遊廓について考えた女子高校生の話
2022年2月頃、私が経営する遊廓専門書店カストリ書房(台東区千束4-39-3)に来店した高校生2年生の女性から相談を受けました。彼女が通う高校では、全員に自由テーマ研究が課され、2年生から準備期間が与えられ、翌3年生で発表会があるとのこと。「遊廓」をテーマに据えた彼女が情報収集の一環として来店してくれました。
論考一つ満足に書けない学生だった私は、いまさら罪滅ぼしのような気持ちで、大学生から同様の相談を受けると、出来る範囲でお手伝いをしています。今回のように高校生からの相談は初めてで、年次を跨ぐ長期的な研究カリキュラムがあることも知り、驚きました(最近の高校教育では珍しくないのでしょうか…?)。始めはお手伝い側のつもりでしたが、むしろこちらが勉強する機会となったので、その女性から論考の一部を掲載するお許しを貰い、今回、記事にしてみました。
論考は、遊廓の通史を調べるようなレポート形式ではなく、自分で課題設定して考察を加えるもので、彼女は2つの論点に分解していました。
一つ目は売春を取り巻くまなざしですが、テーマの「伝えること」に還元されることを目的にしています。したがって、一つ目の論点は二つ目の前提となるものと理解しました。
私は二つ目に強い興味を覚えました。遊廓にまつわる歴史の継承を強く望んでいる私は、カストリ書房を経営するなどして自分なりの継承に取り組んでいますが、その関係で取材を受けることが少なからずあります。そして必ず、開店のきっかけや目標について聞かれます。煎じ詰めれば「あなたはなぜ遊廓の歴史を残そうとしているのですか? 結果、社会にもたらす価値は何ですか?」といった問いに集約されます。取材の現場では、媒体の読者・視聴者などを想定して、堅苦しくなく理解が捗る返答案をいくつか用意しているのですが、本来持ち合わすべき、「多くの人に響く短い一言」は、いまだに持ち合わせていません。
彼女と何度かやりとりして、同じ年の4月にディスカッション(対談)することにしました。前提となる歴史の知識を収集・吸収することは学校からの課題なので、これを私がレクチャーすることは先生方の意図を邪魔しかねず、避けました。ディスカッションすることで、考えを整理する機会になればと願ったからです。ディスカッションでは、次の2点について重点的に意見交換しました。まず1点目は「遊廓を伝えることの価値」について。私は以下のように応えました。
──遊廓の歴史をなぜ残すのか? 残す価値は何か? これらについて様々な視点から論じることも大切に違いない。ただ、多くの賛同を得ながら残すには、ばらばらではなく、一定の合意形成も必要となってくる。そこで逆から考えてみたい。「残さなくても良い歴史はあるのか? 残す価値のない歴史はあるのか?」と。どのような立場であれ、この問いには同じ返答になるはずだ。したがって、これが答えではないか。
2点目、「その価値の客観性」について。まず彼女の論考には以下とあります。
私はこの部分に感銘を受けました。細を穿って調べ上げる作業などよりも、なぜ自分が興味を持つのか? 結果どうしたいのか? こうした自身の内面に向き合って言語化し、世間へ主張する作業は、とても勇気を必要とする困難なことです。恐れずに最もシンプルな問いに立ち返る姿勢に感銘を受けました。対して、私のような大人はどうするかというと、その筋のオーソリティの言葉を援用したり、小難しい概念用語を持ち出したりします。権威の皮を被ったり知識に傾斜をつけたりして世間の説得を試みることを繰り返すうちに、「他人の言葉で自分を語る」ことの狡さや弱さに鈍くなっていきます。
ディスカッションに先立って論考の初稿を拝読した際、彼女が叙述する「客観的」「主観的」とは、主体客体という立ち位置よりも「普遍性」に近いものを指して使っているのではないか、加えて、失われていく過去への哀別という情緒や感情を排除することが、(彼女が指すところの)「客観的」に繋がると考え進めているのではないか、と推察しました。それを加味して、私は次のように応えました。
