
ここで思うのですが、安産とはなんなのでしょう。医学的な定義はないにせよ、一般的には『何事もなくスルッと早く』でしょうか。
それに当てはめて考えると私のお産は安産ではなかったのかもしれません。
でも私はとにかく出産が楽しかった、気持ちよかった、また産みたいと思えた。
こんな気持ちになることこそが、”安産”なのではないかとはっきり思えたのです。
どこで産もうが、どう産もうが、どんな過程を踏もうが、そこまで自分が下した全ての判断に納得し、最終的に素晴らしい気持ちになれればそれこそが安産なのでしょう。
そして自分の判断に納得するためにも、私の大切な人たちが出産を考えたとき、選択肢の一つに当たり前に助産院も入ると素敵だなと思います。
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