エッセイ:私にとっての「聞く・聴く・きく」ということ……
pixivに小説を発表し続け、幾星霜…というほどでもないけど……そんな中で、自分がどうやら程度の軽いであろう聴覚過敏らしい。(多分ね…)
そんな中で、小説を執筆するうえで重要になってくるのが…
「感覚を文字で…」
日本語は世界的に見ても難しい言語といわれています。敬語や丁寧語といった分野は英語でいうところのイギリス英語のよう、それ以外の普段話で使う単語などは、アメリカ英語のようにフレンドリーな英語。
そして、漢字は中国からはいってきたことで、中国よりな面も…まぁ。個人的な感想ですが…そんな漢字をより深く理解しようとして生まれたのがカタカナにひらがな。
そう考えると…「人がいるからこそ」の言語なのかなぁと思い始めています。
と、脱線した話をもとに戻して……
私にとっての「きく」というものに変化が生まれてきました……単純に「きく」といっても……(食べ物を除いて……)
・聞く
・聴く
この二つがあります。
「聞く」の方は、普段の会話などで使われる聞くの方で、「聴く」は親身になって寄り添ってという、心情がプラスされてきます。
しかし、私の中ではさらに細分化されていて…聞くと聴くの中間があったり、同じ聴くでも「肌で感じ取る」ということで、肌で聴くといった意味合いが増えてきています。
今、この記事を書いているときも、100均一の耳栓とyoutubeを聞きながら執筆しています。耳栓をしつつという、複雑な状況ですが…100均一のというのがツボで…微妙に音を透過してくれています。
かえって程よく透過してくれるので、ちょうどいい感じになっています。
同じ「きく」でも、人の数だけ聴く方法が合っていいんではないかと思った今日この頃でした。
支援してくれる方募集。非常にうれしいです。