野球が私の性格を変えてくれた①
※2014年4月にアメブロに投稿したものを転載しました。
内容、感情などは当時のものです。
あなたには、影響を受けた「人」や「出来事」があるだろうか。
完璧主義で失敗が嫌いだった私を変えたのは「野球」だと思う。
少し長くなるが、野球と私の関係を振り返ってみる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私が球場でプロ野球観戦をするようになったのは、2007年のシーズンからだ。
実は、球場での観戦歴はさほど長くない。
しかし、初めて野球に興味を持ったのは1991年だった。
当時、父がよくテレビでプロ野球中継を観ていたが、私は野球を「展開が遅くてスピード感のない退屈なスポーツ」だなと思っていた。
ほとんど毎試合テレビ中継が延長になり、次の番組の開始時間が繰り下げられ、幼い私は見たい番組を見られずに寝る羽目になることがよくあった。
そんな理由もあり、野球に対する心象はとても悪かった。
その割に私は、当時のプロ野球選手をよく知っていた。
ピアノ教室になぜか置いてあった「かっとばせ!キヨハラくん」などの野球ギャグ漫画を読んでいたからだ。
癒しの「ぼのぼの」や、バレエ版ガラスの仮面「SWAN」などいろいろな漫画があった中で、野球ギャグ漫画を選んだ小学生女子。
今思えば、この頃すでに野球マニアへの道は開かれていたのかもしれない。
特に記憶に残っているキャラクターは、馬に例えられていたコマダ、木の格好をしていたキダ、「ギャオース!」と吠えるギャオス・ナイトー、バットをブンブン振り回すブンブン丸(イケヤマ)などだ。
周りの友達がミッキーマウスのコミカルに動く姿がかわいいと悶えているあの頃、どんなボールがきてもバットを振り回してしまうブンブン丸の方がかわいいと感じてしまった私。
そして、父が野球中継を見ているときに、漫画の登場人物を見つけることがいつしか楽しみになっていた。
***
父はよくプロレスも見ていたが、これもあまり好きではなかった。
人を殴ったり蹴ったりする行為をわざわざ見たいとは思わなかった。
しかし、怖いもの見たさでチラ見しているうちに、プロレスラーについていつのまにか詳しくなっていた。
ラッシャー木村さんが亡くなったとき、札幌に住む妹とメールで「亡くなったね、ショック」とやりとりしたことや、運転免許の更新に行ったとき天龍源一郎さんを見かけてテンションが上がったことを考えると、なんだかんだ楽しんで見ていたのかもしれない。
結局どんなスポーツにも共通して言えることは、最初は興味がなくても選手の情報がわかってくると楽しめるようになるということではないだろうか。
そのため、私は初めて野球を観る友達にはルールより何よりまず主力選手の情報を伝える。
打率など難しいことではなく、選手名鑑で顔を見せたり、芸能人の誰々と同級生、などの野球を好きではなくても覚えやすい情報だ。
少しでも選手の特徴を覚えると、その選手が出てきたときだけでも注目するだろう。
少し話は逸れたが、私は漫画で得た選手の情報からだんだん野球が気になりだし、1992年にはプロ野球に関する新聞記事を切り抜きスクラップ帳にまとめたりするようになっていた。
***
1994年には初めて高校野球にも興味を持った。
きっかけは覚えていないが、夏の甲子園大会で鹿児島県代表だった樟南の福岡慎一郎-田村恵のバッテリーを熱狂的に応援していた。
決勝で樟南が佐賀商業に敗れたときには、号泣してしまったくらい好きだった。
ちなみに樟南の田村捕手は後に広島東洋カープに入団し、引退後は同球団のスカウトとなっている。
2013年10月のドラフトで自身が担当していた大瀬良が3球団競合となったため自ら抽選に挑み、見事交渉権を獲得した。
その際に、喜びに震えながらコメントをしていた様子が涙を誘ったことは記憶に新しい。
実は、この後しばらく野球を真剣に観なくなった。
1993年にJリーグが発足したことや、元々バレーボールが好きだったこともあり、野球以外のスポーツを観ることが多くなっていった。
特にバレーボールは、高校時代にバレーボール部のマネージャーになったほど好きだった。
バレーボールにどっぷり浸かることで、野球への関心が一時期薄れていた。
野球にのめりこめなかった理由は、他にもある。
私は北海道で生まれ育った。
当時は日本ハムの本拠地も東京だったので、北海道ではほとんどプロ野球の試合は行われなかった。
プロ野球はテレビでしか観られない遠いものであり、現実に触れ合うものという感覚がなかった。
家族や親しい友人に、日常的に野球をやっている人や球場に行ってまで野球を観る人がいなかったのも、理由のひとつかもしれない。
そうやって野球はスポーツニュースでダイジェストを見る程度のスポーツになってしまったわけだが、2007年に突然、後の「三度の飯より野球が大好き・山本祐香」を生み出す出来事が起こる。