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靴のために服を着る話

椎名林檎パイセンが「わたくしのファッションはすべて靴のために」みたいなことを言っているインタビューを見た記憶がある。
靴のために服を選んで着ている、みたいなことをクーカイのワンピースのお写真と共に雑誌か何かで見た。

クーカイ!
もう日本にないらしい!

嗚呼1990年代!自分の記憶に震えている。さっきまで覚えていることさえ気づいていなかった。

⇩とりあえずこれを再生しながら読んでくれ。クーカイを思い出すから。

パイセンが何を言っていたのか、当時の私には分からなかった。
靴のために、靴を一番に考えて服を選ぶ。
靴なんて最後に玄関でひっかけるものじゃないのか。
それに何万円もするクーカイのワンピースなのか。
新宿という街は四谷中目黒。
すべてが、なにを言っているのか分からなかったが、そういうものなのだろうと思おうとしていた。
(クーカイは今でいえば、ヨーコチャンやマメクロゴウチあたりだろうか……一度も見た事のない名前しか知らないクーカイ……)

その後、私は東京という街に分けもわからず飛び込み、クーカイは知らぬ間に消えた。

東京に転生しても、自分はそれほど変わらず、椎名林檎にも劣らぬ独自路線で生きていたし、そのことにとても無自覚だった。

それで、ある程度生き抜いたなってなった時に、ふとした気まぐれでファッションについてしっかりと考えることになり、紆余曲折を経て、ついに椎名林檎が言っていたあの謎の言葉、『靴のために服を選ぶ』というやつを思い出したのです。

あれは、椎名林檎が椎名林檎的エキセントリックさとして、独特な自分の世界観と美意識を表現するために言っていたのではないか。
心の中ではそう思っていた。
が、実際にバチッといい靴を履く経験をすると、「あっ林檎ちゃんほんとだ!」ってなります。


ファッションを見直すときの、一番最初の転換ポイントは10万円の靴を買ったことだった。

10万円の靴(チャーチのスタッズ)を履くと、服が選ばれていく。
これにはこれを着なさい、という指示が見える。
これはとても不思議な感覚だ。
服を着るという運動神経がかすかにしかないのに、ファッションニューロンが動き出す。

ジーンズでもスカートでもいいが、アウトドアすぎないように。
スポーツでもいいが、本気トレーニングウエアにはしないように。
作業着の場合は、色を抑えてシックにまとめなさい。帽子は何でもいいが、キャップとニット帽をどうしてもかぶりたいなら、ジャケットっぽいカチッとした雰囲気をいれること。

チャーチからの指令は、つまり「ガチで身体を動かすための服はやめとけ、俺はそういう動きはしねえんだよ、きれいな道を歩け、走るな」ということです。

おしゃれしてもしなくてもいい、おしゃれ部分は俺が全部請け負ってやるから安心しろ。しかもキメキメにならないようになってるから安心してカジュアルっぽくしてもいいぞ。10万円の格上げ力はこういうところで役立つんだぞ。
ばちばちにスーツ着てもスタッズ仕様でうまいこと硬くならないように崩してやるから。その代わり、超フォーマルな場はよく考えろ、相手を見て許されるのはどこまでかよく考え確かめろ。
ちなみに格上げするとはいえ、就活スーツはやめろ、着ないと思うが。
あと結婚式参列者みたいなテロテロのパステルカラーワンピースもやめとけ。服はちょっとメンズっぽさがないと微妙なことになる。でも世の中ほとんどの女の服にもメンズ要素入ってるからテロテロ参列ワンピじゃなければ大体許す。

…………えー、こんなにしゃべるんかこの靴!

とはいえ、私のファッションニューロンが軟弱なので、瞬時にベストなアイテムでコーディネートを組むことはむずかしい。まだそれを実現するクローゼットが整っていないという事もある。

最初は何もわかっていなかったが、私は今までもかなり勘で生き抜いてきたので、すべての持ち得る勘を総動員して買った(もちろん有識者の意見と共に試着をかなり繰り返したという実践もしたけれど、買った後ちゃんと履けるかは未知数)。
そして10万円の靴を1年かけて履き慣らす間に、靴の声が聞こえるようになった。
さらに最近、恐ろしいことに、「この服は………靴がないから着れないな」って考えで着ることができない服が出てきたのだ………
服というか、着物なので余計それが顕著だった。
着付けとか、ハードルや問題があるにしても、靴がないということで、すべてがストップしてしまうとは。

