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昔の遊女は優しかった

昔の遊女は優しかった、情があった──

「今のトルコ(ソープ)にはそれがない」と続くこともあります。公娼時代の遊女や赤線時代の娼婦に接した経験を持つ男性から、冒頭の「遊女は良かった」式の述懐を聞かされることがあります。

戦前の公娼時代を経験した男性は、令和5年の今、100歳近い高齢のはずで、多くが鬼籍に入ってしまっていますが、私も平成後期のぎりぎりのタイミングで、公娼を経験した高齢の男性に会う機会に恵まれ、同様の述懐を聞きました。

直接ではなくとも、文芸作品などを通して、同様の述懐に出会うことはこれからも可能です。

私が2020年に編んだアンソロジー『赤線本』に、水上勉と田中小実昌による対談「女郎たちにいい女をみた」(昭和53年初出)を収録しましたが、このタイトルをつけて対談を催した編集者の企図は、まさしく「遊女は良かった」式に連なるものでしょう。

こうした言い分のほとんどは、遊女の手練手管をそれと分からない老人の繰り言、と私は軽い軽蔑を覚えてきました。

「優しさ」を定量化することは不可能なので、有無や多寡を実証することは困難ですが、しかし見方を変えると、本当に優しかったのかも知れないと考えを改めるようになりました。理由は次です。

私を含め、人は辛いと他人に当たります。しかし当たり散らしたところで、決して気持ちは救われません。一定程度救われるとすれば、くだらないワガママを受け止めてくれる人がいるという自分の恵まれた環境に気づいたときでしかありません。

当たっても救われないので、反対に、自分が辛いときほど他人に優しくすると、不思議と気持ちが救われます。自分の中にまだ余裕があったことに気づいたり、自分でも他人の役に立てるのだと気づいたりすることで、救われるのだと私は理解しています。こうしたことは大人は誰もが知っていることで、わざわざ私が大上段に構えて言い募ることでもないのですが、一つ思い至ることがありました。

遊女たちは自己防衛として、辛いときこそ、自身に残されている僅かな優しさを差し出していた。苦境にあればこそ遊女は本当に優しかった──

もちろん手練手管の優しさもあったでしょうが、優しさが偽りであれば、自分は救われません。

赤線を舞台にした娼婦小説を多く残している吉行淳之介の作品は、吉行の経験などを元にした私小説的側面を持ちますが、『驟雨』では、赤線の街を指して、こう効用を述べます。

平衡を保とうとしている彼の精神の衛生に適っている
『驟雨』

同時に吉行の分身である主人公は、「愛することは、この世に自分の分身を一つ持つこと」と考え、さらには「わずらわしさが倍になる」と捉える人物です。その主人公は赤線娼婦との関係を煩わしいものとならぬよう心がけ、そうあるために『原色の街』に登場する娼婦に性的快感を与えます。娼婦にとって性的快感を覚えることは職業性を失わせる禁忌であり、これを強要することは最も侮辱的な行為の一つです。こうしたサディスティックな行為によって、吉行の主人公は〝精神の衛生〟を保つ、本稿に沿って換言するならば、気持ちが救われるのです。

ときに吉行の作品が非難に晒されたり、当時の文壇の限界を示される大きなゆえんの一つが、こうした吉行の煩わしさと称する逃避的行為にあると私は考えます。比較文学者・水田宗子が「男たちの娼婦幻想の独り芝居」と痛罵して憚らない指摘は分かりやすいものです。紹介します。

回復劇(筆者注・吉行を始めとする男性著者が娼婦と接することで精神的均衡を保とうとする行為)とは、男が性的な力を行使することで、女の性を支配する優位な性としての自らを確認し、傷ついたプライドを取り戻す幻想なのだ。(中略)それは男性優位という認識の上に成り立つ性差社会と文化の構造が生み出す、男たちの娼婦幻想の独り芝居である。
水田宗子「娼婦幻想の終焉」(『買売春と日本文学』所収)

話を戻すと、公娼や赤線時代と比して、その後の性風俗業に就く女性が男性客に対する優しさを失ったのだとすれば、その分だけ女性たちの心的負担が改善された裏返しかもしれず、むしろそれで良かったのかもしれません。(ただし性売買に伴う問題がすべて改善したとは毛頭考えません。)

確かに「昔の遊女は優しかった」。しかし、その遊女とされた女性たちが背負っていたものを見据えなければ、やはり老人の繰り言、男の娼婦幻想のままです。

千住にあった赤線での自身の経験をもとにした作品『赤線の町のニンフ』(昭和42年)を書いた五木寛之は、後に、赤線時代を知らずに海外の売春街へ見物に訪れる若者を指して、こう記しています。

「女を金で買うのは人間に対する侮辱かもしれないが、買う気もないのに見物にやってくるのはもっと非人間的である。赤線を知らない子供たちの、そんな所がつきあいづらいと思う」
『赤線を知らない子供たち』(昭和46年)

五十歩百歩と切り捨ててしまえばそれまでですが、五木が言わんとするところは、買う買わないの差ではありません。かつての性売買はほんの僅か、あるいは刹那的とはいえ貧しい男女の結びつきであったものが、その後迎えた高度成長期を背景とした経済格差という暴力性を増した結びつきとなった、これを五木は嘆いたのでしょう。(了)

※ヘッダー画像:大垣市。撮影・渡辺豪、無断転載禁止

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