Netflixの「セックスエデュケーション」にそれこそ性教育された気がする。

ほんと題名の通りなんですが、今まさにシーズン2が配信されているNetflixオリジナルコンテンツの「セックスエデュケーション」。

普通に、アメリカやイギリスの作品に良くある、思春期の中高生の「性の目覚め」を、ストレートで過剰に、隠さず表現するコメディだと思っていた。きっと、イケてない青年が、セクシィな学校一の女の子に恋して成長していく系の学園ドラマだと思って見始めたのだが、全然違う感想を持ったので紹介したい。そして、学生も大人も男女も関係なく、ぜひ性教育をされて欲しいと思うのだ。

そういえば、思い出せる限りで、自分にとって性教育とは何だったのか考えてみる。俺は今32歳、某北関東の公立小中学校出身なんだけど、今でも忘れない。小学校5年か6年の春、保健体育の授業で急に男女に分けられて、予告なしにその日はビデオを観させられた。そのビデオでは、実験室に置かれた男性器のモデルが映ってて、無表情の看護師風の女性が、コンドームを着けるシーンが繰り返し何の演出もなく記録されていて、それを何回か観させられた。教室内、当然の様にシーンみたいな。たぶん別の部屋で、女子も女性版の何かそれに近いものを観させられていたと思う。

その謎の観賞会が終わった後、俺たちは変な空気になって、その日の下校の時、友達との議題は、「あのビデオなんだったん?」ということと、「俺らは変態行為によって生まれてきたのか。」という事だった。エロいビデオとか本でやってることって、犯罪じゃないんだ。別に観ていいんだなと涙を流して喜びあった。これは青春の1ページとして俺の心に今も刻まれている。

それと、これは教育というよりは俺の親父が特殊で、いい意味でおせっかいだからなのだけど、これも小6か中1の時、ある何かの習い事の送り迎えの時に、ふいに親父が、「お前ゴム持ってるか?」と聞いてきた。当たり前の様に反抗期だった俺は、「は?」と返したんだけど、親父は気にせず続けて、「どうせ止めてもやっちゃうんだし、好きな子がいる事はいいことだから、ちゃんとゴムは付けろ。買えないなら俺が買ってきてやるから俺に言え。」と。その時は上手く立ち振る舞えなかったけど、そんな、どんなナイーブな内容でも、明るく言ってしまえる親父が、俺は今でも大好きだ。

何が言いたいかというと、俺らが受けてきた「性教育」って、多かれ少なかれ、似た様な感じのテイストのものだと思う。それは、ちょっと気まずいものであり、学校教育のフレームの中で行われるから、笑えないし、教師も特に深く触れられずに、「映像や授業の時間だけが過ぎて、受けたことにされた」もの。そこで受け取ったものは、性の用語や生物的な行為の意味だけで、実用的ではなく、後々仲間同士でネタやギャグっぽく消化されるもの。俺はたまたま親父がオープンな性格だったから、あぁそんなに隠さなくていいもんなんだなって思えたんだけど、多くの日本人の中での性教育は、こんな感じの記憶でパックされていると思う。

でも「セックスエデュケーション」はどうだったか。

※クリティカルなネタバレには注意するのだが、紹介する上で、少しだけ内容に触れることにはご了承頂きたい。

舞台はイギリスの片田舎の高校で、主人公であるオーティス(童貞ね。)が、経験もないのに、セックスに狂う同級生の性の悩みを聞いて、校内でセックスクリニックを開くっていう話。オーティスの知識の源泉は、セックスセラピストとして開業している彼の母親ジーンによるもの。そして彼の一番の親友エリックは同性愛者で、周りや親にもそれをカミングアウトしている、お洒落でお調子者の黒人の青年。オーティスは、メイヴという女の子と二人でセックスクリニックをやっているんだけど、お互いキャラも違うし、当初はまるで仲が良くなく、たまたま利害関係が一致して、バディを組んでいる。メイヴは実際はそうではないんだけど、所謂ビッチキャラ。二人はだんだん仲良くなって、予想通りにいずれ恋に落ちる。

この作品のポイントは、オーティスへ向けてされる性の相談内容が、結構リアルに高校生が悩んでいたり、高校生の時に正に知りたい内容に溢れているってことである。当然教科書的なことではなくて、あの頃そこ気になってたかもなーとか、コメディではあるけどネタには手を抜いていない感が絶妙である。そして、女の子も感じ様に悩んでいるのである。それはテクニックだったり、自分の体が正常なのか、自分固有の異常なものなのかに。男子の世界に、「女性の性の悩み」は存在していない事になっていたんだなと言う事を、恥ずかしながらこの年になって思い知らされた訳である。

