追憶~冷たい太陽、伸びる月~
受け継ぐ者
第47話 凍った眼差し、火照る舌
数日後、雨が止んだのでLisyはスケッチをしに外へ出た。
Pansyはアトリエの換気をしたいと言って留守番をすることになった。
こういうときに限り、Lisyは人気の少ない場所へは行かない。また公の場では人の陰に潜むことに徹していた。
かつてこの土地は多民族国家として寛容な国であった。しかしヨーロッパで繰り返される戦争を理由に、オセアニアをルーツに持つ人種のみを尊ぶ傾向が強くなってきた。
それでも他大陸からの移住者は後を絶たない。大星大国とオセアニアの他に他民族を形だけでも受け入れている大陸が少ないからだ。
赤毛で白肌のPansyと違い、Lisyは明らかにアジア系統のためオセアニア人と外見が異なる。名の売れた芸術家であるからこそ、形だけの多民族国家に甘んじる必要がある。
それでも五年も住み続けているのは、Pansyの意思に従っているからだった。
Pansyは偏見で住む地域を選んだことがない。流れるままにすべてを見納めてから別の地域へ移る。その繰り返しにLisyはついて行った。
戸籍上難民であるPansyにとってもオセアニアは決して住み心地が良いとは言い切れない。何のトラブルもなく広い大陸を転々とするにはそれなりの自制心と知恵が必要だった。Pansyが慎重になる理由も納得しているが、Lisyは芸術家として情熱的に生きようとしないPansyが心配だった。
Lisyは早めにスケッチを切り上げて、行きつけのオーガニック・ショップへ向かった。
オセアニアの食料品には添加物が多く含まれているだけでなく、オセアニアルーツ以外の人間は高確率で体調を崩す。
Lisyにとってもぜひとも回避したい成分だが、それ以上にPansyの方が気をつけなければならない。
Pansyは半分だけ人間なので、オセアニアの添加物に関してはLisyよりも影響を受けやすい。そのため、オセアニアについて最初にしたことは、オーガニック食品の身を扱う店を見つけることだった。それ以来、同じ店で買い物をしている。
Lisyはマシュマロを一袋買い、店を出た。そのときにすれ違った男性から、Pansyに似た香りが漂った。
「君、絵を描いているの?」
「何か?」
「画材の臭いがしたからね。見せてもらってもいいかい?」
Lisyは男性から離れた。
「待って」
「失礼、帰りを待っている人がいるので」
Lisyは足早に距離を取り続けたが、男性は追いかけてきた。
Pansyにはああ言ったが、Lisyは恋愛に積極的ではなかった。Pansyが絵を描き続ける理由を知ってからは特に、相手を見極める基準が厳しくなった。
Pansyを茶化すこともあるが、LisyはPansyの心境を理解しようと努力している。幼少期、Lisyと両親は運よく亡命できたものの、故郷で他の親族や友人を失った。Pansyの父も戦争の被害者であり、親近感が増した。絵を描く目的が違えど、他者の安寧を願う心は共通している、とLisyは信じていた。
だからこそ絵を見せる相手同様、芸術の糧となる恋の相手選びは慎重になった。
Lisyにとって、この男性は不相応だと判断した。
「ふぅん、アジア人の分際で、このオセアニア人を無視するんだ。いい度胸しているね。芸術家ともなれば気が強くなるのかい」
「芸術に人種なんて関係ないわ。お喋りの機会をくれてやるから、オセアニア人の何がどう優位なのか説明してみなよ」
すると男性は鼻高に言葉を連ねた。
添加物に耐性がないのは人類の臣下についていけない劣種の証。他大陸の人間は戦争や差別をしてばかりで低能。オセアニアに逃げてオセアニア人に傅くだけが取り柄、など。
「で? 何がどう優れているのがオセアニア人なわけ? 学力? 政治力? それとも人柄?」
「どれもだよ。本来はこんなオーガニック・ショップに立ち寄らずとも自活できるたくましさを兼ね備えている僕だけどね。アジア人を蔑むだけでなくレディのボディ・ガードも務まる有能さを見せつけてもいいんだよ? 僕はオセアニア人の中でも特に優れているんだっていう証明になるからさ」
「で? 皆はどう思う?」
Lisyの一言で、男性はアジア人とヨーロッパ人に囲まれていることに気づいた。
「え、何で殺気立ってんの?」
「あのさ、ついでに言うけどあんた、完全な人間じゃないでしょ。それならここでボコボコにされても文句は言えないね」
Lisyは人の波から抜け出し、そそくさと帰宅した。