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娼婦は二度死ぬ

人は二度死ぬ──
こう書いたのは、放送作家・永六輔です。続けて説明しています。

人間は二度死にます。まず死んだ時。それから忘れられた時

永六輔『二度目の大往生』(1995年、岩波書店)

メキシコの祭礼「死者の日」は、人間は〝三度の死〟を持つという宗教観に支えられています。こちらも肉体的な消滅と死後に起きる関係性の断絶をそれぞれ別の死として三回に別けています。

2006年のヒット曲、秋川雅史『千の風になって』はアメリカに伝わる古詩『Do not stand at my grave and weep』を原詩としています。詩は「わたしのお墓に佇み泣かないでください。わたしはそこにはいません、わたしは眠りません」に始まるもので、記憶に残る限り人は生き続けるという、物質よりも精神的連続を重んじることの大切さをテーマにした詩と私は解釈しています。

何が言いたいかというと、肉体的な死だけでなく、記憶を始めとする関係性や継承の断絶を「死」と見做す死生観は、時代や地域、宗教、民族を問わず、多くの人類が共有してきた、ということです。

──死は肉体の死に過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない、死は純粋に科学的なことだ。

こうした反論もあります。確かに、上に挙げたようなことを書くと、どこかスピリチュアルな香りが漂ってしまうことは否定のしようもなく、自分も無自覚にスピ世界に迷い込んでいないか…といささか不安になります。しかし、高度に発達した科学の恩恵を受けて送る私たちの日常と平行して、地球上の殆どの人々が何らかの宗教を持ち続けている事実は、宗教と科学が反目する関係性にないことの証左です。加えて、身近な日常生活に目を移してみても、心肺停止〈科学的な肉体の死〉と死亡〈認知としての死〉を医療・行政の手続き上でも別けています。昨年2022年7月、凶弾に斃れて心肺停止状態にある安倍晋三氏が、搬送先の病院に夫人が到着したのち死亡が確認されたニュースは国内外に広く報道されましたが、心肺停止と死亡に6時間もの時間差があること、配偶者という関係者の立ち会いのもとで死亡とした事実は、非常に示唆的です。

「死」は肉体に埋め込まれたスイッチのような概念や定義に収まりきらず、社会や歴史とともにあることは自明です。

なぜ遊廓を調べるのか?──
という質問に出くわすことがあります。多くは他愛のない、他意のないものです。一方で、「悲惨な歴史をほじくり返しても、いまさら遊女が助かる訳じゃなし」という少し意地悪いニュアンスがいくらか忍ばせてあることを感じることもあります。

タイムマシンなどない、という意味では、遊女の死を避けることはできず、詮ない作業であることはその通りです。一度目の遊女の死は不可避です。

二度目となると別です。これまでnoteに記してきた通り、遊女の墓を取り巻く現状は、彫刻の摩耗という自然風化ばかりではなく、墓じまいによって廃棄されたり、あるいはとりわけ地方で進行する人口減によって伝承が途絶えたり、あるいはまた性売買を忌避して不可視化する作為など、いずれも人為的な理由から継承できずにあります。遊女の墓に限らず、遊廓を始めとする広く性売買の歴史を範囲とすると、少なくとも私がこれまで取材した中では、以下の事例がありました。

  • 歴史博物館の学芸員が自館の展示内容に不知だった。

  • 教育委員会の職員が、私の問い合わせに対して、所蔵の虚偽の返答をした(ないものをあると言い、あるものをないとする返答)

  • 教育委員会の職員が私の取材に対して、性売買の歴史を示す資料の公開を拒んだ。

  • 墓じまい

  • お寺のご住職が代替わりしたことによって記憶の継承が断絶した。

  • ネットで消費的に扱われることを嫌い、権利者(所有者)が公開を止めた。

上記の多くは私が主に調べている飯盛女を始めとする賤娼に関連したことですが、ではこれが貧しい娼婦だけに限ったことかといえばそうではなく、実態をかけ離れた高級遊女像もまた個人の尊厳は無視され、刺激的に味付けされた言説でやみくもに消費されている点からすれば、何ら変わりがないものです。

過去様々な名称が与えられた娼婦が生きたわずかな証は、今このタイミングに失われています。「遊女」という美名あるいは「飯盛女」などの蔑称を与えられた娼婦たちは、いずれも軽んじられ、二度目の死に瀕しています。彼女たちを二度目の死に追いやっているのは、過去の悪辣な楼主でも女衒でもなく、性のはけ口として女性の身体を押しつぶした男性客でもなく、はたまたそれらを許した当時の為政者でもなく、現代の私たちに他なりません。

先ほど述べた「関係性が断絶することで死者は二度目の死を迎える」、これを生者の視点から逆から照らせば、「関係性を得ない限り、人は生きているとはいえない」となります。ヒトを人たらしめるのは、人同士の関係性に他ならない、ということでしょう。社会関係に希薄な人物が〝無敵の人〟と呼ばれ、また損得勘定とはおよそ無縁の、自己や社会を破壊する目的で犯罪を起こしていることは象徴的です。

加えて忘れてはならないことに、関係性とは社会といった横方向にあるものばかりではなく、縦方向すなわち時間軸上にもあります。社会を緯糸(よこいと)に取るならば、経糸(たていと)は過去と未来を紡ぐ「歴史」です。人は、経糸と緯糸の関係性があって生きている。

したがって、社会という緯糸が生に必須であるように、経糸で歴史を紡がない限り、本稿で言うなら遊女の歴史を紡がない限り、現代に生きているはずの私たちは「今を生きた」と言えず、ただ現代という時間上に生まれ落ちて漂っただけの存在になってしまうのではないでしょうか。

話を本稿のテーマに戻します。なぜ、公娼時代はおろか、戦後の売防法以前の時代に生まれてもいない私(昭和52年生まれ)が、遊廓専門出版社や同書店を経営しているのか? これも多く質問されるうちの一つですが、遊女の「二度目の死」は、過去ではなく、前述の通り、今この瞬間に起きていること、すなわち現代的な出来事だからです。

以上が、私が『遊女の墓』をテーマに据える理由ですが、このたび京都芸術大学が催している一般公開講座「藝術学舎」に同テーマで講義を受け持つ機会が与えられました。蓄積の少ない研究テーマであり、少なくない内容が私なりに立論したものになろうかと思いますが、二度目の死に瀕している遊女たちの歴史について、墓という視点から考察を加えてみたいと思います。受講をお待ちしています。

※ヘッダー画像:撮影・渡辺豪、無断転載禁止


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