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コラム:‘みる’ということ……
「目は口ほどにものをいう」
ことわざにもあるこの言葉。
昨今のマスクありきの生活が変わってくる中で、「目」の存在が重要になってきています。
最近の特集で電話応対が苦手という人が増えてきてるとのこと。声の抑揚や湿り気、息遣いに至るまで電話口からは伝わってきます。それは、「目」で見ることでも同じことが言えます。
単純に見るといっても、生活で当たり前のように幼少期から使っている「見る」
ということ。
こと、このコラムも「見て」スキなどを押してくれている方もいると思います。ありがとうございます。
そして、マスク生活が長いことで、良くも悪くも「目」しか見えなくなっています。そのことがかえって目で相手の様子を確認することが必要になってきます。
そのほかにも、私の場合は小説を書くとき、そしてアップする個人サイトではあえて「見づらく」しています。それも、意図的に…
この陰には、より見やすく読みやすい文字の羅列だと、流れるように読んでいってしまうためです。確かに読みやすく見やすい文字ほど、読んでいて苦にならないことが多いです。
しかし、苦にならないからというだけではないですが、深く読むきっかけにすらなりません。
まして、大人になればなるほどに、本を読まなくなる理由の一端を担っているような気がします。
それは執筆側も同じです。より見やすいフォントで執筆することも重要でしょう。しかし、見やすいからこそ誤字のキッカケになりかねません。
まぁ。個人の感想なのですが……
レトロ好きということが根本にはあるものの、見づらくしてあえて考えるきっかけになっています。
見て執筆し、発表したサイトから読者が見てくれるという見るから切っても切り離せない中で、ごく当たり前に使う能力も深堀すれば「見える」ものも変わってくるのかもしれませんね。
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