靴は、マジでしゃべる。
ファッションニューロンが生きているとそれを言語外に受け取り、サクッと「こっちのコーデのほうがいけてる」という謎の表現で服を選ぶのだ。

それを言うとほかの服も、コスメも、髪型も全部しゃべるんですけど、靴の言うことは特別な気がするし、靴の言うことに従っていけば、なんというか間違いがない。服と靴がそれぞれ主張が違う場合は、自分の本分を思い出してよりそれに正しい主張であるものを選ぶんだけど、結局靴から選ぶことになる。

靴は、舞台なのだ。
ヒールのある靴を履くと、少し高い舞台に立つことになる。
歩きやすい靴を履くと、身体をポンポンと弾ませるような舞台に立つことになる。
悪天候でも平気なオールウェザースタイルの靴なら、雨の日も雪の日も安心して行動する人間が出来上がる。
靴は、その地面をすべて舞台にして、その上を歩く人間の行動をある程度決めてしまう。

だから自分の人生の脚本をある程度描けるようになると、靴も選べるようになると思うし、その逆もまたしかりだ。

高価なものは、一定のラインを越えると急にコンテンツの濃度が高まる気がする。香水は1本2万円をこえるあたりから映画のように厚みがでる。指輪は20万円あたりからするっと肌とつながって指と一体化する。ものにはそういう臨界点みたいなものがある。
私は「靴の臨界点」を突破した高価な靴を買って、割と必死に履き慣らしていく中で、靴の声が聞こえるようになった気がする。

だからどれだけ自分らしい靴を選ぶか。
かなり大事。魂と呼べるものにかするアイテムじゃないと、10万円もの大金を出すのはきついものがある。3万円だってきついのに。

とにかく1足でいいので、魂に触れるような靴があるだけでいい。
毎日履かなくていいし、履いてもいい。
ファッションを見直す時に、ほどほどに手頃なものでそろえるとかじゃなくて、「ぶっちぎりに高価な靴」から始めたのは大正解だった。
おしゃれ有識者たちの「おしゃれは靴から」説を採用してよかった……。勘がよく働いてくれた。

ぶっちぎりに高価な靴を買うことに比べれば、手持ちの服の70%を捨てるなんて、些細なことですよ!10万円の靴に比べれば、いらない服を捨てることのハードルの低さ。

捨てた(リサイクル&廃棄)すべての服の金額を合わせても10万円に行くかどうかという感じだったので、今まで服にお金をかけてこなかったことの懺悔の気持ちもあり、意外とスッと買えたというのもある。

買ってよかったです。
買ってから履けるようになるまでがんばった。それもよかった。それをしなくては靴の声は聞こえなかった。
履いて、高い店に行ったのもよかった。
何か買うでもなく、高級な店に入るという経験は、グッと世界観を変えてくれた。最終的に、高価な店で高価なバッグを自力で買うところまでたどり着いた。

しかし、まだマイベストクローゼットにはなっていない気がする。
10年前にこのコートを買っていたら……みたいなのを最近買ったりしているので、仕方ないです。
それに1足ですべてがカバーすることはきびしいので、やっぱりいくつか必要になる。でも、5足もあれば十分だ。
だから「自分の起点」になるような1足を見つけることで、後はどうにでもなる。

靴が教えてくれるので!
だからいい靴を選ばなくては。
それは高いということだけじゃないのだけど、高いのはひとつの指針ではある。
高い靴のおかげで自分の足の癖がわかったし、なにがつらいのか、何がかっこいいのか、靴に教えてもらった。捨て寸長めの細い靴が好きーーー!プレーンなデザインは苦手、足の小ささが目立つから。多めに装飾がついていてほしいけど、横幅が強調されるのは好みじゃない、スマートに細長くしてほしい!
丸っこいぽってり靴は、いやになる。自分の事なのに、知らなかった。

まだ靴のいう服は用意できてないのと、着こなせてない気はする。
徐々に靴にあわせていきましょう。
今は、靴を履いてさえいればOKという感じです。
まだまだ追っつかないけど、気持ちの面ではだいぶOKです。
いい靴履いてるしな!


ザギンもいい靴で歩く。いい靴は硬いので、腰が痛くなる…。

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つよく生きていきたい。