──共感や憐憫の情なくして、売春の歴史は扱えないのではないか。これを排して、知的ゲームとして弄ぶような言説に私は強い違和感がある。分かりやすい例で言えば、遊女数や娼家数などを羅列するだけのことを「客観性」と扱うならば、その「客観性」はむしろ遊女を始めとする当時を生きた人々の尊厳を、数字の中に埋没させることに棹をさし、歴史を伝える価値そのものを見失っているのではないか。
私の言葉はある種、返答のレトリックのようでもあり、取り留めなく話したきらいもあるディスカッションだったのですが、彼女は受け売りにせず自分なりに消化して以下のようにまとめてくれました。
歴史の本質とは、受け渡すこと──
これにはハッとさせられました。しかし思い返してみれば、約10年ほど前から全国の遊廓を巡り、写真に収め始めていた頃の私も同じ考えを持っていたことを思い出しました。2014年に製作した写真集のあとがきに、私は次のように書いていました。
「遊廓の歴史を残したいのだ!」などと大上段に構える私は、自分の目的意識すらわずか10年足らずで忘れ去ってしまっていたのでした。
文中「10年後、あるいは100年後になるかもしれないが、私のような人間が必ず現れるはずである」は、先見性などではなく、たとえどれだけ主観的であろうとしても、主観に徹することなどできず、客観を構成する主観の一つに過ぎないという私の考えに基づいたものです。これは諦観などではなく、「自分の道を進もうとするとき、孤独に苛まれることがあっても、『自分は特別な人間ではない』という謙虚さを忘れずにいれば、必ず自分を理解してくれる人が現れる」という恩師の励まし(戒め)を私なり解釈して、心に留めています。
<↑は私が好きなTwitterアカウント・商業高校写真部さん>
それはさておき、仮に現代人が遊廓の歴史的評価を定めることができなかったとしても、本来多面的、多義的な価値を持つ歴史は、一側面からの評価がどうであろうとも、そのことが後世へ残さない絶対的な理由足り得ません。
加えて、歴史は今この瞬間存在する現代人だけが享受するものではなく、未来の世代もまた同じかそれ以上に享受する権利を持っています。したがって、今の私たちが歴史的価値を定められなかったとしたら、なおさら次の世代に託すべきものです。
歴史を残す価値を整理しようと「なぜ?」と問い掛けたとき、その「なぜ?」は価値の高低を探るためではなく、どこに価値を置くのか?という視座を確認するためであり、それぞれの立場から歴史を紡ぐ責任を等しく背負っています。
話を遊廓の歴史に戻します。売春が営業や職業として確立したのは10世紀以降とされています。そして売春防止法施行によって(形式上であれ)売春が禁じられたのは前世紀の半ばです。かれこれ10世紀にも及ぶ悠久の時間の中で、売春に飲み込まれてもなお生き抜こうと足掻き、そして没していった夥しい人々に想いを馳せるとき、翻って売防法以降わずか1世紀にも満たずして、記憶や記録が急速に失われようとしている現在のありさまに、考えさせられるものがあります。歴史的価値を定められなかった私たちは、次の世代へバトンタッチするどころか、そのことを理由に消し去ろうとしていないでしょうか。未来の世代が享受すべき歴史を、私たちの世代が、私たちの世代の都合で消し去ろうとしています。
記憶や記録が消え入ろうとするこの刹那に生きている私たち次第で、次の世代が「遊廓」という歴史から享受できることの多寡や範囲が決まってしまうことを意識するならば、「受け継ぐことが本質である」という彼女の指摘は、私が求めていた「多くの人に響く短い一言」そのものでした。
彼女が3年生に進級した同年7月、同じ人文社会テーマを扱った同級生らと校内で合同発表し、多くの聴衆が集まったとのこと。後日、彼女は同級生の感想を書き写して、わざわざ報告に来てくれるなど、大人でも難しい丁寧な対応をしてくれました。拝読すると反応もさまざまで、大人が当たり前にやり過ごしていることや、若い世代が性や売春についてどう考えているのか窺い知れることなど興味深かかったので、いくつか紹介して、本稿を終えたいと思います。
※ヘッダー画像・商業高校写真部さん(Twitter)提供
※以下は有料ラインですが、以上がすべてなので、その下には何も書いていません。記事を有料化するためのものです。
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