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ゴッホとゴーギャン展のあざとさ

高校生のとき、ゴッホの跳ね橋シリーズの模写が大好きだった。
水彩絵の具で好きなように真似た。
描いてると、どこか、とても気分がよくて、ドーパミンが出てる感じがあった。

だから、ゴッホが好きだ。特に跳ね橋や風景画が。

今回の展示会は、アルル時代の二人に焦点を当てている。
どう転んでも、腐女子層を意識している。
音声ガイダンス(520円)は必須だ!

大混雑待機列を作ることで有名な東京都美術館。会期終了間際なので、ねらい目は平日夕方、でも17時にはしまっちゃうから要注意。
狙っていったら、ちょうど団体さんが抜けた後に入れたようだった(スタッフの会話を盗み聞き)。

簡単にいうと、ヤンデレのファン・ゴッホ(なんかどうしてもヴァン・ゴゥという発音を思い出してしまってピンと来ないんだけど)が、尊大なゴーギャンの事が大好きで大好きでどうしようもないって話です(´ω`)!

音声ガンダンスはゴッホ(cv小野大輔)とゴーギャン(cv杉田智和)が、それぞれの回想や手紙を読み上げるスタイルで進んでいく。
会話がないスタイル。

常に前のめりなゴッホに対し、全体的にしぶしぶのゴーギャン。
「金がないから」とかなにかと理由をつけて、ゴッホとの暮らしを始める。

ゴッホは嬉しくて、ゴーギャンとの暮らしの部屋を飾るための絵をかいて待っていた。
で、ゴーギャンはそれを気に入って自分の絵と交換したりしてるんだよね。
勘違いさせるよね!!

で、あざといのが!

ゴーギャンはずっとゴッホの事を「フィンセント」ってファーストネームで呼ぶの。ゴッホはゴーギャンの事を一度もポールなんで言わないのに!

あざとい…あざといぞ、音声ガイダンス!!

ゴッホの精神の混乱にはあまり焦点が当てられていなくて、展覧会にふさわしく絵画の解説と、彼らの書簡などが紹介されているだけなんだけど、端々にあざとさがすごい。

ゴッホが混乱を起こして耳を切り取った事件の事は、ゴーギャンの回想として語られる。カミソリで切りかかってきたゴッホが家を飛び出し、翌日警察から彼が耳を切ったという話を聞かされた、という程度にさらりと。

その後で、ゴッホがゴーギャンにあてた手紙だ。
ずっと思慕の念を綴り、最後に「あなたのゴッホ」と。
最愛の友人、と。


音声ガイダンスのあざとさは、まあそれでいいとして、一応絵のほうを。

初期の頃のゴッホが、薄暗い絵を描いていたり、ゴーギャンの脱サラして絵を始めたころの作品とかがあって、面白かった。
アルルの作品がゴッホにとっては最高潮の時期だったのに対し、ゴーギャンの絵はその後にも続いていってタヒチに向かい、その後も変化していくのがとても良かった。

一番好きな展示は、ゴッホの玉葱の静物画とゴーギャンのハムの静物画を並べたもので、おもわずポストカードを買った。↓

ゴッホはどちらかというと写実的に、現実的に描きたがり、ゴーギャンは想像やファンタジーを画面に入れたがったという。
でも、どうしてもゴッホのほうがファンタジックな歪みに満ちている気がする。パースが狂っているせい?なにかが不正確なせいだろうか?妙な浮遊感があり、それでいて明るい色彩で。
描かれたものは芽の伸びた玉葱とアブサンの瓶やタバコ、弟からの手紙に封蝋、彼の持っているものだけだ。
ゴーギャンのハムは、正確な描写に見える。正確にスタイリングされて置かれたハムやワインを、正確に描いている。宗教画のような荘厳さを見せる。
このふたつの絵が、並べて展示されていて、とても印象的だった。
とても好きな絵だ。
(大概、食べ物が描かれている絵は好きだ)

そういえば、ゴッホも、その時代の画家たちは日本の浮世絵にとても興味を持っていたという。
ただ彼らはどうやら日本の事を南国だと勘違いしていたらしい。
だからゴッホも「日本のように明るい光のある南仏」に行けば、素敵な絵が描けるんじゃないかと思っちゃったらしい。

ゴッホの優しい麦わら色の狂気は、そんな勘違いも含めてたどり着いたものだった。

理想の芸術家コミュニティーを作れたらと願うただ一途な男のもとに、ただひとり尊大な画家がやってきた。
ゴッホは彼のためにひまわりの絵を描いた。
彼を描くことができずに、彼の座っていた椅子の絵を描いた。

