【経験談】株との出会い、タイ・インドネシアの地で
株式投資家としての僕のルーツは東南アジア、タイ王国の古都チェンマイにあります。
あれは大学生時代、1年間の休学をして東南アジア放浪の旅に出て、タイ→マレーシア→インドと巡り再びタイに戻ってきた頃のことです。
チェンマイの安宿で1人の日本人と出会いました。年齢は40代後半くらいですかね。現地でスマホをスられて宿で途方に暮れているときに、色々と助けてくれました。
ひょんなことから行動を共にするようになりました。バイクを借りて現地の温泉に行ったり、地元民御用達の激安鍋料理店に連れて行ってもらったり、大変お世話になりました。
ある日、ホテルの食事処で2人で晩御飯を食べているとき、彼に「普段、お仕事は何をされているんですか」と何気なく尋ねました。長期休暇の時期でもないのにタイで何週間ものんびりできるなんて何者なんだろうと思ったからです。
彼「ん?何もしてないよ!」
僕「ん?、、、ほぇ?!何もしてないんですか?」
彼「んー、FXって知ってるかな?僕は自分のお金を円⇔ドルに交換して、その差額で儲けているんだ。タイって生活費安いでしょ?だから十分生活できるんだよ。」
そう彼は生活費の安い新興国に生活の拠点を置くことでFIRE(経済的自立による早期リタイヤ)を実現していたのです。年に何回かは日本に戻っているそうです。
FXの概念自体はほんのり知っていました。マレーシア、クアラルンプールに居た時、タイで知り合った方から「今、マレーシアリンギット両替チャンスだよ!」と連絡を貰い、少し有利なレートで両替できた経験があったからです。
しかし、その延長で、その利益だけで!生活している人がいるなんて!インド以上のカルチャーショックでした。
働いて、納税して、節約して、貯金して、しか知らなかった、どうせ頑張っても給料も上がんないだろうな、そういう暗澹たるイメージがあった僕にとってとてつもない衝撃でした。
そんな裏技があるんだ!と。
しかし、その裏技を実践するには種銭が何千万円と必要です。くぅ…、結局そこまでは地道に貯めないといけないんだと少しガッカリ感を覚えました。だから、その時はあんまり突っ込んで話を聞こうとはしませんでした。
しかし、この経験は無意味ではなかったのです。話は次の国、インドネシアに移ります。
彼との別れを済ませ、僕はインドネシアに行きました。当時の首都ジャカルタの安ホテルで別の日本人と出会います。これが決定的な出会いとなりました。
彼は仕事を辞めて、長期休暇としてジャカルタに来ていました。意気投合した僕らは一緒にショッピングモールに行ったり、バーに行ったりしました。
ある日、この本面白いから読むといいよ!と言われました。それは世界を放浪する日本人が、どうやって今の生活を手に入れたか?を書いたものでした。タイトルは思い出せません。
その本の中では、「自分は株の配当金で生活費を賄っている。新興国は生活費が安いので、配当だけでも余裕で生活できる。そして、株が暴落した時にコカコーラやペプシといった配当貴族銘柄を買い占めることによって、資産を増やすのだ。」と書かれていました。
この箇所を読んだ時、チェンマイで出会った日本人のことを思い出しました。そして繋がりました。
そうか!株が暴落した時に配当金が出る株を買えば資産増と配当が手に入る、それを繰り返せばいいんだ!そうすればあの人みたいになれる、このルートなら可能性あるかも!と。貯金しか頭になかった僕が、投資で資産増を目指すことに考えが完全に切り替わった瞬間でした。
そして、その機会はあまりに早くやってきました。帰国後、すぐに中国で新種のウィルスが出たとの報道があったのです。続きはまた書きます。
〈おまけ〉
なぜ僕は旅に出たか?それは大学時代にしか、時間的に、そんなことはできないだろうなと思ったから。そして、一度めちゃくちゃなことをやってみたかったのです。
だから日本一周じゃなくて、自分の全く知らない東南アジアを選びました。未開であればある程良いという判断です。事前調査はゼロです。
世間から、全く理解されなくともOKです。自分探し乙wwwとバカにされようともOKです。実際、友人からは「それって自分探しやろw」と言われました。
けれど、当時、灰色だった人生で、一度だけでも物語のようなことをやってみたかったのです。旅の記憶は自分がめいいっぱい頑張った結果であり、僕の人生の宝物です。そういった宝物をこれからももっと作っていきたいです。
旅のBGM