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善の心で悪をする。悪の心で善をする。昔考えていたことの答え。

むかし、小説家とか漫画家になるのが夢でした。

ストーリーを考えるのが好きだったのかな?と今振り返ると、思います。

むかし考えていた物語に、こんなものがありました。

『主人公の男の子が、幼少期に、美しくも悪しき存在と出会う。

その存在は闇をまとっており、彼はその存在を「わるい女神」と名づける。

幼いころの主人公は、その存在がとても悪いものだと氣づくと同時に、その存在が自分のことを深く愛しており、自分に逆らえないということにも氣づく。

主人公は、その存在の闇の力を使って、周りの人を操ったり、女の子を誘惑して、状況を動かしていく。

その存在は、主人公を愛しているため、主人公に女の子が近づくことをよしとしなかったが、強制されると抗えない。
主人公の言いなりとなり、闇の力を大いにふるっていく。

やがて成長した主人公。
操った者や、誘惑に堕ちた者は、全員が彼の僕である。

そして、彼は政治の世界に入り、闇の黒幕として暗躍。

彼のした『善い政治』は、人々を幸せにし。

みんなが笑顔の、素晴らしい世の中ができあがりましたとさ。

めでたしめでたし。』(笑)

そんな話でした。

なにぶん、素人の考えたストーリーなのでご容赦頂きたいと思います。

主人公はサイコパス氣味な性格で、自分の中の「悪」も自覚していますが、「それでも世界は平和の方が良い」と考え、悪の力を使って善い世界をつくる、みたいな、そんなコンセプトだったと思います。

いま考えると、ふわふわで甘々な設定も多い話なのですが、それでも興味深い点もあり、愛しい作品(未完成)のひとつです。

この小説の中に、意味深な雰囲氣で挿入しようと思っていた文章が、

『ある男は悪人である。
常に悪いことを考え、悪いように行動してきた。
だけど、彼がした悪いはずの行動によって、人々に幸福がもたらされた。

ある男は善人である。
常に善いことを考え、善きように行動してきた。
だけど、彼が良かれと思ってした行動によって、人々は不幸になってしまった。

君はどちらの男が正しいと思う?』

そんな感じの文章でした。

自分で考えておきながら、なんだかずっと氣になっていたこの内容。

でも、最近、この答えが、自分の中で出たような氣がしたんです。

結論から先に言うと、「善いことを思う」ほうが大切なんじゃないかな、ということ。

それによって人が不幸になったらあかんやん!‥て言われると。
もちろん、不幸にはならない方が良いとは思うけれど。

まぁ、不幸になる場合は、そのような体験をしたい、そのような人生にしたい、と、「生まれる前に自分で決めてきている」みたいですから。

宇宙人の人達が持っている、愛の度数を計る計器によって、愛のレベルが計られるらしいですから。

やっぱり、「善きことを思う」「愛と調和を意識する」が、結論だったのではないかと。

そう思ったわけなのです。

むかし空手の先生に、「誰が見ていなくても、神様と自分は見ている」と言われたことも、思い出します。

優しいことを思ったことは、誰からも評価されず、思い損になる、なんてことは決してなく。
決して無駄ではなく、記録されていくそうです。
記録はどんどん蓄積されていくのだそうです。

善きことを思う。
愛と調和で生きる。
自分にも人にも自然にも物にも優しく。

なんだ、結局、そこに還るのか。

昔は知っていたような氣がするけれど、忘れていた感覚。

そんなことを考える、今日このごろでした。


地球の天命が全うされますように。
日本の天命が全うされますように。
読んで頂いた皆さんの天命が全うされますように。
私は天命を全うします。

ありがとう。

2024.7.31 悠木美里

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