校長室登校

今回の出来事は2007年に起きた出来事であり、1996年生まれの僕の年齢は10歳。

僕は校長室の登校していたことが一時期あり、今回はそのことについて書いて行こうと思う。

きっかけ

まず校長先生というのは基本的に時間に余裕がある。学校を代表するような仕事などにおいては出席や出張をすることがあるが、授業は行わないし面倒な仕事は基本教頭先生の仕事。いわば校長先生は学校のシンボルであり、学校における天皇のような存在なのだ。

僕は小学校五年生の頃、よく教室から抜け出していた。言い換えると学校に行ってもほとんどの間教室にいることはなかった。

普通ならばそんな生徒がいたら担任が連れ戻すのだろうけれど、僕の教室には僕以外にも言うことを聞かぬ生徒が多数おり、担任はそちらの処理で忙しく僕の対処をしている余裕はなかった。

そんな僕は教室から抜け出して他のクラスの僕のような輩と群れを作って遊ぶようになっていた。僕と違って彼らのクラスの治安は安定しており、どうして教室を出てほっつき歩いていても呼び戻されなかったのか、それは未だに分からない。

もしかすると彼らは担任から嫌われており、クラスに居ない方がよっぽど良い存在だと思われていたのかもしれない。それでも自分のクラスの生徒がほっつき歩いていれば、それが他の誰かしらの先生の目に留まり問題に発展して、自身の監督責任を学年主任などから問われるはずなのだが。今思い返しても不思議だ。

彼らは学校に遅刻で登校してきて、クラスに顔を出さずにそのまま学校を徘徊していたのかもしれない。彼らの担任の先生からすれば、彼らは今日学校に来ていない存在だと思われいたからこそ、僕のように自由に行動出来ていたのかも。

教室で大人しく過ごせない僕達4人は、先生に見つからないようにこそこそと動きながら学校中を巡った。見つかりにくい非常階段で将棋などのボードゲームに興じたり、持ち寄った菓子を広げてお茶会を開いたり、校庭の隅っこで隠れながら泥団子を磨いたりと、色々な遊びに熱を注いだ。

コンピュータ室が使われていない時間が多くあることに気づくと、コンピュータ室に忍び込み、当時出来たばかりのyoutubeでアニメの映像を見て4人で盛り上がることにも熱中した。

いくらこそこそと見つからないようにと立ち回っても、やはり誰かしらの先生の目には留まる。その先生の一人が校長先生だった。

きっと校長室から見えるグラウンドに僕達がよくいることに気づいたのだろう。

なぜ僕が校長室へ登校するようになったのか、その経緯がおぼろげなのでここからは憶測を交えた話へと切り替わる。

教室を抜け出して学校を徘徊する僕達4人の存在は徐々に周知のものとなっていき、学校内で起きている問題の一つへと発展していった。教頭や学年主任などを含めた会議などで話に上がり、臨時的採用教員の先生が僕達4人の対処を行うことになった。

上記は僕の憶測も混じっているが、臨時的採用教員の人が僕達4人の対処に当たったことは鮮明な記憶がある。

臨時的採用教員とは教員免許を有していながら、正式な教員にはなれていない人のことを差す。車の運転免許を持っていてもタクシードライバーになる為にはタクシー会社の面接を受からなければ採用されないのと同様に、教員免許を持っているだけでは教職に就くことは出来ない。

教職免許を持っていることを前提として、教員採用試験に合格しなければ先生にはなれないのだ。そしてこの教員採用試験、倍率がかなり高い。小学校なのか中学校なのか、また教える科目何なのか、そしてどの県の教員採用試験を受けるのかで倍率は異なるが、高い場合だとその倍率は5倍程になる。

学校にいなかっただろうか?先生であるのにのも関わらず、自分のクラスを持っていなかった先生。あの先生が臨時的採用教員だ。臨時的採用教員は教員採用試験には合格していないので、自分のクラスを持つことが出来ないのだ。

