住職にたしなめられた話と歴史の自照性/取材記(2022/9/25)日光例幣使街道・倉賀野宿
中山道・倉賀野宿を取材しました。当宿は中山道と日光例幣使街道との分岐にあたり、また利根川水系の最上流にあたる河岸を備えていたことから水運の街としても栄え、飯盛女が多かったことでも知られています。
飯盛女の墓や寄進物が遺されている寺院と神社をそれぞれ4寺、3社尋ねました。今回に限らず、取材先のそれぞれの寺社仏閣では、墓(ないし寄進物)の有無と、撮影許可をお尋ねするのですが、今日はあるお寺でお断りを頂戴しました。
「飯盛女の墓はあるにはあるが、出身地の字まで掘り込んである。子孫が肩身の狭い思いをして欲しくない。以前、新聞にも取り上げられたことがあるが、それでお終いにしたい」と、ご住職のお言葉。
迷惑を避けることは当然とはいえ、私はご住職とは反対の立場にあって、容易に忘れ去られてしまう飯盛女の生きた証を、むしろ積極的に残したい願いから取材を続けています。とはいえ自分の取材姿勢や目的に逡巡することも多くあります。
これはまた異なるタイミングですが、来意をお伝えしたところ、ご住職から「今更、世間に知られるよりは、彼女たちは静かに眠りたいんじゃないでしょうか」とのお言葉を貰ったこともあります。
自分が書き残すことで後世にわずかでも資することになるのか、飯盛女たちの慰めになるのか──
それらは大義名分で、本当は功名心や打算が本音にある欺瞞に過ぎないのではないか。こうした逡巡や自分への疑いを常に持ち続けています。
目的意識なり問題意識なりを念頭に置き続けていても、想いが強いほど、いつしか独りよがりな正義感にすり替わってしまう。ご住職の厳しい言葉は、心を見透かされているようで背筋が伸びます。
解脱できるほど徳のない私は、今後も欺瞞を疑いながら取材を続けることになりますが、この欺瞞を意識することで、「一線だけは越えないようにしよう」という、自分なりの戒律が保てています。飯盛女が持つ売春というテーマ性のためか、取材する中で得た情報には、センシティブな分だけ刺激の強いものも少なくなく、披瀝したい欲望に駆られることもあります。こうしたとき自分に歯止めを掛けているのは、道徳や倫理といった高尚なものではなく、「一線を超えたい狡い自分」に負けそうになっている弱い自分に過ぎないような気もします。
取材は、当然ながら取材対象と向き合う行為ですが、同時に自分を見つめ直しているような感覚にも囚われます。歴史の面白さの一つは、この自照性ではないでしょうか。
今回、一つのお寺で取材成果が得られなかったことは、自分の力不足以外の何物でもありませんが、一方で、ご住職の言葉は現在の飯盛女の歴史を取り巻く様々な考え方や接し方の一つとして、やはり興味深いものでした。
デスクの上でいくら文献をめくっていても得られないものがある。取材の楽しさを再認識した一日でした。
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