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「ルーヴル美術館展愛を描く」 美青年は脱毛済み

マティス展に行こうかなと思ってたらルーヴル美術館展の方がもう終わってしまうではないかと気づいて、順番を入れ替えた。

感想としては、「とてもきれい(棒読み)」。
そう、とてもきれい。
美術ーって感じがする。
現代アートを見てると、特にデュシャン師匠あたりが「網膜を喜ばせるだけ、まじF×××」と呼ぶような、網膜(主に王侯貴族の)を喜ばせるための、あの手この手が尽くされた素晴らしい絵画が並んでいて、贅沢とはフラゴナールを飾っている部屋がある館に住むことよ、と口走りそうになった。
フランス大革命で全部略奪されそうなのが、贅沢という事。

雅宴画ことフェートギャランがずらりとあって、母方の実家(ちょっとだけ金があって美術好きの伯父たちがいる、田舎の家)にこんな感じの複製画があったなと思い出す。
ルノアールと、こんなやつとがあって、藤田嗣治がすごいとかいう「その世代のアート好き」な感じです。

つまり、古臭い。
絢爛豪華で古臭い。
すごいなと思う。30年前も、100年前も古臭い。
その前ももう古臭かっただろう。
なんという安定感。

展示のテーマ、愛については、別に「ふーん」くらいの感じで、なんか小粒なやつしか貸してもらえなくて、よくある画題の解説に振ることで間を持たせようとしたのかな、という感じがちょっとだけあった。
いえ、それでもありがたいことなので、ありがたく勉強させて頂きました。

キューピッドが赤子の姿で描かれる理由に気づく

アモル(キューピッド)の発音が、アにアクセントが来るのではなく、モをあげてルを下げるということが音声ガイドで一番衝撃的でした。
あモル。あるいは動詞っぽく「アモる」
恋愛モチーフにはアモル不可欠。アモルがあればそれは恋愛。そういうお約束。

ふくふくむちむちした赤子に鳥の羽が生えて、コロコロぱたぱたと画面いっぱいに溢れている。
最初は「赤ちゃんはかわいいからアモルのかたちになったのかな」とか思ってたけど、………これはちがうな!

避妊しないから、ちょっとラブなことがあると、なんやかんやコロコロと生まれていたんだな!と思い当たった。

愛と恋のあるところ、妊娠出産あり。
特に、古い時代はなぜ子供ができるかはよくわかってない人も多く、「そういうもの」「女はたまに子を産むもの」という認識の世界もたくさんあるという。
よくわかんないけど、なんかイチャイチャ&ラブラブだと赤子が増えるという認識だったのだろう。
だからアモルは赤子の形をしてるのではないか。

入り口にあるこの絵はとても立派で荘厳で、意外にキュートだった

避妊できないからとりあえずできる(赤子が)。
それがアモルキューピッド
因果関係、逆さになってない🙃?
アモルがいるから恋に落ちるんじゃなくて、そういう事するからアモルのようなものが出てくるのに!正しい性教育のない時代。
現代の性へのかかわりが正しいかどうかはわからないし、これらの絵の時代のありようが悪いとも言えないんだけど、今までぼんやり赤ちゃんはかわいいし無垢な存在だからキューピッドなんだね!と思っていた自分の認識は大きく揺らぐことになった。

倫理観の変容についていろいろ考えさせられる。

強姦魔とひとさらいの話ばかりの神話の世界を「ラブ♡」という視点で切り出すのだけど、赤子はわりとこう、「なんか生まれた」レベルの扱いだったのかもしれないな……ラブの付属程度の扱いというか……

画中画の意味が分かった瞬間

静物だけなのに、エロティシズムが漂う一枚。これはとてもよかったです。

本当に、ただの部屋の絵。
同時に、意味のあるモチーフ、象徴を山ほど盛り込んでいる。
分かりやすいのは鍵穴に刺しっぱなしの鍵。
そういうことです。

慌てて脱ぎ散らかした室内履きルームシューズ、掃除の途中のようなほうき、空け放したドア。
物の配置で、ストーリーというか動きが見える。
それ以上に、画中画(絵の中に描かれた絵)が、あれです!
そう、「父の訓戒」です!