したがって臨時的採用教員は時間に融通が効き、僕達4人の対処に当たることになったのだ。

その先生はまだ年齢が若い女性の先生だった。20代前半だったと思う。僕達4人は使われていない教室に集められて、その先生の授業を受けることになった。

教室といっても建物は普通の校舎ではなく、プレハブだった。下記は実際の画像。赤い境界線で校舎とプレハブを切り分けている。右手側がプレハブ校舎だ。

僕の通っていた小学校は、当初予定していた生徒数よりも多くの生徒が通う小学校へと規模が多くなり、教室が足りなくなったのでプレハブ校舎を作ったのだ。

小学校5年生の教室は全てプレハブ校舎にあったが、プレハブ校舎はそれなりに大きな建物で、少しだけ空いているプレハブがあった。なのでそこを活用して僕達4人だけの授業が行われたのだ。

大学を卒業したばかりの若い先生とあってか、もしくは事前に僕達のような存在への対処法を学んだのか、とても寛容な先生だった。授業といってもドリルやプリントを各々で時、分からないことがあれば先生に聞くというスタイル。先生は椅子に座りながら外を見てお茶をのみ和んでいることが多かった。

僕達4人がドリルなどに飽きて遊んでいても、教室内であれば怒ることはなかった。だからその女の先生に叱られたことは確か一度もなかったし、その先生の言うことだけは比較的に聞くようにしていたはず。

そのプレハブ校舎の僕達の教室に校長先生が来ることがあった。校庭で泥団子を作っているところを良く見られて、きっと僕達4人のことを覚えて気にかけてくれるようになったのだろう思う。

あの4人達はしっかりと勉強をしているのか、そんな視察が度々あったような記憶がある。

挨拶

その時の僕はいつも年中半袖を着ており、頭が坊主だった。頭が坊主だと頭皮が外気にさらけ出されるから、頭まで冷たくなるのだがそんなことは僕には関係がなかった。

僕はいつも声が大きかった。特に挨拶をする時は特別に声が大きかった。年中半袖で挨拶が出来る子供というのは、学校の先生から好かれることが何故か多い。ソースは僕の経験則。だから僕はろくでもない生徒なのに先生から気にかけてもらえることが多かった。

臨時的採用教員の先生が僕の対処に当たることになってから、その先生のことが嫌いだった訳じゃないが、学校へと登校することが少なくなっていった。友達から教えてもらったYoutubeにのめり込み、一日中トムとジェリーを家で見ていたからだ。

するといつしか校長先生が僕の家まで僕の様子を見に来ることが頻繁に起きた。プレハブ校舎の様子を見にいっても僕がいなかったことが気になったのだろう。

イヤホンをつけながらゲームをして、ふと後ろを振り返ると校長先生がいたこともあった。あの気配の殺し方はさながら忍者だった。僕はその頃スーパーペーパーマリオにハマっており、何度かストーリーをクリアしていることがあって、会話文をボタン連打で飛ばしていると、校長先生は僕が超人的な速読の持ち主であると誤解をしていた。

それとは別の日のこと、僕が自分のベッドの上で漫画を読んでいると校長先生が部屋に入ってた。僕の二段ベッドには寝るスペースの半分が漫画の置き場になっており、ずらりと自分の好きな漫画を置いていた。どうやら校長先生はこち亀が好きなようで、久しぶりにこち亀を読んでみたいから一冊貸してくれないかと頼まれ、僕は校長先生に漫画を貸した。

物の貸し借りは問題の種と先生から教わったが、僕は10歳の時に校長先生と物の貸し借りをしたのだ。今考えてみると、校長先生は僕の家にくる理由を作るために漫画を借りたのだと思う。

校長先生は僕のゲームのプレイを後ろから覗いていたことが具体例に挙がるように、ただ様子を見にくるだけで、学校に登校するように説得されることや強いることはなく、学校に来た方がいいよくらいのことをやんわりと言うだけだった。

当時は自分の家に校長先生が来ることに何も感じてはいなかったが、今考えるとちょっと不思議だ。実際に生徒の対処に当たるのは担任の先生や教頭先生等の役割であって、決して校長先生の役割ではないはず。ましてや校長先生は学校で一番偉い存在なのだから、誰かに指示されることなんてないはず。

だから校長先生は自らの判断でわざわざ僕の家まで様子を見にきてくれていたということ。先に書いたが、僕は挨拶だけは誰よりも元気に出来たことが校長先生に好かれていた理由なんだと思う。

