第六話 風紀委員と彩人の香り

「彩人……」

 風紀委員の部室で生徒の画像を見ながら、役員たちは会議を開いていた。猫耳獣人だけで構成された風紀委員は、主に風紀を伴う。なぜに猫耳獣人だけかというと……
 一時期、猫耳獣人をこぞって狙うストーカーが存在していた。それも、LHR因子を布に染み込ませて拉致をする事案が発生。

“猫耳獣人拉致事件”

 のちにそう呼ばれるようになったその事件は、学園内をハイレベルで監視するようになった。そんな矢先に登場したのは、猫耳獣人を保護するために入学と当時に配られるようになったブレスッレットだった。
 それと同時に、男子にもブレスレットが配布され、許可なく女子棟に入ったり、不埒な行為に及ぼうとした場合にいは、通報が行くようになっていた。ただ、一定の距離に指導を行える教員がいる場合などは、その制限が和らぐ。
 そのため体育の授業などで、密着する分には警報はならない。そのため、風紀委員の獣人たちには、理不尽他ならなかった。

「この学園から、これ以上の不審者を出さないようにしなければ。」
「風紀委員の立つ手がないです。」
「そうね。先行して偵察した子は?」
「それなんですが……」
「えっ? ちょっ。なにこれ……」

 委員が持ってきたものには、衝撃の光景が広がっていた。
 彩人を偵察していた風紀委員は、軒並み音信風通。部屋に行ってみると、対象者の身に着けていたものによって、酔ったような状態となって発見されるという状況。そのその上、急激にホルモンが上がったというわけではなかったため、警報もなることがなかった。

「やだぁ~取らないでぇ~」
「ちょっと、あんた。これ、対象のものじゃない。」
「ちょっとだけだからぁ……」

 彩人のハンカチですら、風紀委員を虜にしてしまい、音信不通にするほどだった。それを知った委員長の綾乃は、徹底抗戦する方向に舵を切る。何せ、優秀で風紀委員の鑑といわれていた委員から、中毒になっていくのだから、委員長自らが出向かないわけにはいかない。
 報告のムービーを見る限り、ちょっとした身に着けたものですら、獣人を虜にしてしまうほどのLHR因子の濃さと判定した、綾乃は彩人のことを調べ始めた。その矢先の第一次パートナー選定だった。

「なに……あれ……」

 遠くから眺めてもわかる、彩人の前だけに密集する獣人たち。その住人達は各々が目がとろんとしており、明らかに綾乃の周囲で起きていた中毒症状そのものだった。
 委員長として、比較的自由に行動を許されていた綾乃。当然、成績も優秀で文武両道という、非の打ちどころのない完璧超人だった。そんな綾乃もこと彩人に関しては、最大限の警戒をしていた。
 普段の活動ですら、ほかの獣人たちを引き寄せてしまうのだから、きっと何かいかがわしいことをしているのだと思っていた綾乃。必然的に取り締まろうと執念を燃やすようになっていた。
 事前に調べた内容から、おいそれと彩人に触れると危ういことがわかっていた綾乃は、最大限の警戒をしながら、教室へと戻る彩人へと声をかける。最大限の警戒をしていたつもりの綾乃だったが、イレギュラーが綾乃を襲う。

「彩人君。私は風紀委員長の綾乃です。ちょっと、同行してもらえますか?」
「えっ? 風紀委員? 委員長?」

 突然の委員長の登場に、困惑していると、彩芽がけげんな表情で彩人を横目でチラ見する。

「ええっ。彩人……なんかやらかしたの? こんな黒髪で、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んで、モデルみたいな委員長になんかしたの?」
「し、してないから!」
「ほんとに?」

 ニヤニヤとしながら彩人の顔を覗き込む彩芽。その様子に綾乃は獣人の彩芽を守ろうとしたのか……

「彩芽さんといったわね。危ないわよ、この男。いや、このオスは!」
「えっ?」
「このオスはほかの子もはべらせてるし、いつよからぬことを企てるか知れたもんじゃないわ!」

 綾乃の激高した様子に彩芽は一瞬、驚いたものの……

「ホントですよ~この前なんてキスしちゃってぇ~」
「何ですって!!」
「あ、それは、私じゃないんですけどね……」
「ちょっ。彩芽ぇ……あれは、事故だろう……」

 彩人が困っている顔がよほど楽しかったのか、彩芽はニヤニヤと綾乃側へとつき、キスのことを詳細に伝えていた。

「だから、あれは事故で……」
「その子はね。卒倒しちゃって……」
「えぇっ!! そんなことがあったの?」
「だから、聞いてぇ~」

 こうなると、彩人にとっては多勢に無勢だった。必死に否定すればするほど、墓穴を掘っていくような状況に、なすすべがなかった。
 彩芽の説明を聞くたびに、真っ赤になったり青ざめたりと、コロコロと表情が変わってしまっていた。彩人にとって戦々恐々のこの状況に、綾乃はやっぱり……

