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追憶~冷たい太陽、伸びる月~
探し求める者
第37話 2110年―踏み出す一歩②
Oliveは宿を取り部屋に入ると、Pansyの発言を小声で促した。Pansyは首を横に振り、スケッチ・ブックの頁を捲った。
二人が夜を過ごすことになった街は宗教色が濃く、歴史で学んだ以上に女性の立場が弱かった。
日中でさえ出歩く女性はPansy以外になく、男性はPansyを異端者として横目で見た。
Oliveが宿を取る際、受付にて言い渡された宿泊条件に、Pansyは必死に吐き気を抑えた。その条件とは、淫行によってベッドのシーツを汚さないことだった。
Pansyはその意味をヨーロッパでの性教育で知っていた。
「何が悲しくてお前と」
OliveはPansyから目を背けた。
「今日はもうお眠りください。早朝、この街を発ちましょう」
「分かり切ったことを言うな。そもそもお前に発言権はない」
言い切った瞬間、Pansyは寝息を立てた。ヨーロッパの杜を抜けて、休まず走り疲労が溜まっていたのだ。
Oliveは壁にもたれて、座ったまま目を閉じた。
翌日以降も、二体は公共交通機関を使わず、自分の脚で東へ向かった。Pansyに十分な所持金がなかったからだ。
アジア東部では、褐色肌の人間よりも薄い色素の肌が多かった。わずか一世紀弱の間に、現地の人口割合は先住の貧困民とアジア東端出身の富裕層とで入れ替わっていた。
物価もPansyがヨーロッパに住んでいたころの半分にも満たない。後者は資産をより保守するために移住する。その傾向はCocoが日本という国に住んでいたころと変わらなかった。
大陸東端に近づくと、両者の割合はほぼ半々になった。
肌の色素がより薄いPansy、さらに薄いOliveは大衆の中で悪目立ちした。人間の歴史では肌の色による差別が禁じられて一世紀以上も経つにも関わらず。
そんな二人に声をかけてきたのは、淡い小麦色の肌をした少女だった。
「オニーサンたち、観光? Ming(ミン)が案内してあげる」
PansyとOliveは立ち止まった。Mingがもえぎ色の色彩を露わにしていたからだ。Cocoが語った歴史では、人間の世界で生きたトビヒ族は皆コンタクト・レンズで色彩を隠していたからだ。特に髪や瞳の色素が濃いアジア人にとって、もえぎ色の色彩は不自然とされていた。
Mingもまた、アジア先住民に近い容姿だった。薄黄色の肌、青みがかった黒髪は過去の中国系、韓国系、もしくは日系を思い起こさせた。
「あ、もしかしてMingの目が気になる? ミックス? ってよく聞かれるけど、実は天然なんだよね」
Mingは大きく開いた襟元から、ようやく膨らみ始めた胸をちらつかせた。Oliveは動揺せず、Pansyに目配せした。
「オネーサンの目もキレイだね。宝石を着けているみたい」
「そう。あのさ、この街で君と同じ目をしているのってどれくらいいるの?」
「えー、どうかなぁ。あまり見たことないなぁ。でも他にいたとしてもMingはオネーサンもアリだよ。何ならセットで安くするよ」
MingはPansyの真意を捉え誤った。Mingは女性も相手にする娼婦だった。
「悪いことは言わない。いずれ君の目が命取りになる前に、生き方を変えな。それだけ言語が達者なら、私たちのように生きる場所を移るのも悪くない」
「え、何、Mingのことを買うんじゃないの? しかもお説教って、時代遅れなんだけど。だったらなおさらMingを買ってよ。Mingに生きろっていうならさ」
Pansyはそれ以上何も答えず、前を進んだ。OliveはPansyに続いた。Mingは追いかけず悪態をついた。その直後、また別の通りすがりに声をかけ始めた。
「この辺りにも一応、杜がありました。ですが先住民同胞の決断力が強まるばかりで、杜の環境は悪化するばかりでした。食べる物も満足に実らず、先の同胞は遂に人間の世界へ降りました。生きるために何でもやった結果がMingでしょう」
「だが私には何もできない。自分のことで精いっぱいだし、なにより私はトビヒ族が大嫌いだ。忘れたか?」
「おっしゃる通りです。彼女には誰かが助けてくれるのを祈るのみ。こう言っては徳も何もありませんが」
「だったらそれ以上喋るな。それより波止場までまだ距離がある。Cocoさまの故郷の島に着くまで、休む暇はない」
かつて日本と呼ばれた島国で初めて、Pansyはスケッチ・ブックの頁に絵を足すことになる。