共通理解だけが、奴隷貿易を規制できる

前回の内容はこちら。


堀元君

いただいた手紙の順序を逸脱しますが、進撃の巨人は私も読んでいます。単行本の最新刊はまだ読めていないので、ネタバレは厳禁です。

さて。引き続き奴隷の話ですね。

堀元君と異なり、私は"「奴隷貿易は規制されるべき」である理由"なるものは存在しないと思います。"現代の価値観に立脚する我々の大多数がそう考えてしまう"という共通理解だけが、奴隷貿易を現代において規制すべきと考える根拠だと思います。

なので、この共通理解が普遍的な妥当性を持っているかという議論が意味を持つかということに私は懐疑的です。

絶対の真理なんてものは存在せず、「奴隷貿易は規制されるべき」という結論も翻る日が来るかもしれません。もちろんそれは、現代の価値観を共有する我々には想像できませんが。

ギリシャ人だって奴隷という概念そのものが悪いものと見なされるようになるなんて思いもしなかったでしょうし。価値観が当時と変わったために、共通理解も変わったわけです。


価値観の変遷を考える上でも人権は面白いテーマだと思います。人権は誕生してから、カバー範囲を拡大してきました。

先に例にあげたフランス人権宣言は、市民権を持つ白人の男性のみに人権を認めたものだそうです。

そこから順序はともかく女性や子供、有色人種へと概念を拡大してきました。そして現代でも拡大を続け、新しい人権として環境権などの議論があります。

我々が考える人権は、将来世代から見たらとても野蛮なものかもしれない。


一方で、あれこれ時代に即した概念をまとったとしても人権の概念のコアが存在し、それこそが真理であるという概念は成り立つかもしれません。それが取り出せたら奴隷問題への回答が"である"の形で提出できるでしょうか。

その辺、歴史の授業で学んだ、ロックやルソー、モンテスキューとかの著作を読んだらスッキリするんでしょうか。フランス革命前後の思想は個人的にかなり面白そうだと思っていて、もう少し詳しく歴史など調べたいと最近常々思っている次第です。(昨今、政治で登場する「右翼・左翼」もこの時代に起源をもつ言葉らしいですし)


さて。ここまでの議論から、私は、堀元君のあげる共通理解への分析②や③を掘り下げる気はありません。人権は、現代においては共通理解の通りにあるのです。それが、その理想通りに社会に適用されていなくても。真理としての、現行と異なる人権はない、というのがひとまず私の結論です。

①に関する堀元君の議論から、ホッブスの「万人の万人に対する闘争(『リヴァイアサン』に出てくるのかな)を思い出しました。歴史の教科書で見た程度の知識ですが。

人権が全くない(人々の中に概念としてすらない)のであれば、主人を奴隷が殺しても、それを非難する概念がないため、主人も経済活動や哲学なぞにうつつを抜かす余裕はないかもしれません。だからこそ、主人を殺すことは悪であるみたいな原初的な人権が生まれていくのかもしれません(この辺も歴史の教科書で見たような議論でしかないですね)。

実際、古代ギリシャも市民権を持つ者には人権があったでしょうから。戦争の捕虜を奴隷として売り飛ばすことは地中海世界で一般に公認の行動だったし。こうした権利と制度こそが、優雅な貴族を生んだのでしょう。

人権に準ずる概念が一切生じることなく、続いていく社会があったとしたらどのような社会になるかを考えたら、人権の核(それは真理なのか)となる要素を抽出できるのかもしれませんね。


2018年4月26日 すでにGW気分の結城

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