ジュディ 虹の彼方に
イクスピアリに「ジュディ 虹の彼方に」を観にいってきた。
久しぶりの舞浜、久しぶりの映画館。河西さんの出ていた舞台を観て以来、3ヶ月ぶりの外での作品鑑賞。
このnoteはただの雑感、感想です。
※いわゆる"ネタバレ"を含みますのでご注意。
この映画は女優 ジュディ・ガーランドの生涯を描いている。「オズの魔法使い」のドロシーで誰にでも知られたアメリカの恋人。
オズの魔法使いは大好きだけど、もちろんそんなハッピーな内容ではない。
夜の華やかなパーティー、周りの著名人の誰よりも知られているジュディ。誰かに声をかけて朝まで遊ぶ、ぐだぐだと眠り(眠れてない)、気分が優れないまま立つステージ。大切な子どもたちと一緒に暮らす生活を取り戻すための、お金のための仕事。酒を飲んで立ったステージの醜態、悪評、とれない契約。
ジュディは2歳から人前に出る仕事をしてきて、「太らせないように」と食事をコントロールされ、ボーイフレンドとハンバーガーを食べに行ってもポテト1本しか食べられない。撮影に忙殺されて睡眠時間がとれず、眠れる時になっても寝付けない。マネージャーが彼女に与えるのは、薬。いろんな薬。
そんな彼女が成熟した女性になって手を伸ばすのは、栄養のある食事じゃなくてお酒。お酒と薬。
ビタミン剤を打ってくれた医者の「自分を大切にして」という言葉は切実だった。医者の彼もドロシーのファンだった。
映画は、劇場との契約を打ち切られた後、サプライズでステージにジュディが現れて「虹の彼方に(over the rainbow)」を歌った後、突然終わってしまった。
ジュディはこの歌の途中で「歌えない」と言って座り込んでしまう。そうすると客席に入っていた彼女の熱心なファンをはじめとして、みんなが次々に続きを歌い出す。みんなジュディが歌ったこの歌を知っているのだ。
ああ、この人は立ち直れるだろうか。生活も、自分の感情や気分でさえうまくコントロールできない彼女はそれでも一生懸命に幸せになってくれるだろうか。
そんな望みを抱いた途端、暗転した画面には、彼女がそのステージの半年後に47歳で亡くなったことを告げる字幕。エンドロール。
映画として満足な終わり方だったかといえば、そんなことはなかった。だけど実際、ジュディ・ガーランドの人生はそうして終わった。なにかに断ち切られたみたいに。
もしもあの時、マネージャーが食べていいよとハンバーガーを食べることを許可していたら。眠れないのと言う彼女に、薬ではなく鍋で温めたホットミルクを与えていたら。
もしもあの時、彼女が心から満たされていたら。そんなことを考えてしまった。
Over the rainbowは終わりの歌じゃない。オズの国を冒険する前、ドロシーが夢に焦がれてモノクロフィルムの中で歌うはじまりの歌だ。ジュディの人生もまた始まるはずだった。でも様々なことが彼女の人生を蝕んでいて、それは叶わなかった。
印象に残った台詞の話。
劇場裏で出待ちしているファンとの交流も、この映画では描かれていた。その一連のシーンにはわがままに当たり散らかしたりしない、思いやりのある優しいジュディがいる。
「客席にあなたたちの姿が見えると「味方がいる」と思うの」と彼女が言うと、ファンの男性は目を輝かせて喜んだ。
味方。
醜態を晒しても彼女が披露する歌声を信じて待っている、スターの味方。
ジュディは「客席とステージの間に生まれる愛」を大切に思って信じていたし、それを愛していた。
離婚、ボーイフレンドとの再婚、子どもとのやりとり。いろんな人間関係が描かれていたけど、ファンとの絆を感じている時だけは彼女は心の底から満たされていたようにも見えた。
年相応の普通の生活に憧れる反面、撮影所を出てしまえば雨粒と同じで誰も見向きもしてくれなくなる。地位と名声と引き換えにしたジュディは平穏を失った。
ただステージに立っていたい、それだけなのに。
時代が変わった今も、きっとそんな陰はあるんでしょう。人に知られるようになったらその分、切り捨てなきゃいけないことがあるし、経済をまわす生々しい現実を知ることになる。
このコロナ禍、いくつもの映画作品に救われた。その中にはとりわけ私が大好きなアメリカのミュージカル映画も多くある。
客席に座るファンの側にできることは、本当にただ、作品を愛でること。味方でいることなのだと思う。それしかできない。
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