追憶~冷たい太陽、伸びる月~
杜を巡る旅①
第6話 孤独の杜⑥
三族のトビヒ族は張り詰めた空気の中で枯渇した声が止まなかった。家族以外の者を敵とみなす姿勢は変わらないが、姿も見えない人間相手であると不安と恐怖に全身の神経が侵食されていた。
「お、おい。お前たちの僕を遣わせろ。こちらはあ、あ……安全な場所を確保してだな」
李(リー)の長が震える指で指すと、指された黄ファウンの長が右手で払った。
「ふざけるな! 私の大事な家族を、よそ者に道具扱いされてたまるものか」
「だったら黄(おさ)直々に出向いたらどうだ? 家族すら守れない弱腰黄(ファウン)めが」
李と黄の長が胸ぐらを掴み合うが、声から踵まで小刻みに震えていて迫力に欠けていた。神跳草が触れた人間の足に意識が傾いたこともあり、子どもの同胞一体でさえ中年二体の不安定な姿勢に見向きもしなかった。
「こ、これだからてて、て低俗どもは。やはりここはトビヒ族の王(おう)たるわ、わわわた、私が……これ!」
王が振り向いた先は古い木々の狭間に瑞々しさに欠けた若木が隠れているだけだった。
「居な」
「さすが王(わたし)の家族だ! アレほど迅速で勇敢な男など李と黄(おまえたち)のところにはまず居るまい。神跳草が王(わたし)のものであると、直に証明してくれよう」
王(おさ)に続いて、妻と息子嫁たちは涙袋の位置に皺を引き攣り喉奥で笑いだした。王の息子たちは自分の胸を撫で下ろして肩の力が抜けた。幼い王ワンたちはこの類の豹変ぶりに理解が追いつかずに開口していた。
下男たちは踵の重心で砂粒をさらに細かく砕いていた。下男の間にも位があり、彼らには譲れないプライドがあった。
「そういうわけだ、トビヒ族もどきめ。うちの下男でもできることを、女のお前ができるはずがないと認めたらどうだ? さっさと人間の世界に戻って、毒気まみれの空気を吸え。それがお前に許された生き方だからな」
「女、女って……あんたら本当に面倒くさかね。そこんまで男でもできる、というなら当然、分かっとるよね? 今、ウチは徐々に砂粒を温めとるってことを。あんたらの下男が低温火傷ば負っとるかもしれん足裏ば、王(アンタ)は後でちゃんと労ってやるっちゃろうけん?」
「砂粒を? あ、ああ、小娘がそんな分かり切ったことを……」
トビヒ族はその場から一歩も離れず、一斉に各々の長の顔を覗いた。男と子ども、下男は両瞼を限界まで開き、女たちは腰を反り睫毛で瞳が隠れた。
三族の長は自分に集中する複数の感情を持て余して、口角が震えた。
自分が日ごろから受け取るべき期待と尊敬の意は初めから長だけの所有物であったがその逆も薄まることなく混在していた。
女からその意を抱かれることは男に生まれた以上あり得ないことであったと、生涯を終えるまで過信していたかった。
「そう、よーく分かっとるなら、この後の展開なんて簡単に読めとる。だって神跳草はあんたらの最も忠実な僕、人間が杜の入り口から離れる瞬間までトビヒ族であるあんたらに律義に教えてくれるんだからくれるっちゃけん」
王(おさ)は右の爪先と左の踵に重心を分けて、砂粒の熱を感じ取ろうと努めた。
李と黄の長は下男を労うと唾を飛ばし、家族を率いて王(ワン)の敷地から退こうとした。
二族の下男たちは長よりも先に木々に隠れて、女たちは各々の夫を腕で捕らえて撤退を許さなかった。子どもたちは男女の上下関係が逆転したことで困惑が極まり、声も出せず母親の服を小さな手で掴んだ。
「恥をかかせるんじゃないよ」
女たちは夫にだけ聞こえるように唸った。彼女たちはすでに気付いていた。
夫たちの開口した喉から風が入ると、瑚子が力を分散させている地中で木の根が小刻みに踊りだした。細い吸収口から生命力が溢れていた。
木の根は瑚子の力を伝い続けて神跳草の根と接触して、栄養を分けた。杜の入り口では神跳草と乏しい木の葉が風を凪ないで、人間の関心を外側に向けた。
人間は神跳草に触れていたことに気付かないまま離れて、そのまま人間の住処に続く砂粒を踏み辿った。
「おお、たった今人間が逃げたぞ……!」
王(ワン)とその息子が両こぶしを挙げると、李と黄(長たち)も同様に腕力を込めた。
代わりに熱鉄が彼らの足に降ってきた。
「この、能無しが!」