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産まない選択を、しました。

「産まなくても、いいんだよ。」
そう言ってくれる人に囲まれていたい。
自分も誰かにそう言ってあげられる存在でありたい。

初めまして、ユウキです。

結婚7年目、子供を産まない選択をしました。
親友でもあり、恋人でもある夫と、のんびり穏やかでシンプルな毎日を過ごしています。

妊娠・出産への恐怖

初めは、
「出産って、痛いんでしょ。怖い」
という、シンプルな恐怖感でした。

何時間、何十時間にも及ぶ激痛。
果たして自分は耐えられるだろうか。
産み切ることもできず、途中で力尽きて命を落とすんじゃないだろうか。

小学生だった自分には、出産シーンの激しい悲鳴や悶絶すら表情はあまりに衝撃的で。子供心に、出産は恐ろしいもの、死んでしまうかもしれない過酷なもの、という認識が刻まれていきました。

中学、高校と進むにつれ、その恐怖感は、お産のときだけでなく妊娠期間中の身体変化にまで及ぶようになりました。

それまでに得た知識をまとめると、
妊娠出産とは
「自分の中に異生物が発生し、母体の養分を吸収して生育し、成長するにつれ母体を内側から押し広げ、腹を膨れさせ、外からでもその形がわかるほどに激しく蠢き、最後は強烈な痛みを伴い穴をこじ開けて這いずり出てくるもの。」

なんという恐ろしい現象だろう。
なぜ、人はそれを感動的だとか神秘的だとか、美しいものとして捉えようとするのだろう。どう考えても、グロテスクなホラーと変わらないじゃないか。

そのグロテスクさに、果たして自分の心は耐えきれるのだろうか。
出産のときだけでない、9ヶ月に渡る妊娠期間中、胎内に寄生する異生物の存在に自分の精神が蝕まれて崩壊し、出産を待たずして突発的に自殺を選ぶことになりはしないだろうか。

妊娠したら最後、絶対に生き延びることは出来ない。いつかのタイミングで確実に自分は死ぬ。

自分にとって、妊娠出産は
自分の命を脅かすばかりの恐ろしいものでしかなくなっていました。

「結婚」と「出産」

それでも、大人になったら出産は免れない。
結婚したら、子供を産まなければいけない。

結婚とは、「家」を存続するためのもの。それには出産は不可欠。結婚とは、子供を産んで、命をつないでいくために作られたシステムなのだから、結婚する以上は子供を産まなければならない。

学生時代の自分は、固定概念に縛られてそんなふうに考えていました。学生のうちに出会う大人は、友達の親かもしくは教師くらいしかいない。教師の多くは男性で、女性教師は独身か既婚子持ちばかり。田舎暮らしの高校生だった自分は、既婚子なしの大人に、まだ出会ったことがありませんでした。

「このまま生き続けていたら、いつか出産をしなければならなくなる」そう思えば思うほど、大人になるまで生き続けることすら怖くなる。
「子供を産まないために、自分は結婚はしない。独りで生きていく」そう考えることもありました。

けれど、それでも大人になって、「結婚したい」と思える相手と出会いました。
小説やドラマに出てくるような、「この人の子供が欲しい」という思いは、一切沸かなかった。それでも、この人と結婚をしたい。事実婚ではなく、正式な婚姻届を出して家族になりたい。
もしも、そのために子供を産むことが必要なら、なんとかして方法を考えよう。自分が、妊娠期間中も精神を壊さず、出産時にも衰弱死せずに済む方法を。

無痛分娩に水中出産、海外での出産。「少しは楽」と書かれているものは片っ端から調べ、時期から病院から何から何までいろいろ考えました。
傍から見れば、誰よりも産む気満々のように思われていたかもしれません。

でも、いくら調べても、どんなに周りが「お産の痛み、意外と大丈夫だったよ」と励ましてくれても、
やはり妊娠出産を前向きに捉えることは出来ませんでした。

なぜなら、自分は
根本的に、妊娠出産を"グロテスク"としか捉えていなかったから。
産まれてくる子供のこと、自分と血の繋がった子供への愛情、そういったものに一切思い至ることがありませんでした。その前の段階、妊娠するという時点で、自分は自分の子供のことを「自分に寄生する異生物」としか捉えることが出来ないのです。

「産む」を、捨てる

結婚して、4年ほどが経った頃。
自分は、やっと
「結婚はしたけど、子供は産まない」
それを、言葉にすることが出来ました。

なんてことない、簡単なことでした。

出産したばかりの友達の家へ、赤ちゃんを見に行ったときのこと。
友達に「あんたのところは、子供どうするの?」と聞かれ、迷いつつも「うーん、うちはいいかな」と、なるべく軽く聞こえるように答えました。

すると、その友人は一言

「うん、それがいいよ」

しっかりとした口調で、頷きながら
「産まなくていい、あんたのところは夫婦仲がすごくいいんだから、それでいいんだよ」
そう、実感のこもった声で言ってくれました。

その瞬間、
いろいろなものがすとんと落ちて。

あ、産まなくていいんだ。

二人の子供を産まなくても、夫婦でいていいんだ。

産めないんじゃなく、初めから産まなくてもいいんだ。

自分、
子供を産まなくていいんだ…。

あのときの友達の言葉に、どれだけ救われたか…

生きていていいんだと、言われた気がしました。

「産まなくていい」を、繋ぎたい

自分は、友達の「産まなくていい」の言葉に、人生を救われました。
この思いを、自分からも誰かに繋いでいきたい。

産まない選択をした人々への、社会保障だとか特別な権利だとか、そんなものはいりません。
ただ、「産まなきゃダメだよ」と言わないでいて欲しい。それは、産まない選択をした人々にとっては単なる「意見」ではなく、首を締められるような、胸をナイフで刺されるような、致死的な「攻撃」になり得るのです。

「産まなくてもいいんだよ」と言ってほしい。
そのために、自分からもたくさんの人に言いたい。

このnoteは、そのための一歩です。

自分と同じ思いの人に、一人でも多くの人に届きますように。
言ってほしい人は、声をかけてください。
何度でも言います。

あなたは、子供を産まなくてもいいんだよ、って。

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