実際には有名なテル・ボルフの「父の訓戒」ではないのだけど、当時流行のモチーフだったという。
「父の訓戒」は、動画を観てもらうと、なんでこれがそんな呼び名になったのかがとっても面白くわかるのだけど、先にネタバレをしますと、画中画のこの後ろ姿のおそらく若い感じの女性の姿は、娼館の娼婦の姿ということらしいです。
音声ガイドでも「当時流行っていた絵画」ということを言っているけど、オランダ風俗画の事を言っている訳で、つまりこの、誰もいない部屋、さっきまで誰かが(おそらく女が)いた、空け放したドアの部屋は、その前後に何かが、特別にエロティックな理由の何かが読み取れるように、あからさまに配置されている。

匂わせ~~


「かんぬき」のエロスは太い腕

フラゴナールの「かんぬき」は、なんでそんな有名なの?くらいにしか思わなかったのだけど、実際見てみると、明らかなエロ目的の絵というのがわかる……

人物の体型が、理想的な美しさとはちょっと離れた形をしているのだ。

男の異様に太い腕。ちょっと透け気味のパンツと尻。女はしどけない仕草だけど、これはあきらかに男性の方のエロスをどーんと持ってきている。
実物を見るまでは、しどけない女のしぐさのほうがエロスの主体のように思っていたけど、実物は女の方が添え物感があります。

当時の白い服なんて、めっちゃ透けたでしょうし。すっけすけだったでしょう。大殿筋が四角いな。

ちなみに「女の胸の谷間のように、見せない方がいいが見せてもいい、強めのセックスアピールポイントは、男の場合はどこか?」という事でいろいろ検討した結果「太もも」という結論になったのだけど(私の中で)、西洋絵画の世界では昔は男性もセックスアピールばりばりで描かれていて、なにがポイントかというと太ももやふくらはぎなど、足の筋肉が強く出されていたというので、それほど間違った解釈ではないと思う。
(あと股間をぱーんとアッパーにするコッドピースという詰め物も定番だったらしい。今でいえばネクタイくらいの感じで股間をシティーハンターにさせていたという……)
話はずれたけど、女の身体ばかりをエロスの主体に持ってくることが多い中で、男の太い腕、薄い下着から透ける尻をどーん、ばーんと出してくるのは、やっぱり変化球だったのだろうか。

「いつも似たようなエッチな女体にはちょっと飽きちゃったよねー」みたいなことなのだろうか。

今回のラインナップ、男が好きな人が選ぶ男の絵って感じのものが多かった気がするんだけど、どうなんでしょう。

全裸の男は脱毛済み

わかりやすく男色的な視線がはっきりしているコーナーもあったのだけど………。

毛がない。とにかく毛がない。つるっつる。髪の毛はふさふさ!

アポロンとキュパリッソス。毛がない。

今風にいうなら付き合ってるふたりです。
彼氏の美少年が死ぬところなので、美少年の乳首の色が血の気がない。アポロンと見比べるとわかりやすい。現物を見たら、ぜひ見てほしい。
この神話は、アポロンの事が好き好き大好きな美少年キュパリッソスが、アポロンからもらった鹿を誤って殺してしまい、それを悔いて悔いて「僕も死にます!」という話です(音声ガイドの解説より)。
あまりに悔いて悲しむのでアポロンがもうやめなさいというけど「ずっと嘆いていたい!」というメンヘラっぷりで、アポロンもお手上げ。そしてキュパリッソスは糸杉に身を変えてしまった。
アポロンが「お前の事は僕が悲しんであげるから、お前は悲しむ者の友となってその心を慰めるように」と言い、糸杉は墓場などによくある樹になったそうな。
のちの世でゴッホなんかが描いてますね。
ちなみにアポロンは彼とは別にヒアキントスというヒアシンスになった美少年も同じようにかわいがっていた(が、こっちもあっさり死んで植物になる)。でもたぶん、ほかにもいる。
神様が異様にふしだらなのは、そういう性的にアグレッシブなのがすごいという価値観もあったかもだけど、みんなが「うちは〇〇の神様の子孫」とアピールしたいがためにそういうエピソードを盛りに盛った結果だという説もある。

アポロンもあれだけど、妹のディアナもひとめぼれしたイケメンを拉致してずっと昏睡状態にするというとんでもないことをしている。
それが純粋なラブという感じで語られる怖さ:;(∩´﹏`∩);:

月の女神(上のアポロンの妹)に昏睡拉致される羊飼いの美青年エンディミオン。脇も股間もスネにも毛がない。なさすぎる。

月の女神ディアナがイケメン羊飼いに恋して、父である全能の神ユピテルに「パパ、めっちゃイケメンいたから絶対どこかにいかないようにして欲しいの!!」と頼み、永遠に眠らされる可哀想な青年エンディミオンのモチーフがいくつかあって、美少年や美青年はとにかく歳を取るのを許されないよねーとしみじみ感じた。
美少年は死ぬしかない。もちろん毛もない。

