追憶~冷たい太陽、伸びる月~
杜を巡る旅①
第5話 孤独の杜⑤
木の葉は密度を増して無数の葉が互いに摩擦し続けていたが、存在感は一枚たりともトビヒ族から消え失せていた。
「神跳草あれは我が一族の功績だ。それを横取りなんて、うちの下男ですら決してしないぞ!」
瑚子と王(おさ)に割って入ったのは二体、恰幅の良い男だった。どちらも袍(パオ)を着用していて、日本人と同じ感覚で見ると五十台半ばだった。
「我が一族お前たちの功績だと? 王(ワン)のことを言える立場ではないな。これだから黄(ファウン)どもは」
「李(リー)は名高き黄(ファウン)をここにいる愚かなる王(ワン)と同じと見るのか。そもそも黄一族に功績と呼べぬ功績すら上げられるとは思えぬが?」
李の長と黄の長が互いに向き合うところで、光沢のない袍パオを纏ったトビヒ族が二体に続いて現れた。
子どもと男女、下男の数は二族とも、王ワン一族とほぼ変わらない体数だった。子どもは精通や初潮を迎えるか否かの年ごろで揃い、夫婦は三十台から四十台、他の女は夫婦より五歳ほど年上に見えた。それぞれの族長の妻だと察した。
ただし瑚子は日本人として育ったので、現地の美的感覚とは十歳前後の誤差がある。
下男は子どもが纏うファスト・ファッションよりも傷んだ生地で袍(パオ)とも呼べず、実際には二十台かもしれない者が四十台以上に見えた。
李(リー)と黄(ファウン)のどちらも、誰一人として瑚子に傅くことなく三つ巴を始めた。
子どもは子どもと。夫はそれぞれ妻を持つ男と。比較的若い妻は年代が近く、族長以外の夫を持つ女と。族長の妻は同じ位くらいの妻と。それぞれが口論が始まった。交通事故勃発の瞬間の方が閑静と思えるほどの声量だった。
下男は年代別で集まり睨み合っていた。従者ゆえに声量を抑えていたが、瑚子が聞き耳を立てると人間の世界では公開できない過激な暴言だった。
子どもが聞いているかもしれない距離で堂々とした発言は、瑚子が生まれ育った街では受け入れられない習慣だった。
瑚子がトビヒ族として覚醒するまで、瑚子自身が両親に守られ穏やかに過ごせていたことを痛感した。
また瑚子の予想した成人トビヒ族の年齢が一体も当たっていなかったことも驚くべき事実だった。少なくとも瑚子が育った周辺では年代ごとに取り入れる流行や身なりにはっきりとした区別があり、誰もが自分を良く見せようとしていたからだ。
三つ巴の口論は激化して、瑚子は一瞬にして蚊帳の外となったが、風が鎮まった木が一本だけあった。
その木に隠れていたトビヒ族は三つ巴に参加せず、どのトビヒ族とも目を合わせず沈黙を通していた。
そのトビヒ族の存在感を、瑚子以外の同胞は一体も気付いていなかった。
「へぇ、別格のトビヒ族も居(お)ったったいね。さすが名誉ある一族やね」
瑚子は自分の両耳を手で塞ぎ、自らの力を足裏から微量ずつ放出した。どのトビヒ族にも察知させず地中を這わせて、瑚子のパーソナル・ディスタンス内のみ、砂粒の音すら消えた。
瑚子が放出した力は、瑚子と利矢が着地した地点よりも外側へ向かいながら枝分かれした。
枝先が別の気を察知すると、枝先が元の二本に集結して地上を目指した。
神跳草の根に触れると、二本の神跳草が一本の足を交互に叩き始めた。
瑚子が両耳から手を離すと、三族の頭上を彷徨う風が無数の木の葉に撃ち落とされた。
王(ワン)、李(リー)、黄(ファウン)それぞれの長が声を揃えると、三族の者すべてが三つ巴から抜け出した。
「神跳草が騒いでおる。人間が侵入してくるぞ!」
三族が別のことで騒ぎ立てる中、右のえくぼが浮かんだトビヒ族が一体。
——ただし、瑚子ではない。