なにがあっても「責めない」

本気で物事を進めよう、何か不可能なくらいのプロジェクトをどうしても進めなくてはいけないとき、まず強く強く心に決めたのは「責めない」ということだった。

失敗した。
責めない。

原因があった。
責めない。

相手がミスをした。
責めない。

見込み違いがあった。
責めない。

自分がミスをした。
責めない。

なにがあっても、絶対に、責めない。

口にしない、言葉にしない、嫌な気持ちがわき上がっても、心の中で責めるかたちにしない。自分のことも責めない。

もちろん相手も責めないが、取引として欠損があった場合はきっぱり対応を求める。が、責めない。

責めない。

ぐっとこらえて、責めない。
受け入れられなくても、責めない。
叫びたくなって、毛布かぶってタオルをもぐもぐ噛むかもしれないけど、責めない。

責めない。

責めて、足を止めることの方が大きな損失になる。

責めると、それは何度も何度も自分の中でループして終わりがない。後悔に変わる。そうするとさらに自分のエネルギーを奪う。

だから、ぐっと耐えて耐えて、責めない。

最終的な自分のエネルギーを守るために、責めない。
折り合いがつかなくても、責めない。
苦しくても、恥ずかしくて逃げ出したくても、責めない。

バカにされて殴ってやりたくなっても、場合によっては殴っちゃうかもしれないけど、責めない。

それが、大きなプロジェクトをあり得ない早さで進めるための、心のあり方でした。

責めると言うことは、言い換えれば相手に責任がある、つまり自分に責任はなく、主導権が自分になく、相手のやり方次第で自分の立場は簡単に揺らいでしまうと言うことを認めるということになる。

それは、どんな小さな事でも、自分の力を手放してしまうことになる。

それを重ねて、自分を責め、相手を責め、責めることでは前に進めないのに、責めることで何かをしたような気になってしまう。

自分のことも責めてはいけない。

反省してもいいけど、責めてもなんの利益もない。

でも、時々全力ダッシュして「すみませんでしたーーーーーー!!!!もう死にたい!!!」と泣きたい日はある。

それでも、責めない。

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