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『たいら花街 戦前の芸妓』展のお知らせ
福島県いわき市にて、戦前の地元芸妓に関する史資料を集めたミニ歴史展が開催されます。
『たいら花街 戦前の芸妓』展概要
会期:2025年1月22日〜同年3月(平日9時~15時 土日祝日休)
会場:ひまわり信用金庫本店営業部(福島県いわき市平祢宜町3-1)
主催:小泉屋文庫(主宰 緑川健)
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同展は個人の地元郷土史家・緑川健さん(56)が企画・主催したもので、地元信用金庫のフリースペースを用いた小さな企画展です。緑川さんからご依頼を受け、序文を書く機会を頂戴しました。
私の興味はもっぱら遊女といった性売買(性搾取/性暴力)の歴史なので、芸妓も性売買が常態化していたとはいえ、まだまだ不勉強な私には荷が重いご依頼でしたが、一定以上の犠牲を払いながら社会を下支えした存在だったという意味において芸妓も娼妓も通底するものがあり、こうした無名の人びとを忘れたくないという志を共有する者として、喜んで序文執筆の大役をお引き受けすることにしました。
展示は決して大がかりなものでありませんが、従来、商業出版が取り上げる芸者は、東京や京都といった大都市ばかりに偏り、商業出版物として成立するためには仕方が無いこととはいえ、意図せずとも地方軽視の傾向があるように思えてなりませんでした。地元から光を当てていくことで、こうした風潮に大きな一石を投じることになると考える私は、本展を誰より楽しみにしています。
「小さな企画展」と前述しましたが、掲示されている史資料は本展企画主催した小泉屋文庫(緑川健)さんが地元関係者を通じてコツコツと集めたものばかり。また公の博物館・美術館が性売買の過去を不可視化あるいは女性を分断(例:相川郷土博物館、東京藝術大学美術館)する現在、「一般地元民だからこそできる」「検閲されない」企画展です。
以下は、今回私が書いた序文です。本展のご紹介がてら再掲します。
芸者とは何か? 都市開発における花街の土地利用を論じた研究者・加藤政洋(立命館大学)によれば、芸者とは「歌・舞踊・三味線などの芸をもって宴席に興を添えることを業とする女性」*1とある。花街とは、その芸者が営業するエリアのことである。
すなわち政治経済の折衝が生まれる都市においては潤滑油のはたらきをなし、あるいは温泉地といった郊外の遊興の場においては都市生活の緊張をほぐす役割を担った。
ともすると現代の私たちは、芸者と聞くと「伝統」や「格式」など同時に伴いがちな修辞から連想するためか江戸時代と結びつけるが、加藤が論じるように、花街(芸者)は近代の所産に他ならない。「花街は常に都市発展のお乳母役を勤むること歴史の徴するところで、都市政策としての理想とされて」*2いたのである。
後藤新平が構想、安田善次郎が資金提供の上、設立された東京市政調査会による統計『日本都市年鑑』*3によれば、今から100年前1925年(大正14年)における芸者数は79,348人を数える。甚だ粗い値ではあるが、傾向を知るために敢えて算出するならば、現在の1都道府県あたり1,700人弱。芸者は決して珍しい存在ではなく、少なくとも都市部には遍在しており、「隣人」だったのである。
大正12年における福島県全体の芸者数1,365人中、平町は14%を占める199人、若松市255人に次いで県内2番目に芸者を多く擁する自治体だった。(植田町40人と四倉町27人を足せば266人と県内1位、19%を占める)*4
かように芸者は都市部においては身近な存在ではあったが、いまからおよそ100年前には斜陽産業となりつつあった。先の『日本都市年鑑』によれば、日本全体の芸者数は昭和4年の80,808人をピークに減少傾向を示し、同著は以下と分析している。
「ここに注目すべきは、貸席、待合茶屋、芸妓置屋、芸妓等が最近全然増加せず、かえって減少を示せることにして、これら従来の共楽機関が、次に述べるカフェー・バー及びその女給の、新たなる共楽提供者として出現せるに圧迫せられて、漸次衰退のきざしを呈し」
さらには大正13年から昭和5年の6年間で、芸者の年齢層25〜29歳が11.5%から14.5%、30〜34歳が9.4%から11.4%と増加し、高齢化が進んでいる。
「この社会(花街)が漸く年齢若き女子を吸引する力なく、それ自身老衰に至らんとする状を見るべし」
と同著は冷徹に分析を結んでいる。ちょうど1世紀前は、カフェーやバーに遊興産業の主役の座を譲り渡した芸者の衰退が始まった頃だったのである。既に現代の私たちには、芸者はなじみ深い遊興とは呼べなくなり、「隣人」でもなくなってしまったが、今こうして芸者の歴史を振り返る展示が実現した理由は、郷愁やノスタルジーばかりではあるまい。
いわき市が福島県内でもっとも芸者が多かった地域であったことを統計が示すとおり、地元いわき市の政治経済を下支えし、犠牲を払いながらも私たちの生活に潤いをもたらした芸者を務めた女性への敬意が、今回の展示を実現させた原動力となったに違いない。
その意味で今回の展示は、無名の人びとを忘れない愛郷心に満たされたものであり、本展の実現を心から祝いたい。
◇参考文献
*1:加藤政洋『花街』(2024年、講談社)
*2:黒阪雅之「今里新地十年史」(1940年、今里新地組合)
*3:東京市政調査会『日本都市年鑑 第2』(1932年、東京市政調査会)
*4:福島県警察部『福島県警察統計書 大正12年』(1924年、福島県警察部)