そして、結局、彼は自ら死を選んだという。
その直前に描いていた農民の娘の肖像画は、すっかり日に焼けて背景の赤い色が抜けてしまったけれど、彼の願う「私が死んだ100年後の人に、この人が目の前にいるかのような印象を与えたい」という想いは遂げられたのではないかと思う鮮烈な視線を感じる。
(若い女の肖像 1890年 フィンセント・ファン・ゴッホ)

結局、生きている間にちっとも報われなかったゴッホ。

ずっと貧乏で、苦しかったことだろう。
死んだ後にその絵があり得ない額で取引されていることを考えた事があったのだろうか。それを願っていたのは、弟のテオだったのか。
(とにかくこのテオのブラコンっぷりもすごくて、お墓が並んでどちらも同じ蔦に覆われている様子を見るだけでたくさんの人が涙してしまうという、弟も兄に劣らず思い込みの強い一途さだなと思う)

ゴッホの下から去って、ゴッホの死後も制作をつづけたゴーギャンはいっそう尊大になっていったようだ。
自分の才能など評価されない野性のある地に行って、評価も名声もない生活を送りたいと思いタヒチにいく。
つまり、自分の才能は街を歩いていたら人が群がってきて大変なことになる程度にすごいって思ってたという事だろう。尊大な男だ。
ところが、タヒチの作品を意気揚々とパリに持ってきたら、箸にも棒にも引っかからない。それで、すっかりしょげてしまう。そして貧困を極めていく。

ところがだ。
1901年に描かれた絵が、展示会の最後に飾られていた。

「肘掛け椅子のひまわり」

ゴーギャンは、わざわざタヒチにひまわりの種を取り寄せてまで育てて絵に描いた。
思い出さないわけにはいかない、あのゴッホがゴーギャンのために描いたもの。ひまわり、椅子……

あ、あざとい!!

別にゴーギャンはゴッホの事を思い出していたのじゃなくて、単なるモチーフとして描いただけかもしれないじゃん!でも、この流れで編集されちゃうと思うよね、ゴーギャンはゴッホの事忘れられなかったんだ、って。

どうしてフィンセントが死んだずっと後(1901年作。ゴッホの死後11年)になってそんな絵を描いたんだよ、どうしてその時いってあげなかったんだ、愛してるって!!←そういう話じゃない

という程度に脱線をうながすあざとい展示でした。
(私の中ではゴッホが受け)


この展示で、ゴッホの絵を模写する時に感じた妙なドーパミンの理由を少し感じた。
彼は、あの絵を描いている時、きっとあんな感覚でいたんじゃないだろうか。好きなことに打ち込めて、それを語る友がいて、とても高揚感に満ちていた。
絵を好きなだけ描いている時の高揚感が、模写する側にも伝わるような。

ゴッホは色覚に異常があったんじゃないかと言われている。(私が模写するのが好きだったターナーもそうらしい)
その彼自身がどう描いていたかをアプリを通して見ると、また違った雰囲気になっている。それがすごくいい。

加工を施しても、ゴッホらしさがあって、骨太さを感じる。
ゴッホの絵をチルトシフト撮影でミニチュア風にしてみた
↑この画像群を見ると、確かに浮世絵の影響が強調されて見える。

誰かのために描かなかった。
ひよることがなかった。
だから、あとから散々加工を加えても、彼の絵は死にそうにない。

めちゃくちゃ厄介な人間なのに、愛されている。
すげー嫌だ。そんな奴に出会いたくない。厄介ごとしか思い浮かばない。
もう彼は死んでいて、この世にいなくて、ただ絵が残っているだけ(書簡もたくさんある)だから、その感覚だけを共有することができるけれど、もし生きていて目の前にいる人間だとしたら、毛嫌い程度じゃすまないと思う。

ゴッホの振り切れっぷりに比べるとゴーギャンは常識人に見えるけど、ゴーギャンも大概だ。
最初は家族もいて金融機関だったかにお勤めしていたけれど、途中から家族とも別れる流れになって、最後にはタヒチで13歳の少女を妊娠させている。ゴーギャンはたぶん41歳とか。

遠くから、物語として見る分にはいいのだ。
この二人の事は。

当事者として関わったら、なにひとついい事はないだろう。

そういう意味でも、ファンタジーとしてとても楽しめたと思う。
あざとい編集はご愛敬。そこそこ楽しめました。


おかきもつい買っちゃった。このゴッホの玉葱は、スープストックトーキョーにも玉葱スープがあるけど、とってもおいしい。
ゴッホは玉葱ばっかり食ってたんだろうな!という貧乏くささがいい。

つよく生きていきたい。