「彩人さん!」
「は、はい!」
「一緒に、来てもらいます!! しっかりと、事情を聴かないといけませんね!!」
「は、はい……」

 ニヤニヤとしながら、彩芽は彩人が連れていかれるところを眺めていた。学園内でも風紀委員の権限は絶大で、先生の次に権限が与えられていた。そのため、多少の拘束は許されていた。
 まるで、犯人のように連行される彩人は、風紀委員の部室へと連れ込まれた。暴れる気もないのに、後ろ手に椅子に縛られた彩人に、質問が投げかけられる。

「あ、あなたが強要したんでしょ? 私たちの獣人の方から行くわけが……」
「いや、だから。事故だって……」
「はぁ? キスが事故? 冗談も大概に……」
「ほんとだって。」

 締め切った部屋の中、ほかの委員もいたものの、ちっとも非を認めようとしない彩人。しびれを切らした綾乃は、さらに続けようとしたその瞬間だった……

ばたっ!

「ちょっと、あなた。大丈夫?」
「あ、綾乃さん。わ、私は。も、もう無理です……」
「ちょっ、どうしたのよ。えっ。ブレスレッドが鳴っていないのに、ホルモンレベルがレッド域? どういうこと?」

ばたっ。

「ちょっと、あなたたち……」

 綾乃を残し、その場に居合わせた委員は、卒倒してしまっていた。その全てが、ブレスレットがならずに、ホルモンレベルがレッド領域を示していた。
 猫耳獣人たちに着けられているブレスレットは、ホルモンの急激な乱高下を検知するもので、緩やかな上昇には反応をしない。つまり、運動直後の彩人を狭い空間に閉じ込めてしまったことで、汗のにおいが充満してしまっていた。
 まして、換気すらしていなかったため、LHR因子に弱い委員たちが卒倒し始めたのだった。幸いか、綾乃はLHR因子に対してある程度の耐性があったため、卒倒せずにすんでいた……

「えっ。どういうこと? えっ! うそでしょ? 私も?!」

 綾乃のブレスレットも、レッド領域ギリギリに到達してしまっていた。身の危険を感じ始めた綾乃だったが時すでに遅し……

「あれっ。体に力が……はいらない……」
「ちょっと、あんた、何を……」

 どこまでもまじめな綾乃は、原因が彩人だということを察し、フラフラとしながらも彩人へと問いただす。ただそれは発生源に直接近づくことにつながり、一歩ずつ近づくたびに、綾乃の体は酔ったような感覚になっていく……
 その様子を見た彩人は、数日前に瑠香が言っていたことを思い出した。それは、自分の体液にはLHR因子が強く出るということを……

「綾乃さん。」
「ん? なによ。急に……」

 完全にフラフラで、焦点が合わなくなっていた綾乃だったが、ギリギリ理性を保っているようだった。そんな綾乃に、彩人は窓を開けるように言うが……

「なによ……逃げるつもり?」
「いや、ちがうから。換気して!」
「も、もう。わかったわよ……」

 フラフラとしながらも、窓にたどり着いた綾乃は、ガチャっと開けると一気に室内の空気が入れ替わる。さわやかな風と共に、部屋の中に漂っていた彩人の汗のにおいやLHR因子の濃度も薄くなる。
 それと同時に、フラフラとはしていたものの、綾乃は何とか持ちこたえていた。

「ど、どういうことなの? 彩人くんあなたって……いったい何なの?」
「それは、LHR因子が強くて……」
「はぁ? それで、どうしてこうなる……の?」

 質問をしようと、椅子の肘置きに両手をつき、問いただす綾乃。それがまずかった、彩人の後ろの窓を開けたことで、風の流れが発生し風下に位置した位置で綾乃が問いただしていた。
 より濃密なLHR因子を浴びた綾乃は、彩人の膝の上に顔を乗せる形で卒倒してしまう。

ガチャ!

