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追憶~冷たい太陽、伸びる月~

  • 杜を巡る旅①

  • 第8話 孤独の杜⑧

「お前たちこン杜の者全員が知らんばいかんことはたった三つ。そい以外のことはもう、俺の口からは言わん」

 瑚子にはない、幅の広い肩を張り肩甲骨が浮かんだ。実際に利矢は衣服を着ているが、その衣服こそが素肌ではないかと錯覚するほど存在感が強かった。

 表情の見えない瑚子よりも、三族の方が利矢の威圧に敏感になっても不思議ではない。自己解釈が追い付く前に、瑚子の方が三族が生み出す無色のシェルターによって雰囲気に取り残されるだけだった。

「どうぞ何なりと。貴方様のお言葉はすべて受け入れましょう」

 吹き飛ばされていた李と黄の長は両手の平と両膝を汚してまで、利矢に縋りついた。各々の家族が飼い主の帰りを待ちわびていた子犬が前足の爪を人間のボトムスに引っかけるように乞い、二の長までもがプライドを捨てて、群れの最後列まで四つん這いで近づいた。

「一つ」

 利矢は両腕で王ワンの族長と妻たちを払い、尻餅をつくのを待たずに続けた。

「こちらのグリーン・ムーンストーンは神たるトビヒ族を従える女王だ」

「え、でも貴方さ……ぎゃっ!」

 王(おさ)の息子の一人が戸惑うと、その妻が左腕で突き飛ばした。砂粒を掴み、夫の唇をめがけて投げた。口枷の代わりだった。

「それで、あと二つとは一体何でしょう?」

 利矢と視線が合うと、冷気がその夫人を囲みドライ・アイスのように気温が固形化した。子どもは握る手の低温化に耐えきれず、母親の衣服を思わず手放した。

「お前たちは人間でもなく、ましてやトビヒ族ですらない。よって三つ目――」

「ちょっと、よぅそがん勝手なコトばベラベラと言え」

 瑚子は利矢の腕を掴んだが、利矢は瑚子に冷気を送ることすらしなかった。

「我が神聖なるハナサキ族の同盟相手は、同じく神たるトビヒ族のみ。この杜に巣食うお前たち、本来仕えるべき女王をこのクリア・サンストーンの情婦と思い込む下衆どもを守ってやるほどの情けは皆無。心から女王に仕えさせてやる機会など、とうに消え失せている。お前たちが愛して止まないこの土地で、勝手に野垂れ死ね」

 三族には瑚子が制止する声が聞こえていなかった。利矢が瑚子の手を引いて離れる際、砂粒の摩擦音すら素肌に響かず、自らの絶望を嗚咽する声でかき消していた。

「時間の無駄だ。肺が潰される前に発つぞ」

 瑚子は足を引きずり、利矢は瑚子を掴む腕に力を入れた。瑚子は利矢の腕を膝で蹴り、頭部を抱えて屈む王おさのもとまで駆け出した。

「今さら許していただくわけには——」

 王(おさ)が大粒の涙を流すと、瑚子の両頬が一瞬で桜色に染まった。

「甘ったれたことばぬかすな!」

 王ワンと李、黄の長は年長妻の腰に額を擦り付けて、隠せていない両肩が震えたままだった。

「いくら女の族長の好かんけんって、無関係の男に縋るとが家族ば守る者モンのやることか! ろくに世間を知ろうともせんで、アンタがぬかした家族とかいうお飾りすら見逃して、今度はアンタが散々貶した妻(おんな)の背中に隠れる。神跳草も全然(いっちょん)動かせんで、何が領地の長だ! そいでも家族、家族ってほざきたかなら、アンタらの好かん女に許しを乞わわんちゃ自分で動かんね! この杜を本来の杜に生き返らせてみんね! わが腹のごと、この砂粒ば草木で肥えさせてみんね! 本当に、他に生きられる場所の無かなら、必死になればそいくらい簡単かやろうが!」

 王の唇が餌を乞う鯉と化する前に、瑚子は既に薄くなった利矢の足跡を追った。

 これまで口を噤んでいた三族の子どもたちが負け惜しみの合唱を始めた。幼さゆえ、子どもたちに浸透していた善悪の区別は両親の代まで寸狂わずクローン化していた。

 人間だと思い込んでいたころの瑚子が聞いていれば、家族や友人に向けられた侮辱の言葉ならばなおのこと、耐えることなく幼いトビヒ族に対抗していた。

「良かとか? 粗末な虚勢でも、お前を卑下しているつもりやろうけど」

「構わん。あがん小物が奇襲ばかけたところで、ウチには失うモンなんか何も無かけん。そン前にあいつらが領地の外に出る勇気があるとも思えんし、ウチと会うことだってもう二度と無かやろう。ま、ウチが女に生まれてしもうたとは、死ぬまでお互い根に持つかもしれんけど」

「今後お前に懇意の配下が増えたら、お前の一言で彼らの善悪が左右されるのにか?」

「まったくあり得ん可能性ではなかけど、どっちにしろここの連中は自分以外の厚意ば受け付けんやろう。自分の存在意義だけが大事かとなんて、少数派の人間と大して変わらんね」

「こいばかりはお前の言う通りだな。意外と脳みそが機能しとる」

 瑚子は珍しく口答えしなかった。平たんな砂粒が徐々に緩やかな下り坂に変わり、砂粒が飛沫する間もないほど速く軽やかに、木枝に触れることなく麓まで駆けた。

「正直言いぅて悔しかけど、あの場で男のクリア・サンストーンが来てくれて助かった。ウチが説明せんでも状況ば良よぅ正確に把握しとったみたいごたるけど、もちろん逃がさん自信のあるけんそのドヤ顔なんやろうね?」

「俺は神々の中の神だぞ。物理的な枷のなくても、獲物一体くらいどがんでも捕らえられる」

 瑚子と利矢が足を止めると、地上には螺旋状の雲が卵型を維持していた。

 ガス台の青い炎と冷凍したままの野菜を鍋で茹でる瞬間の冷気が二色の独立したパステル・カラーとなっていた。

「こいが味噌汁やったら、無条件で喜ぶとばってかね」

「グリーン・ムーンストーン……お前、島原(しまばら)味噌とトビウオ(あご)出汁ば持って来とるとか?」

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