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本当にポエムを書いていた僕の話。

僕は、TwitterアカウントでもLINEアカウントでも「ポエム★よしき」と名乗っている。周りの人にそれを笑いながら突っ込まれて「あっこれって変な名前だったな」と思い出すほど僕はこの名前と共に生きている。数えてみると、いつのまにか14年の月日が経っていた。

そもそもこの名前を名乗った理由は、大学生の時にダンスサークルに所属した際に「ダンサーネーム」が必要だと言われ、大学生のガキなりに戦略を踏まえて考えた名前がこの「ポエム★よしき」だった。ハッキリ言ってダサいのだが、覚えてもらえるという点ではたくさんお世話になった名前だ。覚えてもらうって本当に大事だと思うので、そういった意味では戦略としては成功したと思っている。

さらっと「ダンスサークル」所属と書いているけど、わりとちゃんとやっていた。自慢じゃないという前置きをしながら言う自慢ではあるが、大学生全国大会準優勝したチームをまとめていた。

「よしきー❤️」という黄色い声が飛び交うこの時代が懐かしい。

自慢に気を取られて本題から外れてしまったが、僕はそのダンサーネームの中に「ポエム」を入れてしまうぐらい「ポエム」が好きだったのだ。正確に表現するとそれぐらい馴染みのあるものだった。

実際、ポエムは中学生から書いてきた。もちろん、アホほどクサいポエムからスタートしている。いわゆる深夜のラブレターのようなものばかり。これは厨二病ではなく本当の中2にしか書けない青さと言える。ただその時から明確だったのは、本当に思っている気持ちを言葉にしていたってこと。だから、ラブレターにポエムを書くことの出来る人間だった(笑)実際お付き合いしてきた人たちは僕のポエムを受け取ってきたし、その後にゴミ箱に捨てるをさせられている可能性が極めて高い。

そして、ポエムは僕にとって愛情表現である一方で、そのポエムを書く過程は自分の気持ちと向き合う大切な時間なわけだ。この「自分と向き合う」をしてきたことはビジネスパーソンとして今に活きていると思う。今もTwitterやnoteで何かを描く過程は自分と向き合う良い時間だし、その過程がコンテンツ作りやマーケティング戦略に生きている。

ポエムは時に否定的な意味での喩えにされがちだが、僕はこれからもこの余白を大事にした言語化を大切に生きていきたい。言葉に出来ることが全てじゃない。むしろ言葉にしないことの方がよっぽど大事だと個人的には思っている。

そんなこんなで、今までもこれからもポエムのように生きていこうと思うのです。

最後に、今読むと「なんかええやん!」って思えるポエムもあったので、恥ずかしさはあるがひとつだけ披露したいと思う。


“愛” 

愛し方も知らんくせに
誰よりもお前が好きやって誇ってるバカやけど
これが愛やって俺は名付けたで

どこに向かってるんかも
ここがどこかも分からんくせに
ここが愛やって俺は言い切るで 

泣いたり笑ったり
っていうか悲しいことのが多いけど
俺はこんな時間を愛やって呼ぶで 

友達も先生もオカンもオトンもけっこう分厚い辞書にも
これを愛とは呼ばん感じやけど
俺は高らかにこれを愛やって叫ぶで 

お前が俺をどー思ってるか知らんけど
俺は俺のこの想いを愛って呼ぶで
だからお前は愛って名前のこれを受け取ってくれ
そしたらお前はな
いつのまにか
誰よりも幸せな顔して笑うんや
そしたら俺はそのお前の笑顔を
たぶん愛って名付けるで
そんなもんやろ愛ってもんは 。


・・・はずっ。

でも、これ見てあんまり今と変わんないやん!っていう方は僕のことをよくご存じの方ですね。自分でもまさか学生時代から「愛」について語っているとは。

さぁ今後もビジネスを通してポエムを紡いでいくので、引き続き「ポエム★よしき」をよろしくお願いします。


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