スーパースターになったら
6年程前から心療内科に通っている。
恥ずかしい話だが当時好きだった子にフラれてからどこかネジが取れたかのように感情がおかしくなった。
今までそれなりに恋愛というものは経験してきたつもりだがその子だけは何故か違った。
頭のてっぺんからつま先まで全部気持ちが通い合えたと思っていたからだ。
当時の僕は本当に最低だった。
その子の他にセフレはいたしその子の妹とまで関係を持っていたのだからほんと救いようがない。
散々傷つけていたのは自分のはずでいつも口ばっかで愛想をつかされるのもしょうがないはずなのにいざ関係が終わってしまうと子供みたいに泣き喚いてしまった。
フラれた要因は他にもあって僕の女癖の悪さには目を瞑ってくれていた。
1番の原因となったのは将来のことだ。
当時フリーターでカフェのアルバイトをしていた。
その子にはいつも「将来は服飾の仕事をしたい」ってずっと話していた。
なのに遊び呆けて将来のことになるといつもふざけて誤魔化していた僕にとうとう嫌気がさしたらしい。
「そうやって馬鹿なフリしてたら楽だよね。 でも私は信じてたんだよ。」って言われた言葉が未だに忘れられない。
その子は後に医学部の学生と付き合った。
それがさらに僕の心を苦しめた。
結局、安定が欲しかったのかと。
フリーターで夢ばっか謳ってる自分が凄く情けなくなった。
市販薬をODするようになり酒も毎晩ウィスキーをストレートで記憶が無くなるまで飲むようになった。
3週間で体重が10キロ程痩せた。
深夜に過呼吸になっている所を母親に見つかって病院に連れて行かれた。
とてもじゃないが仕事に行ける状態じゃなく辞めることになった。
2週間程家で処方された薬を飲んでは寝るだけの生活が続いた。
毎日死にたかった。
生きてる意味がわからなかった。
食べ物の味はよくわからないし、耳もノイズだらけでよく聞こえない。口からうまく言葉も発せられなかった。
人に会うのがほんとに怖かった。
通院する時もパーカーのフードで顔を覆ってずっと伏し目がちで母親に付き添ってもらっていた。
先生に病状を説明したら薬を変えてくれた。
劇薬だかこれが僕にとっては魔法の薬だった。
処方されて3日目ぐらいから急に人が変わったかのように明るくなった。
脳の一部がバグってるみたいだった。
外に出れるようになり気づいたら知らない友達が沢山増えていた。
どうやって友達になったのかはよく覚えていない。
そろそろ仕事もしないとなと思い地元で一番有名なセレクトショップの面接を受けた。
脳がバグってる時の僕は無敵だったから難なく採用された。
昔から憧れていたお店で働けることと服飾関係の仕事につけたことが嬉しかった。
あの子のことを少しは見返せたと思った。
でも人生そうは上手くいかないもので薬が効いているうちはいいが切れてくると前みたいに何もできなくなっていた。
薬の量を増やしてもらったら眠り続けて朝が起きられなくなった。
朝の日差しの太陽光が放射能みたいに有害だった。
仕事も長くは続かなかった。
夢が終わって自暴自棄になっていた。
結局君に話した夢は夢のままでなにも変われなかった自分のことが嫌いになった。
それからしばらくは連絡先に入っているなんで仲良くなったかもわからない友達と遊んでた。
1週間全員違う子とデートしたり、クラブに行ってナンパしたりしてた。
心を何かで埋めようととにかく必死だった。
ある日ナンパをしていると一人の男が声をかけてきた。
「君、ホストとか興味ある?」
後にお世話になるホストクラブの店長だった。
話を少し聞き、連絡先を教えてもらってその日は終わった。
もしかしたら足りない心が埋まるのかも知れない。
お金を稼いだら君が戻ってきてくれるかも知れない。
色んな考えが頭の中をよぎった。
もらった連絡先に連絡を入れ気づいたらスーツに身を包んでお店に足を運んでいた。
キャバクラのボーイはしたことがあったがホストクラブはまた違った異様感があった。
席に通され軽く面接みたいなことをした。
何を話したか今じゃ思いだせないが「いくら稼ぎたい?」って聞かれた時に「1000万」って答えたのは覚えてる。
上京して服飾の専門学校に通ってもお釣りがくる金額だ。
この頃の僕はなんとしてもお金を稼いで人生をやり直したかった。
君に認めてもらいたかった。
ホストは個人事業主だ。
ホストクラブという箱を借りて社長である自分が自分という商品を売らないといけない。
売り上げ表に書いてある数字こそが全てだ。
売り上げがないホストというのは悲惨だ。
日給4000円 こっから所得税10%を引かれた3600円が1日の最低保証給だ。
時給に直すと500円もない計算になる。
そのうえ1日休むと1万円を罰金で取られる。
無断欠勤しようものなら5万だ。
馬鹿げてると思うかも知れないけど大金を掴んでいる人間を間近で見ているので不満はとくになかった。
ここでは今までの人生で出会うこともなかった色々な人に出会った。
同僚がまず個性豊かだった。
本州から逃げ出してきた奴、執行猶予中の奴、子供の養育費を払っている奴。
ゲイもいたし、前歯が無い奴もいた。
みんなそれなりに何かを抱えて生きていた。
お客さんは所謂メンヘラが多かった。
僕を指名してくれるお客さんは大抵手首に傷があった。
ホストは約1年間続けることになるのだが長くなるのでだいぶ割愛させてもらう。
自分の生誕祭が終わったら元から辞めるつもりでいた。
だからこの月はどうしても結果が欲しかった。
1番になってみたかった。
今まで何事も1番になれなかったから1番の景色を見てみたかった。
結局、お客さんと誕生日1ヶ月前に喧嘩をして売り上げは悲惨なことになった。
ホストクラブにはラストソングという習慣がある。
その日の売り上げが1番だったホストが閉店前に一曲歌って締めるのだ。
生誕祭の時は売り上げに関係なく主役である誕生日のホストが歌うことになる。
僕はback numberのスーパースターになったら
を歌うことに随分前から決めていた。
歌い出しから涙を堪えるのに必死だった。
歌詞の全てが胸の中を抉ってくるようだった。
1番歌いたかった、伝えたかったところは泣いてしまって上手く歌えなかった。
僕は結局君のスーパースターにはなれなかった。
口だけだった。
それは6年経った今も結局変わっていない。
それでも上手く歌えなかったあのフレーズはいつかちゃんと歌えるように今日も錠剤を流し込んで生きている。