「彩人!!」
「瑠香先生。」
「だいじょう……ぶ。じゃないようね……」
「綾乃さんが気絶しちゃって……」
「うわっ。お邪魔した?」
「変なこと言ってないで、助けてくださいよ!」
「あぁ、はいはい。」

 瑠香の説明によると、もう少し到着が遅れると、綾乃は中毒症状を引き起こしかねない状況だったとのこと。中毒症状に陥った場合、しばらく入院が必要となってしまう。

「ほんと、あなたは運がいいわ」
「せんせい……」
「あなた、あの状態が続いていたら、彩人くんに責任取ってもらわないといけないほどだったわよ?」
「えっ? そんなに?」

 綾乃は知らなかった。彩人がLHR因子が強く出る体質で、そのせいでほかの子が集まってしまっていたことを……
 その匂いに、ほかの委員の子だけではなく、自分も翻弄されていたことにようやく気が付いたのだった。

 ゆっくりと体を起こした綾乃は、朧気な表情で周囲を見渡すが、彩人の姿はなかった。

「あぁ、彩人くんには、教室に戻ってもらったわ。あなた、ほんと真面目に聴取しちゃったのね。」
「えぇ。彩人くんがいかがわしいことをしているんじゃないかと……」
「まぁ、彼が望んでしているわけじゃないからね。彼の体質によるものが多いのよ。」
「そうなんですね……。じゃぁ、無実……」
「えぇ。そうね。」

 綾乃はすべて自分が勝手に勘違いして、勝手に行動していたことが恥ずかしくなった。そのうえ、綾乃たちのために窓を開けるようにと言ってくれたことで、なお自分を責めてしまう。

『なんてバカなの、私は。目の前の状況にとらわれて、私たちのために窓を開けることを言ってくれたのに……』

 頭を抱え、自責の念に駆られていた綾乃の周囲のベッドには、卒倒していた委員たちが、寝かされていた。

「彼女たちは大丈夫よ、早めに気絶しちゃったことで、あなたほど多く摂取しなかったようね。」
「そうなんですか……」
「でさ、一つ聞きたいんだけど……」
「えっ? 何ですか? 先生……」

 瑠香は首をかしげていた。より近くで摂取していたとはいえ、綾乃の体内にあるLHR因子が多すぎることに。より近い位置で摂取していたとはいえ、ここまで血液中から多く検出されることはまれだった。

『残る可能性はひとつよね? 直接的な接触……つまり……』

 意を決して、瑠香は綾乃に質問を投げかける。

「あなた、問いただすとき、キスしてないよね?」
「き、き。キス?! そ、そんなのしてないですよ!!」
「そ、そうよね。でも、おかしいのよ。」
「何がおかしいんですか。先生。」
「いやね、血液中のLHR因子の量が多いのよ。それも、ベロチューしたくらいのね。」
「なっ!!」

 綾乃の中に“ベロチュー”という単語が駆け巡った。それは、舌を絡めるほどの濃密なキスで彼女たち獣人にとって、大好きな人と一度はしてみたいキスの第一位に上がるほどのキスだった。
 よりディープに絡み体を相手に任せて、身も心も相手にゆだねるようなキスは、獣人たちにとっては想像しただけで恥ずかしくなるほどだった。

「そ、それを……わ、私が?」
「そんなわけないよね?」
「あ、当たり前です!! もう、何を言うんですか……」

 正直なところ、クラクラし始めていてうろ覚えになってしまっていた綾乃。ふわふわとした意識のまま、してしまったとすればその記憶はどこかへ行ってしまう。つまり、覚えていなくても仕方がないのだ。

『えっ? し、しちゃった? うそでしょ? わ、私。ふ、委員長なのに?!』

 全く記憶のない綾乃にとって、確認の手段がなく、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。それと同時に、してしまったのだとすれば、それはそれで気まずい。何せ風紀委員長が率先して、風紀を乱しているようなものだ。
 頭を抱え込み、どうしたらいいのか迷ってしまっている綾乃に、瑠香が提案をする。

「綾乃ちゃん。こうしたら?」
「えっ? あ。」
「これなら、風紀が乱れたってことにはならないでしょ? ふふっ。」

 瑠香の提案を受けた、綾乃は今までに悩んでいたのがうそのように納得すると、体調が回復して早々に彩人の元へと行き、一言。

「彩人くん。あなたを風紀委員として迎え入れることにしました。」
「えぇっ!!」
「えっ? この人が風紀委員? じょ、冗談でしょ? 委員長。」
「いいのよ。これで……」

 ドキドキしながらも、彩人の目の前でそう宣言した綾乃は、心の中でこう考えていた。

『も、もし。してしまったのが身内なら、風紀は乱れない!! そう、身内なのだから、大丈夫!!』

 綾乃が瑠香に言われたのは、身内同士でのキスなら問題ないということだった。風紀委員長が、一部の生徒とキスをしてしまったのなら、問題は残る。しかし、身内とキスをしてしまったのなら、何とかなるという解釈だった……

『こ、これでいいのよ。これで!』

 曲解にもほどがあるほどだったが、納得したようで綾乃は教室を去っていく。その入り口で、あっかんベーをしながら去っていたのあった。

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