また、シーズン1、シーズン2共に、同性愛者も、高校生の「日常」として受け入れられている。もちろん差別的な人も多少居る。それでも、「高校生」の生活の中に溶け込んでいると言うのは、僕が高校の時には想像出来ない光景だ。ちなみに、僕はストレートに女性だけを好きな男性であるが、セクシャルマイノリティに偏見はない。男性同士も手を繋いで歩く光景が、日本にも受け入れられる日が来て欲しいし、職業柄、マイノリティの人たちが、マイノリティであることを突きつけられずに過ごせる社会に、早くしたいとも思う。

少し触れておきたいのが、セクシャルマイノリティの存在と、彼らの恋愛の様子、その葛藤も、「当たり前のこと」としてストーリーに組み込まれていることである。同性愛者であるエリックは、シーズン2で転校生であるラヒムと恋に落ちるし、三角関係にもなる。また、同性愛者はエリックだけではなく、校内のヒエラルキーが割と高いメンバーの中にも居て、アダムというイジメっ子すらゲイである。バイセクシャルすら登場する。

こういった形でストーリー上で描かれる日常は、大袈裟なものではなく、僕ら人間の、それこそ複雑で、素直な日常そのものなのではないかと思うのだ。当たり前に女の子の事で悩み、取るに足りなく他の人に言えないもの。女性も男の事で悩み、同性愛者も彼氏彼女の事で悩むこと。そしてそれらの悩みは、多くの場合、人に言えず、ネット上で出会う「答えのようなもの」に従って正解だと思い込むしかないもの。ま、俺の時代はネットで調べることなんてまだ日常化していなかったんだけどね。

思春期を迎えたキッズたちに、本当の意味でワークする性教育は、これらの悩みに寄り添ってくれることであり、相談の場であること。だれもが、変な悩みだなとか、モロにプライベートで言えないなと思って打ち明けられないものに、寄り添ってくれる空間であることなんじゃないかと思った。でも学校での性教育は、そうなっていないし、教師と生徒の立場上、限界もあると思う。そんな中、「セックスエデュケーション」は、ストーリーの中でセックスクリニックを軸に、大人になった僕らに対しても性の再教育をしてくれる、まさに最高のコンテンツである。思春期特有のトピックスを使いながら、青春を謳歌するキッズの目線に近い立場で、取るに足りない、しかし本人にとっては最重要な議案について、コミカルに寄り添ってくれるコンテンツであった。もう普通に拍手喝采した。笑

ちょっとだけ話逸れるんだけど、日本の映像表現や性に対するスタンスの遅れも同時にすごく感じた。セックスエデュケーションに限らず、海外の作品ではもう同性愛者は普通に生活の中の存在として登場するし、あらゆる性への関心や行動は隠すものではもう全くない。(というか人間の3大欲求のひとつである。)日本の作品で、ゲイ同士がキスするシーンや、同性愛者同士が三角関係になる話なんて観ない。(おっさんずラブを除く。)性的なシーンを魅力的に表現することすら、ほとんど観ない。なんか子供に見せてはいけない雰囲気が未だに残っている。一方で、昨今のNetflixコンテンツは、義務感を持って、積極的にジェンダーのグラデーションを表現している様にすら思う。グローバルなレベルで時代を変えていくべく。こういうスタンスを見ると、20年くらい間を開けられている感じがする。だから、ちゃんと日本の文化も、拡張していかなきゃなとも思う。

話を戻すが、この記事を読んでくれた方の「性教育」はどんなものだったか。この自宅で過ごす時間が長くなった生活の変化を機に、少し思い出してみて欲しいと思う。自分もあなたも、いずれ自分の子供やその友達の悩みに、彼ら彼女らとかけ離れすぎないスタンスで、向き合わなければならない時がくるから。その日が訪れた時、教科書レベルの、ダサくて野暮なことは言いたくないと切に思う。あの日の親父の様に。

そんなこんなを見直す上で、「セックスエデュケーション」は素晴らしいものだし、大前提コンテンツとしても超面白い。ぜひ観てみて頂きたい。シーズン2まで観られます。

※この記事は GO FIGHT CLUB の課題として書いたものです。

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