いるのが当たり前でも、一度離れると大切さがわかる 2020.08.13
恋焦がれて夫婦になったとしても、長く同じ時間を過ごしていくと、いつしか当たり前になる……
“慕い慕われ。離れればなお、大切さを知る。”
そんな話。
人柄に惚れ込み、付き合い始める。
日々、いろんな人に出会い、その人のいい面も悪い面も見て、その相手を理解していくことになります。それは人同士が社会生活を営んでいくうえで、必要不可欠なもので社会人としてバイトを始めれば、おのずと身についていくものでもあります。
最初こそ社会人といわれて大人の仲間入りした不思議な感覚と、お小遣いに頼らずに自分で大人のように買い物ができるようになります。そうして、大人に近づいていくことで、より心も体も成長していきます。
そして、社会生活をしていくうえで、個性豊かな上司に顧客。時に悩み悪戦苦闘しながら、人としても育っていくことになります。特に住み込みをする仕事をすれば、職場の人と一緒に寝食を共にすることになります。
そのため、より深く相手のことを比較的短時間で知ることができます。より深く知るようになれば、相手の嫌いなものから好きなものと、見たくないものまでが感じ取れるようになってきます。
それは、男女とて同じことで、最初から一目惚れという形で惚れ込んでしまうこともありますが、おおむね出会って普段から接していくうちに知っていくことになります。そして、付き合い始めることになります。
付き合い、そして同棲。結婚。
付き合い始めて彼氏・彼女は、夏のこの時期より増えることになります。心も体も開放的になり、恋愛をしようと相手を求めることが多くなります。そうして出会った二人は、そのまま付き合い続けることもありますし、すぐに分かれてしまう場合も。
そんな場合を除き、交際と同棲を経て結婚へと進んでいくことになります。それが社会生活で当たり前の日常となっていきます。一つ屋根の下で、同じ帰ってくる場所を共有し、いつしかひとつの家庭として子を成し家族となっていきます。
そして、社会生活の変化によって、男性だけでなく夫婦共働きも出てきています。どれが正解で、どれが答えということはありませんが、家庭を維持していくために合わせた勤め方であり家庭でもあります。
帰宅すれば、愛する人がいてリフレッシュすることができる。そして、明日への活力が得られることになります。これは、どこの家庭でも一緒で、さほど深く考えずとも当たり前の日常がそこにあります。
健やかなるときも病める時もとは言うけれど……
結婚式での定番のこの言葉。
“健やかなるときも、病めるときも、友に寄り添うことを誓いますか?”
結婚式での宣誓の内容で、パートナーとの寄り添うことを誓う言葉ですが、昨今の情勢を見る限り、すぐ別れたりしてしまいます。あっちが悪いからと良し悪しで考えるのが、人の常で、そして悪いところばかりが目立ってしまうもの。そうして、離婚の危機を迎えてしまいます。
人は子供ができると、その子供が大きくなるまでは離婚する可能性は低くなります。それでも、生まれる前だったり妊娠していても、シングルマザーになるのを決めていた李と、その人の生活に合わせて社会形態も異なってきます。
そのような場合を除き、女性には4年に1度という期間があります。その期間は、ほかの異性を求めることです。生まれてから4年で子供はある程度育ち、社会生活の基礎を覚えることになります。
そのため、親の元から少しずつはなれていくことになるため、母親は別の異性を欲し始めるのです。それでも、実際に離婚をするのは、全体のごく一部です。では、どうして異性を求めるのであれば、離婚しない方が多いのでしょうか。
夫婦の両翼がいて、子が育つ。その上で、離れることで大切さを知る。
子供は両親の背中を見て育つといいます。それは、シングルマザー・ファザーも同じことです。親が苦労している姿を見て育てば、バイトに専念し両親を楽にさせたいという考えに至ります。子供にとって初めて触れる大人が両親で、その両親が得たことを言葉や仕草で、子供に伝えることになります。
“親の心子知らず”または“子の心親知らず”という言葉もあり、心をさらけ出すのは意外に難しいことでもあります。そのため、意見の食い違いから、ケンカに発展してしまうことも。そんなケンカからは何も生まれません。単なる意見のぶつかり合いです。
相手のことを思い、相手ならこう考えるだろう、そしてこう行動するだろうとおもんばかって受け入れることが必要になってきます。寛容性ともいわれるそれは、相手に寄り添い“家族”という形態を維持するには、必須なようです。
言葉にすることも大事だけど、寄り添い同じ時間を共有するのも大切。
両親が子供に伝えられることは、どうしても限られてしまいます。完璧な記憶の伝達は無理というもので、かみ砕いて子供にもわかるようにして伝えることになります。つまり、親から子に伝えられる事柄は、あくまでも学ぶキッカケとも言えます。
両親が半生を費やし学んだことを、すべて子供に伝えることなんて無理な話でもあります。何せ、子供の性格もあるため、親の体験したことがすべて役に立つとは限りません。その結果、取捨選択が必要になってきます。
子供が成長していくうえで獲得していく知識は、もしかしたら親も経験した内容なのかもしれません。しかし、心のどこかで“あんなこと言ってたなぁ”などよぎることで、悪い選択をせずに済む場合もあります。
常に一緒にいるのが当たり前の日常では、うっとうしいや邪魔!なんて言ってしまうことも、あることでしょう。特に思春期や反抗期になると、うっとうしく感じてしまうもの。心配する親と、もう大人になったのだからとほっておいてほしい心との、せめぎあいです。
しかし、ある時。
“もっと仲良くしておけばよかった”
と後悔にさいなまれることがあります。それが、両親を大切にしろという言葉の本意になります。離れてみて改めて気が付くことの何と多いこと。言葉を交わすだけでも嬉しい気持ちになり、いるのが当たり前だったあの頃に戻りたいと、考えてしまいます。
永遠ではないにしろ、寄り添って時間を共有するだけでも、距離に関係なく心が温かくなることもありますし、むっとしてしまう場合も。その全てが人を育てていくことになるのです。
ほんと、“後悔先に立たず”とはよく言ったものです。正月やお盆、休日くらいは、殺伐とした目で物事を見るのではなく、ゆったりとした気分で過ごしたいものです。
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