それにしても、推しに対して親の力を使ってたちの悪い圧力をかけるファンみたいなことするディアナ。もともと男嫌いでブチ切れやすい、田舎のヤンキー娘みたいなところがある女神なんだけど、狩りの神でもあり、狩り後の姿の絵もあってそれも良かったです。
死んだ鹿などをゴロゴロ積み上げて、女たちが「はー、いい仕事した」みたいな感じで地面に座っている小ぶりな絵で、とてもよかった。

毛は毛でも、その生え際はどうなんだ

逆に毛が気になるのがこちら。

ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊

女の方、髪の毛の生え際、ちょっとおかしくない?
写真や画像でみると長い前髪をなでつけているワンレン黒髪ロングヘアに思うけど、実物は生え際感あるんですよ。
生え際こんなまっすぐなの?そういう人なの?ウィッグだった??ちゃんと見て描いた??
そもそも、髪の毛のなびき方自体、頭蓋骨部分とそれより下のゆらゆらするところが完全に別パーツで作って組み合わせたフィギュアみたいになってる気がするんですが、どうでしょう。

前に若冲が描く象の絵がとても目の細い神話の動物みたいだったけど、写実性の高い若冲はどうやら本物の象を見ていたらしいというし、そういう形式なのかなと思ってたら、ほぼ絶滅種という中国やアジアの一部にいる象が、本当にそんな目をしていた。そんな映像を見たことがある。
だから、絵は、どこまでが写実で、どこが形式や様式美(マニエリスム)で、どこが個人の表現なのか、あるいは技術のなさなのか、読み解くのはとても大事だと思う。

ほとんどの男の子は、ある程度の年齢になったら毛ぐらい生えてる。だから、脱毛済み絵画男子は理想像としての美少年ということなのだとは思う。
しかし、この女の生え際は、どうなの?こんなまっすぐなの?
富士額ふじびたいみたいに、理想的な生え際としての直線なの?
謎ーー!!


思いのほかでかい

それにしても、とにかくみんなつるっつる。
ヨーロッパ人、もっと毛がはえてると思うんだけど、やっぱり毛がない方が理想的なの??それとも金髪や亜麻色の髪だから目立たない、という解釈?
それとも、神様であるということを伝えるためにつるつるなの?毛は人間にしか生えない、アイドルはトイレに行かない、そういう理論??

美しいのではなく、美しく思う

恋愛、愛や恋をテーマにした絵画を集めても、そうであればあるほど、道徳にもとるようなモチーフばかりになる。

そういうもんですよ、と言って並べていくのは、なにも知らずにラブい感じを見たくて来る人たちにもう一歩踏み込んでいく事になるのかもしれないし、わかっている人には「ふーん」という感じなのかもなので、塩梅が難しいのかなという、ちょっと振り切れていない感じがモヤッとした。

このモヤッと感が、のちの現代絵画表現の革命につながっていったのかな、というところまでがひとつのお話なので、いいものを見せてもらったなという感じです。

描かれている愛のシーン、恋のシーンは、別に美しいことではない。ただ人が美しく思ってしまうことで、そこに「絵になる」が生まれるし、絵にする意味も生まれるのかもしれない。
まさにそれ、という感じのものがずらりと並んでいたのかも。
普通に考えたらその状況はもうレイプやろ、強姦やろ、重罪やで……。そこのせめぎ合いは、恋愛に絶対出てくる。

あえて見なくてもよかったかな、という程度のインパクトだったけど、そう思うほど自分が絵画に対して贅沢になっちゃったなーというのも感じた。
とはいえフランスに行くのはむずかしい。(来月スイスに行くけど)
美術鑑賞マラソン、まだまだ薄い。
それでも薄いなりに、画中画の意味がパチッと見えたり、ぼんやりキューピッドかわいいというのが「避妊がない時代だったから…」という身もふたもない背景が見えてきたり、いろんなことがぼんやりとつながってきた気がする。

でも、それがわかって、私はどうなるというのだろう。
絵を見て、私はなにを得るのであろうか。
なにも得るものがないな、と思いつつ、絵を見る。

たまに、ツッコミどころが見えて、勝手に笑っている。
見当違いの笑いかもしれない。
生え際おかしくない?とか言って笑っている。


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つよく生きていきたい。