相川郷土博物館が大切にする「伝える」と「宝物」とは何だったのか? リニューアル後に見学してきた。
佐渡相川の郷土博物館を見学してきた。同館は耐震補強工事のため2022年6月から休館し、2年をまたいで今年5月に再開された。
相川は「佐渡金山」の観光地で広く知られるように、金銀の鉱山によって拓けた街で、早くから娼街があったことが記録から認められる*1。吉原遊廓の創設より早い。複数の公私娼が何度かの再編成*2を繰り返したのち、後年は水金遊廓に集約され、近世期から囲繞*3された字義通りの「廓」があった。
私はタイミングが合わずに見学できなかったが、同館の以前の展示には水金遊廓で使われていた花山帳、家具、衣装などが展示されていた。現在の水金遊廓跡は、往時の面影は消え去っており、これらの遺物は当時の記憶をわずかに伝える大変貴重なものだ。同館再開後、どう展示されているのか? そもそも展示されるのか? を確認したくて訪問した。
結論から言えば、遊廓関連の展示はすべて排除されていた。性売買に関する記述も一言もなく、鉱山町にあった映画館、旅館、飲食店などの商業店舗を伝えるパネルにも遊廓について記述はなかった。
個人的に落胆甚だしかったが、かといって児童らが修学旅行など課外授業で訪れるであろう同館に遊廓を展示することもまた相応しくはなく、その意味で今回の対応も一定以上理解はできるし、過去の展示方針をすべて肯定するものでもない。展示方針は時代ごとに変えていくべきものだと私は考えている。
ただし、地元の郷土史家・磯部欣三氏[1926 - 2006]は、昭和36年に『佐渡金山の底辺』を著して地元遊廓を取り上げるなど、他の地域には見られない先見性を持って遊廓史の記録と保存に努めてきた。こうした大切な先行研究が蓄積されている点が相川の財産でもある。以前の遊廓関連の展示物は磯部氏が収集したものと推察する。付言すると、磯部氏はのちに地元佐渡博物館の館長に就任しており、相川はもとより佐渡全体の博物学においても大きな貢献を残した人物である。磯部氏から示唆を受けた作家・津村節子は水金遊廓を舞台にした長編小説『海鳴』(昭和39年初出)、短編小説『相川心中』(昭和47年初出)の2編を著している。
佐渡市(相川ではない。)は、ユネスコの世界遺産登録を目指して活動を続けており、2010年にはユネスコの世界遺産暫定リストに記載された。今回の耐震補強工事も世界遺産を意識してのことと推察する。余談だが、佐渡汽船のターミナルには「世界遺産推薦決定」を祝うのぼりや横断幕が各所に掲げられており、地元が寄せる期待の大きさが伝わってくる。期待が観光需要と直結していることは、のぼりのデザインからも伝わってくる。
新しくなった相川郷土博物館の展示内容は、ほぼ近現代を扱っており、江戸から強制連行された無宿人(住所不定人)や、その過酷な労働の実態には触れられていない。同館は明治に造られた佐渡鉱山の本部事務所を転用したもので、その意味で近代以降の展示に寄せる意図も理解はできる。ただし近在には「佐渡金山展示資料室」(ゴールデン佐渡株式会社運営)、佐渡金銀山ガイダンス施設「きらりうむ佐渡」(佐渡市運営。2019年開館)など複数の展示学習施設が乱立した状態で、施設ごとの展示内容、展示方針が分かりづらい状況が発生している。私が見る限り、施設の積極的な連携はない。内容が重複している施設もある。来訪者には平易に紹介する必要があるとはいえ、おおよそのあらましは、本やネットでも知ることもできる。翻って前述の磯部氏が収集整理した唯一無二ともいえる研究蓄積を展示しない判断は同館の在り方として正しいだろうか。私は到底首肯できなかった。
同館の展示パネルは「日本最大の金山」「世界有数の鉱山」と繰り返し誇示しているが、金の算出が多かったのは1600年代前半と1900年代前半のみであり、佐渡金山の歴史の中でごく一部に過ぎない。さらに言えば産出量の多寡が問題ではない。産出量が多いほど、それだけ末端労働者には過酷な労働環境があったということだろう。他のパネルも「繁栄」という文脈が貫かれており、前述の無宿人の労働環境・病気*4や、遊廓などにおける性売買などには一切触れられていない。これは世界遺産「明治日本の産業革命遺産*5」に連なる展示に映った。
井出明氏(金沢大学)は、2007年に世界遺産に登録された石見銀山の来場数が年々先細る傾向を指して、「光の歴史のみで地域を見せている一種の『虚構性』にも原因があるのではないだろうか」と自著*6で指摘しており、私もこれに賛同する。歴史認識はともかくとして、観光業においても、こうした展示方針に勝算があるとは思えない。それを裏付けるように、きらりうむ佐渡の集客数は目標の半分以下という実態も報告されている*7。
私は以前から、観光言説に遊廓史が飲み込まれると美化か不可視化が起きると指摘してきた。同館リニューアルに際して、まさしく再現された格好になった。
往々にして前例主義が通用してしまう点を加味すると、今後いずれかのタイミングで遊廓が再展示されるような希望はまったく持てずにいる。同館は順路の最後に「文化財を未来へ継承するために」と題したパネルを掲げ、以下の一文を載せている。
地元の郷土史家・磯部欣三氏が半世紀前に拾い上げた、相川にしかない遊廓の遺物や記録すなわち「宝物」を私たちが知る機会は奪われてしまった。加えて、当時の下層社会で名もない男と女たちが生きていた証もまた同時に失われてしまった。こうした現状を考えるとき、高邁な一文はあまりに虚しく読めた。
◇参考文献類
*1:『慶長年録(写本)』慶長17(1612)年(国立公文書館所蔵)
*2:相川娼街変遷図(渡辺豪)
*3:『水金町図 寛保三壬ズ九年改』(山本修己*3-1 編『佐渡郷土文化 82号』〈1996年〉所収)。
*3-1:編集の山本修己は昨年2023年逝去された。(『読売新聞オンライン』〈2023年2月25日付〉
*4:天保11(1840)年から1年間佐渡奉行を務めた川路聖謨は日記『島根のすさみ』で「大工(筆者注・金掘人足)になって七年の寿命を保つものはない」と記している。川路は坑内にまで立ち入った初めての佐渡奉行である。
*5:総務省庁舎を改装して設けられた「産業遺産情報センター」を筆者は2022年に見学したが、近代化が構造的に抱えた負の側面についての言及は極めて乏しかった。「明治日本の産業革命遺産」世界遺産登録時に韓国から強制労働について言及が欠落しているとの批判を受けて、日本政府は強制労働の事実を認め、「インフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む」と表明。これによって同センターが設置された経緯がある。展示内容は光の面すなわち日本側の「輝かしい産業史」が強調されており、表明と乖離している。
*6:井出明『悲劇の世界遺産』(2022年、文藝春秋)
*7:「【井出明のダークツーリズムで歩く 北陸の近現代】(25) 佐渡金山 金精錬 能登とつながり」(『中日新聞』2023年7月1日付)
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