校長室登校を提案される

何度か校長先生が僕の家にくるにつれて、校長先生は僕に校長室登校してみてはどうかと提案してきた。

僕は単に面倒で家でごろごろと漫画を読んだりネットをしているのが楽しくて学校に行っていなかったのだが、もしかすると校長先生は誤解をしていた可能性がある。長らく学校へと通わない内に僕が教室で孤立してしまったものだと思ったのかもしれない。

それからというものの、僕は学校に行った時は校長室に登校するようになった。僕は朝起きずいつも遅刻をして登校をしていた。遅刻して登校するのだからどうせバレやしないだろうと思い、この頃の僕はいつも自転車で登校していた。遅刻で登校して早退で帰るからだ。

自転車で学校へ行き、校長室に登校。我ながら嫌なガキだと思う。

校長室では主にドリルやプリントを解いていた。やる気がなくなったら、机に突っ伏して寝ていた。机といっても学習机ではなく、大きなテーブルといった方がいいかもしれない。そのテーブルが僕にとっての学習机だった。

時たま臨時的採用教員の女の先生が校長室で僕のことをみてくれることもあった。遅刻して自転車で登校しているくせに、エアコンの効いた静かな部屋で、20代の若い女性の先生に1対1で授業を行ってもらっていたのだ。

ただ、その先生はそんなに可愛くはなかった気がする。記憶は定かではないが。

校長先生は時たまタバコを吸っていた。今の時代ならきっともうタバコは吸えないのだろう。タバコの臭いを気にしてか、常に校長室にはリセッシュがあった。校長先生はタバコを吸う旅にリセッシュを吹き替えていたから、そこまでするならタバコを止めた方がよいのではと思った。

それに仮にも生徒がいるというのに生徒の前でタバコを吸うのも、今の時代ならアウトだろう。いや、もしかするとあの時代でもアウトだったのかもしれない。ただ、僕は全くそんなことは気にはしてはいなかったが。

僕は小学校5年生の頃血迷って運動会の応援団に入ったことがある。これでも副応援団長だったのだ。声が大きかったらから誰よりも声を出していた。そんな僕が体操服へと着替えるのは、その時もう既に僕の住処になっていた校長室。校長先生は同じ男だというのに、僕が着替えようとする時に必ず隣にある職員室に移っていた。この時僕は校長室に一人。

つまり10歳のガキが校長室から校長先生を追い出してたのだ。もちろん追い出すつもりはなかったが、結果として毎回追い出していた。あの時職員室にいる教員の先生は追い出される校長先生をどんな気持ちでそれを見ていたのだろうか。

終わり

僕が校長室登校を始めたのはたしか小学校五年生の二学期頃くらいだったと思う。たしか夏休みの学校のない間も校長先生が1度か2度僕の様子を見に来ていたはずだ。もしかすると僕には人間としての何かの魅力があるのではないかと、自信にすらなるほど僕は校長先生に気に入られていた。

結局僕が6年生に上がり担任の先生が変わるまでの間、僕の校長室登校は続いた。もちろん、必ず校長室に登校するという訳でもなく、校長先生が不在の時などは自分の教室へと登校をしていた。

必ず遅刻して学校へは行くが、毎回早退する訳でもなく、普通の下校時間に下校することもあった。お昼を家で食べてから校長室へと登校して、そのまま教室には行かずにそのまま下校。下駄箱だけは教室の近くにあり、靴はその下駄箱へとしまっていた。

下校の時、当然下駄箱へと向かうので帰ろうとしているクラスメイトと遭遇。僕は校長室へ登校していることを隠してはいなかったが、積極的に話してもいなかったので、事情を知らない一部のクラスメイトからしたら、下校の時になぜか現れる変な奴だったのかもしれない。

僕は小学五年生の頃、校長室へ登校していた。生意気なクソガキだったのにも関わらず。寛容で柔軟な対応を敷いてくれた校長先生、臨時的採用教員の先生方に感謝を記して、この記事を終わろうと思う。

では、今回はこの辺りで。

さて次は何を書こうかな。



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