大切な宝物
虐待サバイバーのゆうかです。
私が小学低学年の頃、大切な宝物がありました。
虐待されながら育った私に、欲しい物を買ってもらうことは、ほとんどありませんでした。
おやつも、ほとんどが手作りのものでしたので、スナック菓子を食べたのは20歳になるころが初めてだったと思います。
飴やガム、キャラメルは一切禁止。唯一食べさせてもらえるのはトライデントガムのみ、時々、特別な日にひとつずつもらえるのです。
ガムは飲み込まずに出しなさい、と言われましたが、たまにしか食べられない貴重なガムを、出して捨てるなんて我慢できず、小さい頃は、間違えたふりをして、無理やり飲み込んでいました。
私は、そのガムの包み紙を大切にとっていました。他にも友達にもらった飴やキャラメルの包み紙を、宝物にしていました。キキララのラベンダー色の折り紙で作った封筒に、それらをきれいにのばして入れていました。
包み紙はキラキラ輝いていて、私は、毎日出してはながめ、甘い香りを嗅いでいたのです。最近のものよりきれいな包み紙だったような気がします。
それが私の宝物であることを母には話していたと思います。
私にとって唯一の大事な大事な宝物でした。
ある日、学校から帰り、いつものように宝物を眺めようと引き出しを開けました。
しかし、そこにいつもの折り紙の封筒がなかったのです。
慌てて母に聞くと、
「あ〜ゴミでしょ、あれ、捨てておいたから」と、あっさり言われました。
…………………え…………………
私の宝物って知ってますよねぇ……
とは言えずに
私は、泣きながらゴミ収集場まで行き、人目もはばから泣きながらずゴミをあさりました。
何人かが不思議がって通りすぎましたが、恥ずかしさより、悔しさが勝っていました。
結局見つからず、諦めましたが、
私は、母を責めることも、問い詰めることも、捨てた理由を聞くこともできませんでした。
父が捨てると決めたことだと思っていたからです。
今でも大切な宝物をゴミと言われたショックは忘れることができません。
両親にとってはゴミに見えたかもしれませんが、私にとっては大切な大切な宝物だったのです。
親だからといって、こどもの所有物を捨てていいはずはないと思います。
しかも、絶対服従の関係の上では、子供は抵抗することもさせてもらえないのです。
子供の頃の私は、恐怖に支配されていたために、何も言えませんでしたが、たしかにとてもとても悔しい気持ちだったことは覚えています。
いまだに恨んでいるのかもしれません。
それからです。
何かを宝物にすることをやめたのは。
いつか捨てられる可能性があるなら、宝物なんて作らなければいいと。